覚悟
「イレーヌさん! そこから離れてッ!」
「グルルルルゥオオオオッ!」
轟音とともに地面がめくれあがった。砂が渦を巻き、辺り一面が沈んでいく。
「イレーヌさん!」
「オガタさん!」
まずい、僕は【緊急回避】のおかげで奴の体に乗り移ることができたが、イレーヌさんはそうもいかない。
彼女を目で探すと、ニーズヘッグの体の端をつかみ今にも砂の流れに飲まれようとしているところだった。
僕は咄嗟に駆け、手をのばした。
「杖を!」
声を聞き、彼女は手に持ったスタッフを僕に向けてのばす。
「ふんぬぉ!」
僕はスタッフを掴んで彼女をひっぱりあげた。
直接触れなければあるいはと思ったが、賭けて正解だった。
体の一部に触れれば黒い光は作用するが、体じゃない場所であれば命を奪うことはない。
その発見は僕にとって良い知らせであり、同時にこの状況に対して悪い知らせでもあった。
先ほどからニーズヘッグの体に触れているのに、奴はけろりとしているのだ。おそらく、皮膚の上に岩をコーティングして鎧を作っているのだろう。
「くそッ! これじゃあ殺せない!」
幸いにも奴の動きは鈍い。気を張っていれば振り落とされることはないはずだ。
「イレーヌさん! 大丈夫ですか!?」
「……あ、ええと、ありがとうございます……」
彼女に怪我はないようだったが、どうにも腰が抜けて立てないらしい。
「地龍様、こんなに大きかったんですねー……。まるでお山です」
「呆けてる場合じゃないですよ!」
「なんか、思ったよりも怖くて泣きそうです」
彼女は放心していた。覚悟を決めたと自分に言い聞かせても、いざその瞬間が訪れれば怖いものである。
「ゴツゴツした肌……これ、魔法で作った岩ですね。そっか、それで魔力が必要だったんですねぇ」
「魔法? 奴は魔法を使うってことですか?」
「そうみたいですねー。あれだけの巨体ですから、体を支えるのにも魔法を使っていると思います」
なら、暴れさせればマナ不足になるだろうか。いや、その前にこちらが危ない。
口を塞いで魔法を止める……だめだ。イレーヌさんに見せてもらった時もそうだったけど、この世界の魔法は僕らが想像するような詠唱がない。ゲームのスキルのように念じれば発動する類いだ。寝ている時も体を維持しているところからみると、奴の意識を奪っても魔法が止まるかは分からない。
やはり、黒い光に頼るしかない。
奴の肌に触れれば勝つことができるんだ。つまり、岩の鎧を着こんでいない場所を探せばいい。
背中から尾にかけて――だめだ。腹部――下にあって触れない。足――揺れが大きい。近寄る前に振り落とされる。
頭しかない。あの大きな金の瞳に手を突っ込んで、体内を黒い光で侵食することができれば。
僕は横目でイレーヌさんを見た。
彼女には悪いが、今は彼女の立場より自分の命の方が大事だ。
「ここにいて! 落ちないようしっかり掴まっていてくださいね!」
返事を待たずに僕は走り出した。
岩のおかげで背中の感覚は鈍いらしく、【気配遮断】のスキルもあって、ニーズヘッグは僕が首を登っていることに気づかない。
「いける!」
僕は油断した。
その時だ。ニーズヘッグは動きだした。
今までは半身浴のように地面に埋めていた体を引き上げ、怒ったような声を上げた。
奴が収まっていた場所に砂が流れ落ち、跡には巨大な穴ができた。これでは砂の流れがなくとも迂闊には下に降りられない。
そして、奴が動いたことで洞窟の一部が崩れ、落ちだした。
「くッ!」
【緊急回避】が追いつかない。降り注ぐ岩片をかわしながら振り落とされないようにするだけでも精一杯だ。
ぐらり、と僕は足を踏み外した。
瞬間僕の体は宙に投げ出され、大きな金の瞳の横をすれ違った。
目に写る光景全てがスローモーションのように感じられた。
ニーズヘッグの右前足のあたりで、イレーヌさんが何か叫んでいるように見える。
よかった、無事みたいだ。
目の前には、ニーズヘッグの大口が迫る。奴め、僕を食らう気だ。
……今度こそ、死ぬ。空中じゃあ回避もできない。
「だったら、体の中から殺してやる!」
食われたってかまわない。こんなでっかいのと刺し違えたなら向こうで皆も誉めてくれるだろう。
「ダメです!」
力の抜けた僕の体を、イレーヌさんが空中で受け止めた。
空を飛んでいる。これも彼女の魔法だろう。助けられたのだ、僕は。
しかし、彼女は。
「うぐぅッ! ああああアアアァッ!」
「イレーヌさん!?」
黒い光が彼女を包んだ。僕の意識とは関係なしに、彼女の体は光に侵されていく。
力なく降り立つと、そのまま彼女は倒れた。
「……えへへ、生きたまま食べられるより死んでから食べられる方が怖くないって思ったんですけど……やっぱり怖いものは怖いですね……」
「イレーヌさん……」
彼女は怖がってはいたけれど、死への覚悟は完成されていた。でなければ、こんなところにはこないし、こんなこともしない。
僕はわかっていたのだ。彼女が生きる未来を諦めていることが。
「死んでも魔力は体に残留します……。どうか、私の目が開かなくなったあと、体を地龍様に……」
「ああ、わかった」
彼女の手が僕の頬に触れた。
「……ァ、りが……」
笑顔を見せて、そのままイレーヌの瞳は黒く濁った。
――レベルがアップしました。データからスキルを作成します――
【気配遮断Lv3】【緊急回避Lv6】【音波耐性Lv3】【死体操作】を取得しました。
彼女の最後のお願いを聞く気はなかった。
ただ自分の意思で、僕はニーズヘッグに向き合った。