第5話「教官 黒沼小夜子」
一行は薄暗いルートを上へ上へと昇っていた。地上付近と違い壁はそのほとんどが崩れていて、あちこちに走る亀裂から伸びた草は、文明がかつて自然に負けた事を如実に示すかの様に張り付いている。ほどなくして伍行分隊は、窓際の通路へ辿り着く。
眼前にはいくつもの巨大遺跡が乱立し、なかでも新宿遺跡の中では最大の、旧都庁と呼ばれるひと際巨大な遺跡が天高くそびえ立っていた。
その余りに圧倒的な巨大さに、青島が言葉は失った。これがかつて人の手によって造られたものなど、どうして信じられようか。少しでも不安を紛らわせようと、青島は手にしたアサルトライフルのグリップを強く握りしていると、ふとこちらに接近してくる影に気がつく。
■伍行》分隊員『丁度いいところにきたな。あれが今回の獲物だ。各員、構えろ』
青島がズームで確認しようとした時には、既に伍行は指示を出していた。他の隊員は気付いていなかったようだが、伍行の指示を聞くと、即座に指示された方向に銃口を向けた。
この距離ではスナイパーライフルを持たない隊員は攻撃が届かないし、数匹しかいないのであれば全員が構える必要はないのではと青島は疑問に思ったが、他の隊員は伍行の指示に従っているので大人しく続く……これが熊野のいう兵士の用途に従うということなのだろうか。
遠目では鳥型のように見えたが、ズームにするとそれが巨大な虫だということが分かる。
今回の派遣では初めての征服種……データバンクに照会した結果“軍隊蜂”というらしい。
数匹で軍隊とはどういう事だろうと青島が疑問に思っていると、ふいにゾワっと周囲が殺気で包まれた。
■伍行》分隊員『来るぞ、各個激滅せよ』
伍行の緊迫した声とほぼ同時に、四方八方から軍隊蜂の大群が伍行分隊めがけて襲いかかってきた。どうやら姿を晒していたのは囮だったようで、死角の部分に大量に潜んでいたのだ。
軍隊蜂の真っ黒な塊を、伍行分隊が放つ光子の弾丸が引き裂いていく。
とはいえ数が数である、撃ち漏らしがいる筈だし窓もあちこち割れているのに、どうして一匹も侵入してこないのかと思えば、白いフォトンの楯が窓際に張り巡らされている事に青島は気がつく。
フォトンで構成された障壁は、事前に周波数を設定してあるのかこちらの弾丸のみを通し、軍隊蜂は一匹も近づけず一方的な殲滅が展開されていく。
フォトンシールドのオプションはそれ程高価ではないものの、青島は適正がなかった為持っていない。たしか先輩隊員の誰かがデバイスを持っていたので、それを発動させたのだろう。
マズルフラッシュと撃ち抜かれる軍隊蜂の血飛沫で、視界は完全に塞がれてしまっているがとにもかくにも撃ち続けていると、伍行から攻撃を止める様指示が出た。
徐々に開かれていった視界には、軍隊蜂は一匹も残っていなかった。
全滅させたのか逃げたのは分からないが、もっと分からないのはあの状況で、何故伍行は敵がいないことが分かったのかということだ。
黒沼か熊野あたりに聞いてみたかったが、すぐに伍行が移動するよう指示を出したので、分隊員はそそくさとその場を離れることとなった。移動しながら伍行の説明が続く。
■伍行》分隊員『コクーンタワー最上層部は、軍隊蜂のコロニーが大量に建設されている。今の襲ってきたやつらは軍隊蜂の中でも雑魚だが、コロニーに近づくに連れて対処が面倒な個体が多数出てくる』
あれでまだ序の口だというのだから、青島に走る緊張は計り知れなかった。
■伍行》分隊員『勿論今回の奪還で殲滅出来るとは思っていない。しかし軍隊蜂の繁殖力はかなりのものだ、一刻も早くコロニーごと潰さなければ、いつまでたってもコクーンタワーを奪還出来ない』
もしかして……と、青島はデータバンクの軍隊蜂の項目にアクセスしてみる。
思った通り軍隊蜂はテリトリーに入らない限り、他の生物を襲ったりはしないらしい。しかし放っておけば、あっという間に数を増やしてしまうとも記載されていた。
おそらくコクーンタワー下層があれ程までに整備されながらも、未だに全域を奪還出来ていないのは、この繁殖力に手を焼かされているのだろうと納得していると、既に伍行の指示が出ていたようで、分隊は移動を始めようとしていた。慌ててついていく青島の頭部を、再び小此鬼の拳骨が襲う。
■黒沼》分隊員『青島君、死にたくなかったらぼんやりしないでね』
■黒沼〉青島『大丈夫? 何か考え事していたみたいだけど』
同時に二つのチャンネルから黒沼の通信が届く。教官としては厳しくしなければならないが、黒沼個人としては素直に心配してくれたのだろうか。
通信履歴に目を通しながら黒沼と分隊員にお詫びの通信を送ろうとした青島は、再びあの違和感に引っ掛かった。
いる……たしかにあの銀髪の少女の気配を感じる。おもわず周囲をキョロキョロと伺う青島を見て、他の隊員達は溜息をつく。
■毒島》分隊員『どうやら全然反省してないようだし』
毒島からやれやれといった具合に通信が届き、青島はハッと我に帰る。気のせいとは思えなかったが、名残惜しそうに周囲を今一度見渡すも、銀髪の少女はどうしても見つからない。
こんな高層に一般人がいる筈ないと青島は自分に言い聞かせるも、どうしてもあの少女の感覚はまとわりつくように青島の周囲を漂うのであった。