第36話「限界を超えて」
伍行達が別行動を取っているのは既にバレている筈だが、μを仕留めずそちらに向かうのはリスクが高いと判断したのか、σは依然青島達を追いかけて来ていた。
■青島〉μ『でもこんな奥まで逃げて、本当に追いかけてきてくれるかな?』
『私を抹消すると宣言した以上、それに背く行動を取るのはσのプライドが許さない筈です』
機構戦乙女の誇り……最初はどうして只の兵器であるμたちがそんなものに拘るのかとさえ思ったが、今はその拘りこそがσを打開する希望のように思えてならない。
機構戦乙女は只の兵器などではない。感情があるし矜持だってある。
皮肉にも自分が人ではないと分かったことが、逆に機構戦乙女だって人らしくあれるのだという確信を生んでいた。
機構戦乙女であろうとデブリであろうと関係ない。結局は心の持ちようなのだと。
μの指示に従いいくつか遺跡を駆け抜けていると、旧都議会議事堂が見えてきた。ここまで来ると旧都庁も既に視界に収まっている。
σならば、視認出来る範囲にいれば流れ弾を命中させかねないと思っていたが、新宿モノリスからはもうかなり離れたので、黒沼救援に向かっている伍行たちはひとまず安全だろう。
『そろそろ仕掛けてくる筈です』
μの言葉通り、全自動戦闘支援誘導システムの警戒音とほぼ同時に緋色のフォトンの弾丸が滑り込んでくる。既にフォトンを溜めて構えていた翼刃でそれらを弾き、弾丸の軌道を追い青島は爆走した。
この辺りは先程の新宿モノリス近辺と違い、未だ整備が全くされていないので瓦礫だらけだ。これならば有利とは言わないまでも、先程よりは互角に戦える筈であるかもしれない。
きっとμもそう判断したのだろうと思ったのだが……数分経っても青島は、依然として乱立する瓦礫の影に隠れながら、全自動戦闘支援誘導システムが映し出す矢印に沿って逃げ周り続けていた。
瓦礫に紛れた強襲、たまたま遭遇した征服種を囮にしての奇襲……そのどれもがσには通じず、逆にσの巧みな弾幕は、μの指示するあらゆるルートをことごとく潰してくるもので、先程から青島は一定の距離からσに近づけないでいるのだ。
青島はこれまで比較的短期決戦ばかり経験してきたので、μの脚がもたらす殺人的な加速もどうにかついていけていたが、どうやら今回の相手はそうもいかないらしい。
一瞬でも気を抜けば、足を止めたらその場で蜂の巣にされる……σの姿は先程からチラリとしか見えないが、そんな重苦しい殺意が常に青島に纏わりつく。
更に誤算だったのは、σが放つフォトンの弾は、瓦礫程度の障害物では目隠しにはなっても盾にはなってくれないようだ。
全てを焼き貫く魔弾は、青島に致命傷こそ与えていないものの精神力をじわじわと削っていっていく。
時間稼ぎはこちらの願った展開ではあるが、これでは青島の体力が切れるのが先になってしまうかもしれない。
■青島〉μ『μ、本当にこのまま走り回ってて勝てるのか?』
たまらずμに通信を送るものの、何故かμはなにも答えてくれない。言葉はなくただルートガイドだけで、青島に次の行動を指示してくる。
ゾワリと、青島は背筋に嫌な気配を感じた……もしかして、μも攻め手が思い浮かばないのではないか? もしそうなのだとしたら、このマラソンのゴールは青島の死ということになる。そんな青島の不安を射抜くかのように、再びσの弾丸が強襲してきた。
「くっそ! 射線は全然通ってないのに、なんでこんな正確に狙ってくるんだ」
『お静かに……σはおそらく音でこちらの位置を把握しています』
今になって返事をしてきたことよりも、μの言葉自体に驚く青島……だとするならば、走り回るのは却ってこちらの位置を示すことになるのではないか?
刻一刻と募っていく青島の不安を察したのか、遺跡を大きく周った所でルートガイドは一旦止まった。隠れた壁は大きく厚い為か、σの弾丸も襲ってはこなかった。
しかし、次のμの言動は青島を驚愕させるものだった。
『それに……私の作戦に不満があったとしても、タツヤに代案は出せないのですから素直に従って下さい』
そう言い放ったμは……青島に懇願するように頭を下げたのだ。
もしμと出会ったばかりの青島だったら、μの言葉に反発しただろう。
もしμに頼ってばかりの青島だったら、μの言葉を鵜呑みしただろう。
しかし今の青島は……μの行動に疑問を持ち、そして真意を理解した。
「ふざけるな! なんだその言い草は…………くそっ、分かったよ! 従えばいいんだろ!」
出来る限り大声をあげた青島は、右手に持つ翼刃を脇に抱えて指で丸を作り、了承の意を示す。
無言でコクリと頷くμを見て青島は確信した。思い返してみれば、σはこちらの思念チャットを傍受出来るのであった。道理でこちらの攻撃が通じない訳だと青島は感心するが、それはつまり、μはもういつものような細かい指示はしてくれない事を意味する。
ルートガイドと僅かなモーターの補助だけで、μの意思通りの動きが出来るか青島が不安がると、μは無言のまま青島の目の前に躍り出た。
何事かと黙ってみていると、μは両手を握り小指同士をつけるような仕草を取った……まるで両手に持った剣の柄を合わせるように。
すぐに青島は思い至る。翼刃は連結することでその威力を倍増する必殺技空閃があることを……それを使えば、ほぼ間違いなく青島の両手が弾き飛ばされるということを。
「μ……本気で、言ってるのか?」
「もう仲間割れか? 所詮デブリ、我々と分かり合える筈がない!」
動揺する青島を無視するかのように、ルートガイドが再び表示される。慌てて走り出す青島のすぐ後ろを、銃声が鳴り響いた。
青島は迷う暇もなく、瓦礫を大きく迂回した先には、こちらを探すσの姿があった。
μが上手く誘導したのか、σの左右は瓦礫で塞がれていて横に避けることは出来ない。一直線に突き進むだけで仕留める事が可能なコースだ。
しかし裏を返せば、こちらもσの弾丸を避けるスペースがないということだ。
勝つ方法はたった一つ、空閃を使う事だけ……たとえ最悪の結果になっても命を落とすことはない筈だ、しかし……、
一足遅れてσが青島の接近に気がつく。もう迷っている暇はないと、青島が翼刃を連結させるのと同時に、σも爆雷のような弾丸を解き放った。
超高速機動をする上で必要な機能は三つある。
一つは推進力だ。青島の場合は、人工筋肉を幾重にも凝縮した両足による絶大な脚力を、スパイクシューズのように地面に刺さるもう一つの翔竜剣・蹴爪が余すことなく走力へと変換し、さらに各所に設置された超小型フォトンブースターによる補助が爆発的な推進力を生みだす。
二つ目は動体視力。いかに超絶したスピードで動けても、自他の動きを把握出来なければあっという間に激突してしまう。青島自身はあまり自覚がないが、μが普段青島に無茶とも思えるコースを指示するのは、青島が卓越した動体視力と反射神経を有しているからこそらしい。
そして最も大事な三つ目が、超高速の世界に対応出来る演算思考である。どれだけ周りが見えていようと、どちらにどう動けばいいのか判断する反射神経がなければ何の意味もない。西暦の技術の粋を結集して作られた機構戦乙女・μと感覚を共有した青島の思考速度は、刹那よりも細分化された六徳、虚空、清浄まで研ぎ澄まされていた。
連結し持ち直した翼刃が、溜めこんだフォトンを解放しようとブレードの各所を展開し風を纏い始める。
σの弾丸が赤い迅雷ならば、μの刃は青い疾風だ。
後は動画で見た通り、このまま全身で螺旋を描くように突撃する事で、空閃と名付けられたμの必殺技が発動する。
――……いや、待てよ。やっぱりなにかおかしくないか?
既に空閃を放つ体勢を取りつつも、加速した青島の思考が疑問にひっかかる。
そもそもこの戦いは、σを倒すためではなく止めるための戦いの筈だ。それなのに、直撃すれば機構戦乙女といえどただでは済まないような技を使うのが、本当にμの意思なのだろうか?
決めた筈だ、兵器ではなく兵士として戦うと。μに言われた事を素直にこなすだけならば、最初からμがパワードスーツを全て動かせば済む。しかし敢えてそれをしなかったのは、二人で一緒に戦おうと決めたからだ。青島も……そしてμも兵士なのだから。
相手はは西暦最強の兵器機構戦乙女。ならばμの指示のそのさらに先まで青島が理解しなくては、きっとこの戦いには勝てない。
考えろ。μが指示を出さなくなったのは、σに傍受されているからだ。
考えろ。μが空閃を撃つよう指示したのは……おそらくσの弾幕に真っ向から対処出来るのがこれしかなかったからだ。
考えろ。しかしσとμは旧知の間柄だ。ならばσは当然空閃を知っている筈なのでは?
考えろ。もし青島がσならば空閃はどう対処する? 左右に避けることは出来ないのであれば…………、
「やはり空閃を使ってきたか。所詮それが貴様たちの限界だ!」
『言った筈です、私達はそれを越えられると!!』
「いっけえええええええええええええええええええ!!!」
乱射される緋色の雷を青い爆風がかき消す。しかしその先にシグはいない筈だ。
左右にも後ろにも逃げられないのであれば答えは一つ。飛び上がるしかない。
スピードでこちらが勝っていても、空閃を事前に予測出来れば決して不可能ではない。
そうやって考えてもみれば、いかにも空閃を打つのにおあつらえ向きな場所にσが来たのは、最初から空閃を誘っていたのだろう。しかし……、
青島がそこまで予測し切り、即座に翼刃から手を離すことまでは、流石の機構戦乙女でも予測出来なかったらしい。
「何! 馬鹿な!?」
赤と青のフォトンの嵐を抜けた先には、予測通り同じく飛び上がっていたσがいた。迎撃の為地面を狙っていたσよりも、青島の方が一瞬早く対応出来たのは言うまでもない。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
フォトンジェットを持たないσは空中で体勢を変えることも出来ず、咄嗟にガードするも青島の蹴りはお構いなしとばかりにσを蹴り飛ばす。
0勿論破壊する程の威力はないが、瓦礫に埋め込まれるように吹き飛んだσに、起き上がる間も与えず青島はσの喉元に片足をねじ込んだ。
「……俺達の、勝ちだ」
σは忌々しげに青島を睨み上げるも、やがて降参するかのように両手を上げ武器を捨てた。
「……そうやって油断させて、すぐにまた銃を召喚するんじゃないだろうな?」
『もう心配ありません。一度降参してから不意打ちなど、誇り高き機構戦乙女は決してしませんから』
μが含みたっぷりの視線を向けながら近寄ってくると、σは歯が砕けるのではないかというくらい悔しそうに食いしばったが、どうやら素直に従うようだ。
『……よく気がついてくれました。パートナーとして誇り高いです』
「μがあんなに懇願されちゃ、期待に答えなきゃって思ってさ」
いたずらっぽく笑う青島にμも笑顔で返す。しかし内心は驚きと喜びで胸が破裂しそうだった。
実はμが青島をパートナーと言ってくれたのはこれが初めてのことだ。今までもμは誰よりも青島の事を評価してくれていたが、それをこうして明確な形で示した事は今まで一度もなかったのだ。
『誇り高き機構戦乙女たる私にあそこまでさせたのです、もし失敗したら猿吠の腕でも移植してやろうと思っていました』
「……成功してよかった」
思えばこんな冗談に付き合ってくれることも今までなかった。それだけ自分の事を認めてくれたという喜びと、ようやくσを止めることが出来たという安堵から、ホッと息を吐く青島の横で不機嫌そうなσが立ちあがった。
「負けたばかりかデブリ如きに情けをかけられるようでは、私は機構戦乙女失格だ……破壊しろ」
『σ、それは違う。貴方も、そして私達もまだ完璧以上の答えには至れていません。だから……貴方の知恵を貸して頂けないでしょうか。人類も、そしてデブリも生きる道がきっとある筈です。タツヤが貴方の計算した限界値を乗り越えられたように、私達にも他の選択肢を見つけられると信じています』
「…………たしかに、安易な手段を選びデブリ全てを敵に回すのは、誇り高き機構戦乙女が取る策にしては雑だったかもしれん」
「なぁ、まずはIってやつの封印をやめないと黒沼さんが……」
「心配するな。まだモノリスには電源を入れていない……誤解するな? μを倒した後で、ゆっくりと取り掛かるつもりだったのだ」
『今はそういう事にしておきましょう。それよりも、まずはIの件も含めてデブリと会談を開く必要がありますね。他の地区の動向も気になりますし、今後デブリの協力無しでは――危ない!』
それは闇に乗じた完璧な奇襲だった。強いていうならば、敵にはμの姿が見えないのでμの死角だけがカバーされてなかった。だから咄嗟にμだけが、悲鳴を上げることが出来たのだ。
だから青島には、覇奴魔の鈍器の様な腕が、σの頭を砕くのを黙って見ることしか出来なかった。μが以前遺跡泥棒に襲われた時のように、咄嗟に補助してくれなければ青島も同じようになっていただろう。
『σゥゥゥゥゥゥゥッ!』
σが大破した今、青島にしか聞こえないμの悲鳴が、新宿遺跡に痛々しく、されど静かに響くのであった。




