第32話「ヴァルハラ計画」
吐き気を催し青島は口に手で抑えるも、眼に映ったこの手が既に自分の物ではないと考えると、眩暈はより一層増すばかりだ。黒沼も同様なのか、何も言わず目を見開いたまま黙って話を聞いている。
不意に青島は自分の手が、体が、自分の全てが、肉の皮を被っているだけで中身はオートマタのような無骨な機械なのではという錯覚に襲われた。
無理矢理止まった吐き気が、体の奥でドロドロと沈殿するような感覚から青島を引きずりだすように、μの無機質な声が続く。
『ショックなのは分かりますが、本題はここからです』
既に青島に、μの言葉を聞く余裕などなかったが、それでもμはお構いなしに淡々と続けていく。
今まで考えないようにしていたが、分かる等と言いつつなんの配慮もμも、やはり根本は機械だからなのだろうか。
だがそんなμと自分達は同じ存在、むしろ下位存在なのだと思うと、やはり頭が真っ白になりそうだった。
「西暦末期、敗戦が濃厚になりつつあった人類はある計画を発案した。その名は“ヴァルハラ計画”……そしてヴァルハラ計画の中枢として作られたのが、私達機構戦乙女だ』
「ヴァルハラ計画……」
『計画は極秘だったので、表面上は機構戦乙女による敵の殲滅と発表されました。実際我々は、当時最高水準の戦闘力を与えられていたので、人民を欺くのはそれほど難しい事ではありませんでした』
「しかし真の目的は別にある。貴様等デブリには想像もつかないだろうが、当時のケダモノどもは今よりもはるかに強く、また数も圧倒的だった……はっきり言ってしまえば、誇り高き機構戦乙女といえど、いずれ敗北するのは明白だったのだ」
青島たち征歴の技術とは比べ物にならない機構戦乙女でさえ勝てない相手、σの言う通り青島には想像もつかない。
『どうやっても勝てないのであれば、とるべき道はただ一つでした』
「後の世に残すべき選ばれた者……真の人類だけを人工衛星・ヴァルハラへ避難させたのだ。敵対種である人類が一旦滅べば、ケダモノどもは緩やかに退化していく。文明の保持の為に貴様たちデブリを製造し、頃合いを見て貴様らと共に戦い人類圏を取り戻す……それが我々の真の務めなのだ」
勝てないのであれば敵の種そのものが弱くなるまで何百年も待つなどと、スケールが壮大過ぎて青島には思い付きもしない。しかし、いくら青島でも分かる事がある……そんな計画が上手くいきっこない。
『しかし想定外の事が起こりました。人類が滅んだ後も、光子生物の追撃は止まらなかったのです。私のように修復途中で破棄された者、σのように直ったものの、再起動してくれる者がいなくて放置された者……』
「結局ケダモノどもが退化するまでに、当初の予定の倍かかってしまった。同志達がデブリの製造に失敗していたら、本当に人類は滅亡していたやもしれん」
いつだったかのμの言葉を思い出す――ここまで漕ぎつけるのは、さぞ同志達も苦労しただろうと。
あの時は自分達人類が生き残れるように戦ってくれていたのだと青島は思っていたが、実際はまるで違う。自分達人類モドキを製造ラインに乗せることを意味していたという訳だ。
「……それで、なんで俺達にそんな話しをしたんだよ」
「何故だと? こんな簡単な事を言わせるな。人類の為に働け、それが貴様らの用途なのだから」
「ちょっと待って頂戴! そんな事急に言われても私達だって素直に動ける筈ないでしょ。まずはこの事を上層部に――」
いよいよ静観している訳にはいかないと判断したのか、我に返った黒沼が退室しようと動き出すも……壁を突き破ったシグの腕が、逃がすまいと一瞬で捉える。
「おい! 黒沼さんに何するんだ!」
『やめて下さいσ! 手荒な事はしないようにと――』
「μ、デブリ如きに一体何を遠慮しているのだ? この女を我らの指導者を復活させる器として使えばよかろう」
σは人間離れした握力と正確さで、片手で楽々と黒沼の頸動脈を絞め落とす。
壁が壊れた事を検知器が察知したのか、ゲート内に緊急ブザーが鳴り始めた。
「器……? どういう事だよ、人類を起こしたいなら勝手にやればいいだろ!」
「無論そうする……だが話はそう単純ではない。この地には緊急時の対策として、我々よりもさらに上位の監督者が一人封印されている。しかしあのお方は、我々と違い戦闘用ボディではない。体はとうに消失している可能性が高い。しかし貴様らデブリの体に意識をインストールすれば、その問題も解決する」
『待って下さいσ! 話が違います。あの方を呼び起こす事に、私は賛同した覚えはありません!』
「……そいつの意識をインストールされた黒沼さんはどうなるんだ? まさか、俺とμみたいに……」
μの驚愕も青島の質問も、まるで理解出来ないとばかりにσは首を傾げる。
「何故デブリの意識を残す必要がある? 勘違いしているようだが、μが貴様にインストールしたのは、自身のほんの極々一部に過ぎん。そもそも意識を分割するなど、μが電脳幽体だったからこそ出来た離れ業だ。当然この女の意識など消え去るに決まっている」
「……そんな」
「機構戦乙女もデブリも、どちらも人類の為に作られた存在だ。それだというのに、貴様は機構戦乙女の誇りを忘れたのか? それとも……そのデブリの小僧に情でも移ったか?」
再び用途を果たすという言葉が青島の胸に突き刺さる。受け入れたつもりだった、何も考えず自身の用途を果たせばそれでいいと納得したつもりだった。しかしそれは正しくなかった。兵器ではなく兵士としての矜持を持って戦いたいとようやく思えたのに、自分達が正真正銘の道具だっただなんて……。
『あの方のやり方では性急になるに決まっています。σ……計画は既に当初の予定から、大きく食い違っているのです。最早あの方は、状況に適応していないと判断します』
「それを決めるのも我々ではなくあの方だ。私は復活の準備をする。貴様はここのデブリを適当に間引いておけ。どうやらこの地区のデブリは、我々の管轄になかった所為で自我が強すぎるようだからな」
それだけ言うとシグは黒沼を抱えて部屋から飛び出していった。けたたましくサイレンが鳴り響く中、残された青島とμに重く痛々しい沈黙が流れるのだった。




