第2話「指揮官 伍行祐作」
やがていくつもの線路の名残が合流している大きな遺跡が見えてきた。かつて新宿駅と呼ばれていた建物である。周辺に等間隔に生えている食獣植物は、大型征服種が襲ってこないように、奪還者が敢えて植えたものだ。
内部はかなり整備が進んでいて、多数の奪還者だけではなくその生活を支える非戦闘員も、あちらこちらを行ったりきたりと忙しそうにうろつく。
クレイドルから少しずつ物資を運んでいき武装をかため、人を呼び寄せ、ようやく要塞都市のひな型程度には整ってきた新宿駅跡は、目前に広がる人外と人類の領域を隔てていることから、誰からともなく地獄門と呼ばれていた。
ゲート内部にある奪還者の詰所へ辿りついた一行は、ミーティングの前に必要のない装備を外す為に、一旦宿舎へと集まっていた。
青島は今回を含め既に十数回は調査奪還の為に遺跡へ訪れているが、未だにリテイカーの必需装備であるヘルメットの息苦しさに慣れていない。
フルフェイスのヘルメット型デバイスは、大きく二つのパーツに分かれている。
一つは上半分の、主に視覚に作用する機能を司るヘッドギアだ。ヘルメットとゴーグルをくっつけたような外見をしているこのパーツは、戦闘時は勿論ミーティングの際も役立つ。
下半分のパーツは、鼻と口を覆い隠すように出来ているマスクである。
どちらも奪還者にとって必要不可欠な装備であるが、より重要なのは実は下部のマスクである。
少なくとも征歴が始まってから千年以上、世界中に群生する植物たちは元を辿れば、敵国を滅ぼす為の植物兵器である。
その役割はフォトンチッドと呼ばれる、人体に有毒な揮発性物質の散布だ。
吸えば即死する程ではないものの、人体に深刻なダメージをもたらすだけではなく、他の生物兵器を活性化させる作用をもつフォトンチッドは、第四次世界大戦の折に世界中に広まってしまった。
何故人類圏がここまで減少したか……それは空気の薄い高山部や、海からの風に守られた沖合まで逃げないと、フォトンチッドから身を守れなかったからなのだ。
数世代前の奪還者が空気清浄機のノウハウを奪還してくれたおかげで、現在では室内は勿論のこと、要塞都市周辺のフォトンチッド濃度を減らすことすら可能となった。
フォトンチッドの薄い空気を嫌って獰猛な獣は近づいてこないし、活発に人を襲ってくる植物も要塞都市周辺には生えてこなくなり、人類にとって反撃の転機となったのだ。
勿論ゲート付近にも空気清浄機はいくつも設置されている。巡回している奪還者達が、どこか気が抜けているのもその所為なのだろう。
「あー……やーっとマスクも外せた。あーあ。森なんてパーっと焼けないもんなんスかね」
「そんな馬鹿なことばかり言っていると、また黒沼に怒られるぞ?」
青島は同期の奪還者と雑談まじりに装備を外していると、見上げるような巨漢がヌッと部屋へ入ってきた。大ベテランの兵士、熊野だ。何十年も第一線で戦い続けてきた豊富な経験だけでなく、オリジナルカスタムされたパワードスーツで重作業も楽々こなす、未だ現役の中年である。
「フォトンチッドを散布する植物は、発火性が高いものが多い。一度に焼こうとしたら、連鎖燃焼してどうなるか想像もつかんと教わった筈だが?」
「いっ!? や、やだなー熊野さん、出来たらなって話っスよ。ただのジョークですって」
熊野が現れたことにより、若い兵士たちは皆慌てて準備を整えて、ミーティングルームへ速足にかけていった。
僅かながら足音が聞こえたので、誰か部屋に近づいてきていることは分かっていたし、部屋割も配られてすぐ確認したので熊野が同室だということも知ってはいたのだが、それら二つの事柄をすぐに結びつけられないのが、自分の欠点であると青島は自覚していた。
黒沼以外の教官にも度々集中力がないと怒られたし、講義内容も決して聞いていない訳ではないのだが、実際に目で見ていないものはどうにもしっくりこないのだ。
実地研修の成績はまずまずなのでここまでどうにかやってこられたが、今のままでは遠からず自分だけでなく、隊全体の命を脅かしかねない……つまり遠まわしにこのままでは除隊処分だと釘をさされていた。
しかし、どんなに言われても気になってしまうものはどうしようもなかった。要不要に関わらず、違和感に気付いてしまうのだからどうしようもない。
だが征歴の世では結果が全てだ。青島が人類にとって有益であるという結果を出せないようでは、奪還者を続ける事は出来ない。なんの取り柄もない身で、しかも引退ではなく中退させられた者の末路など想像するまでもない。
能無しを養う余裕など、クレイドルは勿論ゲートにも存在しない。
大人しく動植物の餌になるか、遺跡泥棒の仲間に入れてもらう他ないだろう。
盗賊に身を落とした自分を黒沼が射殺するビジョンを想い浮かべ、青島は身震いした……もう後はないのだと自分に言い聞かせ、青島はミーティングルームへと走っていくのだった。
「今回の奪還調査は大きく分けて二つあります。一つは旧コクーンタワー調査の地固め、もう一つは旧都庁周辺に出没している遺跡泥棒の探索、駆除です」
今回の調査隊全員がどうにか入る程度の狭さの部屋で、黒沼が他の隊長達を代表して今回の作戦の概要を説明していた。
席が足りなかった者達は壁際に立って、壇上に立つ黒沼の説明を聞く。もっとも顔の向きが壇上に向かっているというだけで、実際は皆バーチャルモニターを見ているのだが。
駆除、という強気な語気に青島だけでなく数名の兵士が若干怯んだが、お構いなしに黒沼は操作パネルを弄りながら説明を続けた。
黒沼の操作に合わせて、青島達が装着しているヘッドギアの映像が動き、日程やコース、班分けなどが目まぐるしく写しだされた。
青島は以前ヘッドギアでこれくらい細かく指示を出してくれれば、新兵も活躍出来るのにと思ったことがあるが、調査を重ねるにつれて、自分の考えがいかに甘いかを思い知らされた。
何代にも渡って奪還者の足が運ばれているとはいえ、様々な動植物が闊歩する遺跡内部は入る度に違う脅威が待ち構えている。
季節や時間帯で行動を変える生物もいれば、こちらの戦力を計った上で襲撃してくる獣もいるし、時には無頼に身を落とした同じ人間が襲いかかってくることもある状況で、その都度細かい指示など出してなどいられない。
奪還者に求められるのは多彩な観察力と、的確な判断力。
一々指示を仰いでから動き出すのでは、あっという間に命を落としてしまうということなのだろうと、青島は自分に言い聞かせていた。
観察するだけなら青島はむしろ得意といえるのだが、見たものがどういったものか理解し、それに対してどう行動すればいいのかに至るまでが致命的に遅い。
察知可能域が広い分、拾い上げる情報量が多過ぎるのだ。それらの中から状況に適したものだけを取捨選択し現状と結び付けることが、青島はどうしても苦手だ。
いくら最先端技術に頼っていても、人間の処理能力には限界があるという事だ。
「今日は解散としますが、明日の調査に備えて各員入念に準備をするように。それではミーティングを終わ――伍行隊長?」
黒沼がミーティングを締めようとする途中で、ふと隊長の一人が席を立ち兵士たち全員を射殺すように睨みつけた。
「俺たちリテイカーは何の為に存在している?」
緩みかけていた空気が、伍行の一言でビシっと締まる。まるで目線を逸らした瞬間殺されるのではないかという重圧に縛られ、兵士たちは皆食い入るように伍行に注目した。
「武器はなんの為にある? 敵を殺す為だ。兵士はなんの為にある? 武器を使う為だ。指揮官はなんの為にある? 兵士を使う為だ。務めを果たせ。用途を満たせ。役に立たない者は処分される……そのことを肝に銘じておけ。以上だ」
隣に立つ熊野と比べれば小柄にすら見える伍行だが、放つプレッシャーに青島をはじめとした若い兵士は、皆一様に威圧され縮こまる。いや、新兵だけでなく中堅、ベテランの中にも伍行の言葉に息を飲んだ者が数名いるようだ。黒沼もその一人だった。
「……つ、つまり伍行隊長は規律を守り勝手な行動を取らないように……と、言いたかったのでしょう。それでは今度こそ解散とします」
青島も黒沼も、今回の探索は伍行の分隊に配属されている。
まだ若いながらも卓越した戦闘力と、時に非情だが合理的な状況判断力を買われ、異例の若さで分隊長を任されたのが、伍行という男だった。