第10話「ブリュンヒルデ」
「それで、これをどうやって登るんだ?」
どうやらこの千年でこの空間に入る通路は塞がってしまったようで、依然として唯一の出入り口である青島が落ちた亀裂は、遥か上層で鈍く光りを漏らしている。
青島に足があったところで空が飛べる訳でもなく、近場に取っ掛かりもないのでよじ登るのも困難である。しかし、
『登る必要はありません。跳んでいきましょう』
あっさりと言ってのけるμに面食らう青島。
「いくら君の足でも空は飛べないだろ?」
『飛翔しろとは言っていません。すぐそこに木の根が突き抜けているので、ひとまずそこまで跳躍すればいいでしょう』
青島が見上げると、視覚モニターにガイドビーコンが映しだされた。こんな機能ついていただろうかと疑問に思ったが、恐らくこれも先程青島の腕を動かしたのと同様μの仕業なのだろう。
しかし肝心の木の根までは数十メートルはある。いくらパワードスーツのアシストがあるとはいえ、人間が跳べる高さではない。
『心配は無用です。出力の低下は否めませんが、ヴァルキリーギアの誇りにかけて断言します。貴方は跳べると』
多少の違和感はあるものの、今こうして地につけている両足は、今までの自分の足と殆ど同じ感覚だ。とてもそんな人間離れしたジャンプが出来るとは思えなかった。
μは深紅の瞳でじっとみつめるだけで、それ以上何も言わずにただ青島を待っている。
このままでは埒が明かないと、青島は覚悟を決めて両足のモーターにフォトンを灯し始めた。
パワードスーツの各所には、貯蔵されているフォトンを駆動系に装填する機能を備えている。
熱を帯び淡く発光するフォトンが駆動系にパワーを溜めて、人類が人外と戦えるだけの力を供給するのだ。
「なんだこれ……!? 出力が……10倍以上だと!?」
初めは計器の故障かと目を疑ったが、何度見ても足に込められたフォトン計数は、今まで青島が使ってきたパワードスーツのそれを遥かに凌ぐどころか文字通り桁違いだった。
勿論新兵とは言え奪還者の端くれである青島に支給されていた装備は、クレイドルの最新式であるにも関わらずである。
「これが西暦の技術って訳か……」
青島はμの方を向くと、μは自信ありげにただ頷く。期待を込め青島も頷き返すと、ありったけの力を込めて両足に溜めたフォトンを点火した。
「いっけえええええええええええええええええ!」
『あ、いけない!』
「えっ」
ミユの制止が聞こえたものの時既に遅し。青島の体は弾丸のような殺人的加速で空洞内を跳躍し、目標の木の根を高々と超えて……天井に激突した。フォトンを込め過ぎたのである。
『出力計算も指示した方がよさそうですね。真下は丁度足場になっているのでそのまま落下して下さい』
「わかった……」
壁からはがれおちた青島は、ストンと重力に任せて着地する。顔の前半分がヒリヒリするが、今は泣きごとを言っていられない。
それにしても、驚くべきはμの脚の力だろう。数字で見て凄いことは分かっていたつもりだったが、改めて実感すると人間との……もっと言えば征歴の技術とのスペックの違いを、思い知らされるばかりである。
征暦が始まって千年……奪還者の努力により西暦の技術を数多く奪還してきた筈なのに、未だにこれだけの差があるのかと青島は驚愕するのであった。
「低下してこれとか……これだけの脚力なら、人間なんて簡単に潰せちゃうな」
『馬鹿な事を言っていないで、次は亀裂まで一気に跳びますよ』
μの声と共にガイドビーコンに加え、光子をどれだけ込めて、どのようなコースで跳べばいいかまでが詳細に視覚モニターに映しだされた。
青島はミユの指示に合わせようと慎重に跳ぶも、今度は出力が若干足りていなかったようで、ギリギリ亀裂に手をひっかけてよじ登る。
『……どういうことですか?』
「ちょっとビビっちゃって……」
どうやら素直に従った方がよさそうだ。面目なさそうに頭をかく青島を横目に、やれやれと言わんばかりに溜め息をつくμは黒沼そっくりだった。しっかりと確認した訳ではないが、それほど重傷のようには見えなかったので無事逃げ切ってくれてるといいのだがと、青島が心配していると……、
『……敵です。武器を展開します』
青島の手にフォトンの渦が舞う。奪還者の所持品は全て持ち主のヘッドギアに登録されている為、一定距離を離れると自動でフォトンに戻りバックパックに収納されるのだ。
故に先程手放してしまったアサルトライフルもサバイバルナイフも、今も青島の手の内に呼び出せるのである。
「おいおい戦うのかよ。俺一人じゃいくらなんでも……」
『問題ありません。私の指示通り動けば勝てます』
相変わらずμは平然と言い放つが、流石にこれには承服しかねると青島が逃げようとするも、両足が思った通りに動かない。
「お前……」
『思念チャットとやらに切り替えて下さい、舌を噛みますよ。周波数は既に設定してあります』
どうにか下の階に向かおうとするも、パワードスーツは全身青島の言う事を聞かず、ギチギチとモーターが軋む音を立てるだけだった。そうこうしている間に、空気ダクトがガタガタと震えだす。あの狭いダクトを通ってくるのは軍隊蜂を置いて他にない。
■青島〉μ『くそ! やるよ、やればいいんだろ!』
『結構です。ナビゲーションは任せて下さい。全自動戦闘支援誘導システム、起動!』
今まで二度の失敗から、より洗練されたガイドツールが青島の視覚モニターに表示される。
指示だけでなく細かい動作もμに託すことにより、よりμの指示を正確にトレース出来るようになったようだ。
それに従うことにより、軍隊蜂がダクトから出てきた時には既に青島は発砲を終えていた。フォトンの弾丸が吸い込まれるように、軍隊蜂の頭をピンポイントで撃ち抜くのを、確認すらせず次の目標に切り替わる。
付近から現れた軍隊蜂を噛みつかれる前に踏み潰し、その反動で軽く跳躍し反対側の軍隊蜂が攻撃態勢に入る前に蹴り飛ばす。
無駄な動作は一切なく、まるで軍隊蜂も青島に動きを合わせて示し合わせているかの如く、蹴散らされていった。
分隊八人で戦っていた時よりも遥かに効率よく軍隊蜂を減らしていくと、やがて軍隊蜂の増援はピタリと止まり、先程の分と合わせてフロアは軍隊蜂の死骸で埋め尽くされていた。




