第1話「新兵 青島竜也」
西暦五千年、光子を様々なものへ変換する光子技術をきっかけに発生した産業革命は数十年のうちに全世界へと広まり、人類は限りない栄華と繁栄を極めるに至った。
しかし海や空、大地はおろか生命すら意のままに造り変える光子技術は、人類に三度目の世界大戦を引き起こす。
数百年後、およそ人類の半数が失われた頃、とある国家が使用していた生物兵器たちが人類の制御から外れ、全人類に対して攻撃を開始。人と人外による第四次世界大戦が勃発する。
皮肉にも共通の敵を得る事により、人類は有史以来初の全人類の共存をようやく為し得たものの、急激に進化していく生物兵器を前に人類の九割が死滅。複雑高度化した技術体系は衰退していき、大地はそのほとんどを異形に進化した森に埋め尽くされた。
征服種……それが人類に対する上位捕食種であり、この星を支配するかつての生物兵器の名である。征服種に敗れ繁栄を極めた文明は甚大なダメージを受け、人類の最盛期であった西暦は数千年の歴史に幕を閉じた。
人類は征服種の影に怯えながら、永き黄昏の時代を生きねばならなくなる……征暦の始まりでる。
征服種に地球を奪われてより千年、高い山や遠い沖合でひっそりと生き延びてきた人類は、かつての文明の遺跡群より技術を回収し、少しずつではあるが人類圏を取り戻していた。旧時代の装備で身を包み、征服種が闊歩する森や海に潜入し、技術や土地を奪い返す人類の先兵を人々は奪還者と呼ぶ……。
――――『西暦から征歴への転換』より一部抜粋
新宿……西暦の、少なくともかつてこの土地がまだ人類のものだった頃は主要都市の一つであったこの土地も、征歴を迎えた今となっては、天高くそびえ立つ遺跡群以外はその全てが森に飲み込まれていた。
鬱蒼と生い茂る森はどれも樹高百メートルを超える大木ばかりなので、日光は完全にシャットアウトされ大地は常にうす暗い。
しかし遠い昔、光子技術により品種改良された光合成が必要ない植物たちは、うす暗い大地ですら隙間なく群生し、かつての文明の痕跡を覆い隠すように大地を埋め尽くしていた。
そんな暗い森を、数十人の人影が隊列を組み進んでいた。
征服種に敗れ征歴が始まってより千年、今や遺跡と呼ばれるようになったかつてのビル群から様々な技術を回収する、人類の尖兵奪還者達である。
高い山や遠洋へ追いやられていた人類も、遺跡を改装し獰猛な動植物から身を守れる要塞都市を建造することで、僅かではあるものの人類圏を取り戻すことに成功していた。
そんな要塞都市の一つ、関東西新宿区第参要塞都市・通称クレイドルを拠点にする奪還者達は、関東最大の遺跡群である新宿遺跡から、人類の叡智を奪還する為に行軍しているのだ。
「でもよくよく考えてみれば変な話しっスよね。俺らは西暦の技術を使って征服種と戦ってるのに、昔の人達はもっともっとすげー技術を持ってたのに、なんで負けたんスか、黒沼さん?」
「……とりあえず、青島君が私の講義をきちんと受けていないってことはよく分かったわ」
黒沼と呼ばれた女性は溜め息をつきながら、青島と呼ばれた男の方を向いた……もっとも奪還者は皆フルフェイスのヘルメット型デバイスと、パワードスーツで全身を覆っているので、傍目には性別はおろか顔すら分からない。しかし各々の視界にはヘルメットによるバーチャルモニターが映し出されているので、個人情報は勿論どこに誰がいるのか特定するのは容易なのである。
「私達が普段駆除している獣や、そこらへんに生えている植物は、征歴が始まってからの千年間で戦闘力が退化していった世代でしょ。征服種はもうそのほとんどが、世代交代で弱体化したか消えていったって教えた筈なんだけど?」
「あー……そっか、なるほど。あ! 黒沼さんあれ! あれ見て下さい!」
「……なに? 征服種でもいたの?」
「野生の果物っスよ! 手入れしなくても食物が育つなんて信じられないっス! あ、あっちにもある!」
「あぁ、あれは柴桃ね。実は美味しいけど、柴桃は食獣植物……幹の周りは落とし穴になっていて、動けなくなったところを根で……って聞いてる訳ないわね」
クレイドルのような規模の大きい要塞都市には、大抵奪還者の訓練学校がある。
黒沼が教官を務めるようになってまだ数年とはいえ、青島程手のかかる生徒はこれまでいなかった……恐らくこれからもいないだろう。
黒沼はこの男が同じ方向を一定時間向いているところを一度も見た事がない。まるでピクニックにきた子供のようにあっちへキョロキョロこっちへキョロキョロと……その度に目ざとく色んなものを発見するので感心することもたまにはあるが、こうも頻繁だとうんざりしてくるのも事実だ。
「おい青島ァ! 黙って歩けっつってンだろうが!」
隊列の前方から他の隊員が怒鳴りつけた。青島よりはるかに大声なのをつっこむ者は最早一人もいない。黒沼は十回か二十回目くらいから数えるのをやめた。
「私……子守りがしたくて奪還者になったんじゃないのに……」
ぐすん、とヘルメットの中で一人涙しながら黒沼は黙々と歩くのであった。
クレイドルから新宿遺跡までは直線的な距離はたいしたことはないものの、広大な範囲に乱立している木々は縦横無尽に根をはり巡らせているので車など到底使えず、大型飛行艇は征服種に襲われる確立が高い為、滅多に新宿遺跡方面へは飛ばさない。
やむを得ず奪還者達は線路の残骸などを目印に少しずつ、隊列を組めるだけの道筋を長年かけて形成してきた。人の背丈よりも高い植物を少しずつ伐採していくだけでも途方もない時間がかかるが、その方が比較的安全なのだから仕方がないのである。
森の中は人外の支配圏、その環境は人にとって生活は言わずもがな、移動すら困難である。
しかしあくまで現在のレベルではあるものの、奪還者が身を包むヘッドギアやパワードスーツは、奪還した最先端技術を惜しみなく搭載している。 味方識別や熱感知、暗視や射撃ナビゲートといった様々な機能を長年かけて奪還することにより、森という人外のテリトリー内でも人類が戦えるだけの条件を獲得してきたのである。
銃口のセンサーとヘッドギアが連動している為絶対に誤射をしないライフル、光熱充電出来るバッテリー供給により、ほぼ無限に撃つことが出来る圧縮光子弾が実弾にとって代わって久しく、パワードスーツにより人間離れした怪力や健脚を発揮することも今となっては当たり前となりつつある。
しかしそれでも、これだけの技術をもってしても……この大地における人類圏は未だ地球の半分にも遠く満たないのだった。
遺跡が近づくにつれ大木の数はぐっと減っていき、少しずつ周囲が明るくなっていく。
それに合わせてヘッドギアの暗視装置も自動で解除されていき、やがて一行が森の出口に辿りつくのに合わせて丁度強い日光が差し込む。
まばゆい光が途切れた先は小高い丘になっていて、新宿遺跡の全貌が一杯に広がっていた。
所々緑に埋もれているとはいえ、クレイドルのどの建造物よりも遥かに巨大な遺跡が乱立する様は、まだまだ文明の生命力を感じさせるのには充分だ。
人類はかつて負けたがまだ死んではいない……千年以上森の浸食を耐え続け毅然とそびえ立つ文明の象徴は、そんな熱く心を滾らせる息吹を奪還者たちに注ぎこんでいた。
新宿遺跡と一括りにまとめられているものの、その範囲はとても広い。
新宿駅跡に設置した仮駐屯区を中心に据え、西の旧都庁周辺を探索区とし、東の新宿御苑跡や南の明治神宮跡周辺は探索禁止区と分けられている。
未だ生きているシステムが多数残る旧都庁周辺と違い、探索禁止区は完全に森に没してしまっているので後回しになったのだ。
隊列が新宿駅跡へと向かう最中、青島は周辺を哨戒する奪還者達をめざとく発見した。視覚モニターをズームにして様子を窺ってみると、どの兵士も警戒はしているものの、どこか襲撃がくる筈ないという緩んだ空気を纏っていることからも、ここら一体は実質人類が取り戻したも同然なのだろうと一人納得するのだった。
「昔は関東がこの国の主軸だったなんて信じられないっス。あ、鳥だ……あれも生物兵器のなれの果てってことか。なるほどなー」
「仕方ないわ。征服種に負けた人類は、高い山や遠い沖合に逃げるしかなかった……その結果首都は富士に移されたって訳ね」
さらりと言い放つ黒沼の横顔を、青島はじーっと見つめながら「なるほどなー」と頷きつつも、視界の端に何か動いているのに気付きそちらへ視線を向ける。
征服種かと思ったが目を凝らしても見つからず、むしろすぐ近くに巡回している奪還者を見つける。いくら気を抜いているとはいっても、流石にこれだけの近距離に敵がいれば、誰かしら気がつく筈だ。きっと自分の気のせいだったのだろうと、青島は結論付ける事にした。
一瞬とはいえ酷く場違いのようなものを見た気がしたのだがと、ぼんやり考えていた所為で、黒沼が呆れて溜め息をついていることには気付かなかった。