面食いお嬢様と愛憎の呪薬
「お嬢様、できあがりました」
鏡の中、金髪碧眼のまごうことなき美少女が微笑む。光を集めたように輝く髪は丁寧に編み上げられ、身に纏うのは流行の最先端をいく、鳥の羽を胸元や袖口にあしらった夜会用のドレス。清楚な化粧をほどこされたその姿は春を告げる妖精のようでもあった。彼女の名前はシェリ・スィーラ。美の女神に祝福されたかのような美貌を誇る、大富豪の娘である。
「今日も完璧ね」
シェリが満足げに頷けば、鏡越しに目があった侍女が頬を染めた。
頃合いを見計らったかのように部屋のドアがノックされ、夜会のための出発時間を告げられる。
「お嬢様、もう少々でお時間です」
「分かったわ。ああ――」
シェリは憂い顔になり、桃色の唇から吐息をもらした。その響きはどこまでも甘く切ない。
「レナ、任せておいた仕事は済んでいるのかしら?」
「はい」
名を呼ばれ進み出たメイドは咳払いを一つし、お仕着せのポケットから出したメモ帳を読み上げ始めた。そこに書かれているのは、今日の夜会に出席する、数名の男性の名前だ。
「――、以上でございます」
「……ありがとう。ああ、今日こそ、会えますように。運命のお相手に……!」
受け取ったメモを両手で握りしめる。それは、美男子と噂されている、あるいは実際侍女達が目にしシェリのお眼鏡にかなうと思った者達のリストであった。
シェリは自他ともに認める美男子好きである。彼女にとっては身分も年齢も性格も、顔の造作の前では何の意味もなさない。理想は石細工の巨匠、アッサンデローが王家に献上し、国宝にも認定された、「鳥と戯れる少年」だ。三年前に石でできた「少年」に魅了されて以来、結婚相手には彼と同じほどの美貌を求め続けてきた。なめらかな頬、見惚れるほど完璧な鼻筋、大きな瞳。これまで大富豪の娘の心を射止めるべく、何人もの男達が求婚してきたが、彼女の心の隅っこにも残らなかった。どんなに美男子とされる者でも、「少年」の足元にも及ばない。最近では社交界に限らず、馬車から見かけた物乞いから、父の取引相手である中年にさしかかった商人等々出会いのフィールドを広げてはいるのだが、納得のいく相手に出会えていないのが現実だ。
夜会に向かうため、侍女達を引き連れて中庭に面した渡り廊下を歩いているとき。がさり、薔薇の茂みが揺れた。
「シェリ……! 君は僕の心を踏みにじった。許せない……」
怨念のこもった声とともに、フードをすっぽりとかぶったマント姿の男が葉影からふらふらと躍り出た。シェリは眉を美しいひそめた。結婚を断ったのは数知れず。今までもこんなことがなかったとは言えないが、そのときは常に連れ歩いていた護衛のおかげで事なきを得た。しかし彼のように家の中まで侵入してくるような輩は初めてだった。
侍女の叫び声を聞きつけ、屈強な護衛達が即座に駆け寄ってはきたが、一歩遅かった。不届き者は姿を現したときの緩慢さから一転、機敏に動いた。握りしめていた小瓶の中身を、的確にシェリに向かって振りかけたのだ。
腕で顔をかばったが間に合わず、禍々しいほどに赤い液体がシェリの顔面を直撃した。
悲鳴に悲鳴が重なり、その場は騒然となった。得体のしれない液体が我が身にかかった恐怖から、シェリはしゃがみこみ顔を覆う。しかし、感じる痛みも異常も何もない。顔を焼くような劇薬の類ではなかったようだが、ふられた腹いせにしても性質が悪すぎる。侍女に支え起こされながら、護衛達に抑えられている男をきっと睨みつけたとき、ある異変に気が付いた。何度目をこすっても瞬かせても、その光景は変わらない。
「彼らの、顔」
シェリの声は震えていた。侍女達が初めて耳にした、主人の動揺しきった声だった。
「お嬢様! お気を確かに。目の具合が悪うございますか?」
「ねえ、あなた達、気付かないの? 顔よ、彼らの顔が……!」
狼狽えるシェリの視線を追い、その先を見た侍女達は戸惑うばかりだった。少々人相は悪いが、彼女たちにとっては見慣れた護衛達の顔だったからだ。
しかしシェリの青い目に映っているもの。それは不審者を押さえる男達の首の上に乗っている、顔の大きさをしたじゃがいもだったのだ。目も鼻も口もないそれらは首をかしげてシェリの方を見ている。護衛だけではない。かけつけてきた男性医師も、男の使用人も、すべて顔がじゃがいもになっていた。
「高名な魔術師ベリヤード作、異性の顔がみんなじゃがいもに見える秘薬だ! 面喰いの高慢女! お前にふさわしい罰だ」
フードを暴かれ露わになった、男の歪んだ笑い顔を見て、シェリはぎりりと唇をかんだ。即座に思い浮かぶ男の名前。ロラン・ニュネ。それなりに高貴な血筋の、何度か夜会で会ったことのある男だった。
ロランは夜会で初めてシェリの顔を見たとき、一切の動きを止め、顔を赤くしてシェリを見つめつづけた。人から向けられる好意には慣れていたはずのシェリが戸惑ってしまうほどに、それが人一倍伝わってくる男だった。全力で、体全体でシェリへの好意を露わにしていた。茹蛸のような顔でダンスの誘いをする様はほほえましく思わないでもなかったが、いささか振る舞いにスマートさが足りないように思えた。顔も、シェリの琴線をかすりもしない平凡な造作。シェリは早々と見込みなし、と見切りをつけた。期待を持たせてもてあそぶ趣味はなかったので、きっぱりと何度も断ったのに、ロランはめげなかった。顔を合わせるたびにシェリの側から離れず、美男子をじっくり探すことさえままならなくなり、ついにシェリは彼を冷たく突き放すことにした。
「いい加減にしてくださらない? 私、しつこい男性は大嫌いなの。私が誰だか分かっている? 花婿を顔で選ぶと公言しているシェリ・スィーラよ。あなたのお宅に鏡はあるのかしら。私の横に立つのにふさわしいのは、かの「少年」のように、この上なく綺麗で、優雅な男性と決まっているの」
シェリの怒気をはらんだ声、嫌悪感を露わにした眼差しに、ロランの顔はみるみるうちに青ざめていった。
それ以来、彼と夜会で顔を合わせることはなかった。
▽▲▽▲▽
ベリヤードとは、正体の知れない、裏町の魔術師。依頼人を気に入れば対価次第でどんな秘薬も作ってくれるのだという。シェリにかけられた薬は、複雑な術法で精製されたものらしく、他のどの魔術師に頼みこんでも、解呪薬等はとても作りだせそうにはない、とのことだった。父親はどんな手を使ってもベリヤードを探し出し、呪いを解く方法を吐き出させる、と息をまいていた。しかし富豪の力をもってしても、神出鬼没の魔術師はそう簡単には見つけだせないのだった。
体の他の個所にはどこも異常はなく、顔やドレスについた液の赤い染みもすぐに落ちた。あのドレスは二度と着る気にはなれないけれど。閉じこもっていても気が滅入るばかりなので、二週間ほどの静養の後いつも通り社交界には顔を出してみたが、そこに広がる光景にシェリはうんざりした。
細長いじゃがいも、つぶれたじゃがいも、でこぼこが多いじゃがいも……。色も濃い茶色から灰色に近いものまで色々だ。見た目の違いはあっても、じゃがいもはじゃがいもだった。洒落た服を着た数々のじゃがいもが令嬢と一緒に優雅にダンスを踊っている。悪い夢のようだった。
「大丈夫ですか。顔色が悪いみたいだけど」
人の輪をはずれ佇むシェリに、優しい声色で話しかけてくるのは、こぶりのじゃがいもだ。
「いえ……。少し寝不足なもので、ぼうっとしてしまって」
「奇遇ですね。私も今頭がぼんやりとしています。夢の続きでも見ているのかな。こんなに美しく魅力的な女性に出会えるなんて」
シェリの、美男をかぎ分ける感覚は鋭い。声を聞いただけで、この人はそれなりの美男子なのだろう、と予想がついた。しかし。唇をかむ。万が一でも、この人が自分の好みにそぐわない顔だったら? 不細工かもしれない、という疑念を抱いたまま夫婦になることなど到底できない。さらに、肖像画や自らのおぼろげな記憶、侍女や友人の評判を頼りに伴侶を決めたとしても、じゃがいもはじゃがいものままなのだ。美男と結婚することがゴールなのではない。心ときめく人と生活をともにし毎日鑑賞できなければ意味がないのに。結婚というものに、一切希望を抱けなくなりそうだった。かといって、伴侶探しを諦め修道院で神の花嫁になるなんて、じゃがいもの花嫁になるよりまっぴらごめんだった。
深いため息が出る。ため息とともに迷いも吐き出す。シェリは決断の早い女だった。
引き止める数々のじゃがいもたちの声を無視し、早々とダンス会場を後にした。次の日向かったのは、娘を傷つけたことに激怒した父が、ロラン・ニュネの罪状を十倍にしてぶちこんだ領地裁判所の地下牢である。父に頼み、彼との面会の手筈を整えてもらったのだ。
「本当に、厄介な薬をかけてくれたわね」
むっつりと唇を引きむすんだシェリの顔を見るなり、かびくさい檻の向こうの男は昏く笑った。
「僕の心を踏みにじった罰だ。君はじゃがいもを夫として悶々と一生を生きていくんだ。 じゃがいもの中から理想の顔を見つけられれば、の話だがな!」
「楽しそうなところ悪いんだけれど、私の結婚、ついさっき決まったところなの」
ロランは勢いをそがれた。
「顔がすべてな君が? じゃがいもの中から選べるのか」
いいえ、とシェリは首を振った。
「じゃがいもの中からは選ばないわ。あなたで我慢してあげる」
「は?」
「顔の分からないじゃがいもの殿方を選ぶくらいなら、あなたと結婚するわ」
「なっ」
おどろきに目を瞠るロランに、やはりこの男は気づいていなかったのか、とシェリは少し呆れた。
「おい、おい! 意味が分からない! じゃがいもで我慢できるのか? しかも、僕と? 君に呪いの薬をかけた張本人なんだぞ」
「あなた、じゃがいもじゃないわよ。あなただけが、まともな人間に見えるの、私にとっては」
「何だって」
「呪術師に、薬の材料として体の一部を渡さなかったかしら?」
「……確かに、効き目を強くするのに必要だからと言われて髪の毛を一房渡したが」
父が金を積んで接触した別の魔術師によれば、材料に体の一部を使うことで、その人間には効力が及ばなくなる呪薬もあるらしい。そう説明すると、初めて会ったときのように呆けた顔でシェリを見つめた。
「あの呪術師は、そんなこと、一言も。僕が依頼したのは、男がみんなじゃがいもに見える薬で」
「じゃがいも、なんてふざけた薬を引き受けるくらいだもの。趣味の悪いことをいくらでも思いつけそうだわ」
この男のことだ。きっと悲壮な様子で魔術師に、復讐したい女がいる、と言い募ったに違いない。それをただ単に面白がって悪戯を思いついたのか、それとも憎しみの下に燻るシェリへの恋情を哀れに思ったのか。どうでもいいことだけれどね、とシェリは小さくため息を吐いた。
ロランは自らの顔を触り、二の句を継げないようだった。
その造作は平凡。一般的に見れば悪くない部類に入るのかもしれないが、シェリの持つ高すぎるハードルを越えられなかった。しかし今となっては事情が変わってしまった。そして理想の相手がいなかったこれまでとは違い、決断に必要な状況は揃っている。いつ見つかるか分からない解呪薬をもんもんと待つのは嫌だった。
「だから、あなたで我慢してあげる」
「……我慢って。僕が、それを受け入れるとでも」
ロランは唸るように言った。
答える代わりにシェリがじっと見つめると、彼は真っ赤な顔で
「馬鹿な……」
とうめき、顔を覆ってしまった。
「……僕は呪術に頼り復讐するような情けない男だ」
「確かに、自分の望みが叶わないからといって相手に害を及ぼそうとする、逆恨みもいいところの、稀に見る最低の男ではあるわ。あなたと結婚するなんて、これまでの私であれば世界が滅亡してもあり得ない。でも、そのとき選びうるなかで最高の男性と添い遂げるという信念が私にはあるの。そしてあなたは、目と鼻と口があるという点から見れば、今の私の状況の中で一番美しく、「少年」に一番近い男性よ」
まわりがじゃがいもじゃあな、と男はぼやいた。
「……僕は罪人なんだぞ」
「罪状は取り下げたわ。あなたには選択権はもちろん、ぐだぐだと言う権利も一切ないから」
シェリの澄んだ声が地下牢に響きわたる。
そして、数日後には二人の婚約が正式に結ばれたのだった。
▽▲▽▲▽
厨房を通りかかったのは偶然だった。シェリは漂ってくる香りに足をとめた。数名のじゃがいも、もとい料理人達が今夜の夕食作りに勤しんでいる。その中の一人が、顔と同じものをつぶしていた。
「やらせてちょうだい」
シェリは気まぐれにこうやって使用人の真似事をしたがることがあった。料理人たちは苦笑しながらも彼女にボウルとマッシャーを譲る。
シェリはぎゅっぎゅっと茹でじゃがいもを押しつぶす。小さな頃から、じゃがいもはぱさぱさとした食感が嫌いだった。ロランが呪薬の効果として異性の顔の代わりとなるものにシェリの嫌いな食べ物を選んだのは偶然ではないだろう。出会った当時、彼は「あなたのことを知りたい」と、食べ物に限らずシェリの好きなもの、嫌いなものを懸命に聞き出していたからだ。だったら、じゃがいもなんて選ばずナメクジやムカデにしておけばもっとシェリを苦しめることができたというのに。色々と詰めが甘い男だと思う。
さらに無心にじゃがいもをつぶし思い出す。婚約から間もない、二人でお茶を飲んだ日のこと。ロランがシェリの白い手に自らの手を重ねてこようとした。
「誰が触っていいと許可したの」
びくりと手を寸前で止めたロラン。シェリとしても夫婦になると決めた以上、いつまでもつんつんとしているつもりもなかった。しかし、それらしいスキンシップをするには少々時間がかかりそうだと思っていた。だから、あの事件からまだ日は浅いのにどういう神経で触れようとしているのか、という気もあったし、彼がどんな反応をするか少しの興味で口にした言葉であった。彼は後ろめたさからシェリの想像以上に傷ついたようだった。その時の彼の表情にシェリの中の知らない何かが刺激され、さらに言葉のナイフを繰り出す。
「あなたは、じゃがいもではない、というだけで私に選ばれたのよ。思い上がらないでね」
ロランは何かに耐えるように膝の上で拳を握りしめた。反発心と罪悪感が見事に半々に同居した顔。シェリの背中は粟立ち、動揺を悟られないように尋ねた。
「そういえば、あなたは代償として魔術師に何を渡したの」
「……全財産」
「ぜんざいさん?」
「君の家の資産に比べたら大河の一滴だろうけどね」
無一文になる上、罪人として裁かれることもすべて覚悟の上だったという。
「そんなに私が憎かったのね」
「ああ。憎かった。君に言われた言葉が耳から離れなくて、夜も眠れなかった。僕のものにならないなら、誰のものにもなってほしくなかった。苦しみから解放されるには、君を傷つけるしかないと思った」
「まあ……」
「でも、聞いてくれ。憎いのと同じくらい、君のことが――」
「私も心から憎い。地獄に落ちてほしいくらい、恨んでいるわ」
彼が言おうとしていることを察したシェリはすべてを言わせずに、会話の続きをもぎとった。
ロランは顔を歪めて泣きそうな顔をした。みっともない、子供でもないのに。そう思う一方で胸が高鳴ったのも事実だ。
そしてまた別の日、シェリはロランを「少年」の元へ連れて行った。普段は王宮にある石像だが、期間限定で美術館で一般公開されていたのだ。
「見て。私の理想の人。綺麗でしょう?」
シェリのうっとりとした口調に、ロランは石像を見ないまま吐き捨てるように言った。
「石像の花嫁にでもなったほうがよかったんじゃないのか。僕なんかより何倍もましだろう」
「それも考えたの。王宮の下働きになって、毎日彼を磨く仕事を任せてもらえたら、死ぬまで幸せに過ごせるかもって。でも、あの冷たい輝き。彼は抱きしめ返してはくれないし、笑いかけてもくれない。彼の顔はこの上なく好きだけれど、やっぱり分け与えられるぬくもりは必要よ」
「僕だって、君が満足するようなぬくもりなんて与えられるかどうか」
「そうかもね。ちょっとした夫婦喧嘩で呪薬をかけられる危険性もあることだし」
ちらりとロランを見やると、案の定ぐしゃりと顔を歪めていた。
「でも温かいと思うの。少なくとも、石よりは」
一転優しい声を意識して言ってみれば、ロランはこれまた想像通りさらに苦悩の表情になり、両手で顔を覆った。シェリは彼の両手をはぎ取っていつまでもその顔を眺めていたい、とさえ思ってしまった。
なぜ、彼の表情にこんなに心がざわめくのだろう。そういえば、とシェリは思う。見込みなしと思えば直ちにその男の顔と名前はシェリの脳内から消えてなくなっていたというのに。あの時の、夜会でロランを傷つけたときの真っ赤に歪んだ顔だけはなぜか即座に思い出すことができた。彼以上の魅力的な顔を持つ男性は世にごまんといる、と以前は思っていたけれど。周りがじゃがいもだから、感覚が麻痺してしまったのだろうか。とにかく、シェリが選んだ伴侶は、石像の少年に覚えたときめきとはまた別のものを与えてくれて、シェリの毎日を潤してくれそうだ。
考えことをしながら執拗なほどにじゃがいもを潰しているシェリの姿に思うところがあったのだろう。料理人が遠慮がちに声をかけた。
「お嬢様、望みは捨てちゃいけませんよ。きっと見つかりますよ、魔術師」
「そうね……」
上の空で答える。魔術師がもしも見つかったら、頼むのは解呪薬ではなく、周りの女がみんなカボチャに見える薬にでもしようか。そんな馬鹿げたことを考え、シェリは小さく笑った。




