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「奥方様、殿下が戻られましたぞ、今、城門を潜られて城下へと入ってまいられました」


 屋敷のバルコニーから外を見ていた騎士が指さしながら叫んでいるのに呼ばれ、机で手紙を読んでいたアリシアはゆっくりと顔を上げてそちらへと視線を向ける。


「はいはい、そんなに叫ばなくても、聞こえてるわよライツ」


 彼女が男爵令嬢になった時から、専属の護衛としてレーングルに付けられた騎士は、彼女の正体を知る数少ない人物の一人であるためか、ついアリシアの言葉遣いも軽くなってしまう。


「そうは言いますが、半月ぶりの御戻りですよ。まして今回は侵略者の軍勢相手に大勝利をおさめた凱旋ですよ」


 街の方から聞こえる歓声に興奮したのか普段よりも高い声で言ってくるライツに、アリシアは鏡の前に移動して幾つかの装飾品を手早く纏いながら答える。


「凱旋って、あの人が遠征から帰って来る時はいつも凱旋じゃないの、戦いに出れば毎回毎回勝って帰って来る、常勝不敗の名将なのでしょう」


「だからこそ、皆が皆こぞって殿下を華々しく迎えるのではないですか、ディリスの脅威にさらされている今の南方域の者達にとって連戦連勝の殿下の存在は希望その物なのですから、だからこそ、誰もがあのような喚声を上げて殿下の無事な帰還を喜んでいるのですから」


 窓の外から響いて来る喚声を指さしながらライツが振り返ると、装いを整えたアリシアが立ち上がって嫣然と微笑む。


「それじゃあ、みんなの期待に応えてわたし達も舞台に行くわよ、英雄を迎える美女の役をやるために今日はいつもよりお化粧とおしゃれに気合を入れたんだから。ヒーローとヒロインそれが皆を昂らせる解りやすい劇なんだろうから。まあ私なんかじゃ本当は役者不足なんでしょうけれど」








「またこんなに飲んで酔いつぶれてしまって、いくら戦勝祝いと言っても、いつもいつも飲みすぎよ。体が資本の軍人がお酒で酒を壊すなんてなったら笑え無いわよ」


 乱れた衣服のままでベットの上に崩れ落ちたレーングルに水の入ったコップを差し出しながら、アリシアが呆れたような声を上げる。


 先ほどまで続いていた将兵達との宴席でレーングルは注がれるままに酒を飲み続け、最後にはアリシアに支えられて寝室へと戻っていた。


「ふん、久しぶりに屋根の下で過ごせるのだ、酒くらい好きに飲んだってかまわないだろ、どうせあと数年しか使わぬ身体だ、酒で壊れるより先に剣で首が無くなるさ。それに俺が奥に引き込んだり暗い顔をしていれば将兵も民草も不安に思う事だろう。俺に戦の疲れなどなく、南方防衛の要は安泰であると示す為にも、俺はああして豪快に飲み食いをする必要が有るのだ、これも公務の内だ」


 差し出されたコップを受け取ろうとして、レーングルが手を滑らせ、こぼれた水が絨毯に染みを作る。


「まったく、言ってる事だけは立派だけれど、その結果がこうして潰れているんじゃあ情けないだけじゃない。これが百戦百勝と言われる救国の英雄だなんて、他の人にはこんな姿は絶対に見せられないわね。市井では貴方にあこがれる若い娘が多いというのに、こんなだらしない様子を見たら呆れて百年の恋も冷めてしまうんじゃないかしら」


「ふん、救国の英雄だと、そんな物はしょせん幻想だ、戦意高揚のための虚名にすぎん。俺が百勝してもディリス軍は我が国から決して居なくなりはしない。何しろ俺が一つの村を取り返す間に奴らは三つの村を奪い取り、一本の街道を進む敵を押し返せば、別な街道数本を同じ距離だけ進軍される。大局的に見れば我が国は今も追い込まれているだけで、こんな状況を勝っているとは言わない。俺がやっている事はどれほど言葉を飾っても時間稼ぎにすぎないんだからな」


 再び差し出された水を受け取り、それを呷ったレーングルが自嘲気に話すのを隣に座ったアリシアがコップに追加の水を灌ぐ。


「といっても貴方にしかできない時間稼ぎでしょう。四年前、貴方はどれほど遅くても五年後にはこの地はディリスに奪われていると言ってたけれど、今なら後数年は持ちこたえる事が出来そうだもの。それだけ皆が逃げる用意を進める事が出来てるのでしょう。ただ必要最低限の家財道具を台車に詰んであてもなく北を目指すのと、日数を十分にかけて新天地を捜し必要な手配を終えてから旅に必要な物資を調えて家族を呼び寄せるのでは雲泥の差でしょう」


「それは、そうかもしれぬが、その場しのぎの悪あがきでしかないのは変わらぬ。たとえ一年後が三年後に延びようと、我が国が負ける事と俺が死ぬ事は変わらないのだから。お前もいつ何が有っても良いよう、逃げれる用意は常にしておいた方が良い、俺が死ねば未亡人として幾らかの財産を相続でき、修道院で無く王宮の一角で過ごせるように取り計らってあるが、それも命あっての物だ。いっその事、今のうちから王都に別宅を用意してそちらへと移るか、それならば危険はないだろうから」


「何を馬鹿な事を言ってるのよ、戦火に立ち向かう悲劇の英雄なんて名場面をこんな近くで見られてるっていうのに。せっかくの席を私から取り上げるつもり」


「そうだったな、お前にとっての娯楽は俺達の姿を見る事だったか、人の人生も、国家の興亡もお前にとっては劇の内か」


「そうよ、だから私はずっとここに居るの。ほら、もう早く寝なさい、疲れてるのに飲みすぎるからそんなつまらない事を考えるのよ。数日はゆっくりして疲れを取ればもう少しましな考えになるわよ」


 アリシアが手早くレーングルの服のボタンをはずして服を脱がせ、古傷の並ぶ体へ毛布を掛けていく。


「いや、ゆっくりはできない、あさってには次の遠征に向かうからな明日の内に必要な手配を済まさねば」


「そんな、やっと帰って来たばかりだというのに、少しは休まないと体を壊すわよ」


「そうは行かない、先ほども言った通り今この時もディリス軍は北上し多くの民衆が命の危機にさらされているのだから、何よりここ最近奴らは西南部のトリム近辺への攻勢を強めている、俺が行かねばあの街は持ちこたえられぬだろう。そうだ今夜のうちに書類を用意して置けば……」


 眠気と酔いを醒ますかのようにレーングルがサイドテーブルに置いてあったコップを掴み、中の水を直接自分の頭にかけると、アリシアがタオルを手に取ってすぐに拭きだす。


「いきなり何をしてるのよ、ベットをこんなに濡らしてもう。たしかトリムって、ディリスが欲しがっている港湾都市だったかしら」


「ああ、奴らは西海の多島海域の島々を植民地として支配下に置いているが、それらの領地への影響力を今以上に強めるために、より多島海域へ近い場所に軍港が欲しいのだ。それにあの港とレダ川、それに南岸地域一帯を抑えれば、水路と陸路で多島海域の物産をより早く帝都へ送れるようになる。それだけでディリスの国庫は今まで以上に潤う事となろう」


 だからこそディリスは北上を諦めはしない、小さく呟いたレーングルにアリシアが眉をしかめてベット上に押し倒し、更に体の下に手を入れてベット上を横へ転がす。


「ほらほら、さっきも言ったけど寝る時くらい難しい事を考えてないでゆっくりしなさい、今日はもうお仕事は御終い。そんな事ばかり考えていると夢の中でまで戦争の事になっちゃうわよ。それよりもシーツを変えるから退く、のは無理だろうから、せめて濡れて居る所にタオルを敷くからそっちに寄ってちょうだい」


 厚手のタオルを用意してシーツの下にと手早く敷いて行く。


「随分と手慣れているな」


「元娼婦を舐めないで、行為のせいでベットまで汚すとその分のお金を宿に取られるから、こうしてシーツの下に布を敷いておくのよ」


「そうか、そうだったな、お前がこうして貴族としているのが普通に感じていたから忘れていた」


「誰だかさんは、結婚したって言うのに自分の妻にすら一度も手出しできないほど忙しいみたいだから、それが原因で忘れてるのかもしれないけれど。そう言えば聞いた、あの子、また出世したらしいわよ」


 アリシアの言葉に、レーングルの表情が歪む。アリシアの言う『彼女』が誰を差しているのかすぐにわかったのだ。


「貴方に追い出されてそのまま準王族待遇でワーネルに招待され、官僚になって四年しか経っていないっていうのに、もう五人しかいない副宰相の一人になるだなんて、いくら国王の姪とは言え早すぎよね」


「彼女は多才だからな、我が国にいた頃も政務官として幾つも功績を上げていたものだ。天は二物を与えずと言うが、彼女に関してだけは間違いで有ろう。俗物共は彼女の美しさしか見ようとせぬが、彼女の慈愛に満ちた心根はもちろん、内政や外交、商業どれにおいても十分な結果を上げられるほどの見識を有している事こそが彼女の本領だ。万能の天才とは彼女の事を言うのであろう、四年で副宰相と聞いてもとうてい驚くには値しない」


 うれしげな微笑みを口元に浮かべたレーングルの顔を見て、アリシアが面白げに笑いかける。


「あらあら、昔の女の事でわたしに惚気てるつもりかしら、自分で捨てた相手だっていうのに随分と身勝手な事ね、まだあの子の事が忘れられないの」


「惚気だと、そんな訳ないだろう。そもそも忘れられぬも何も俺が彼女に会う事はもうありえない。俺はこの南方の地で死ぬまで戦い続けるだけで、北方に居る彼女に今生で会えようはずはない。いや、そもそもあのような仕打ちを仕出かした俺が彼女の前に立つ資格など、たとえ生まれ変わった先だとしても有りはせぬのだから」


 ベットに横たわったまま、うわごとのように呟くレーングルの言葉に、アリシアは何かを思い出したかの用に笑みを浮かべた口元に手を当ててながら言葉を紡ぐ。


「そう、それじゃあ、この話をしても大丈夫ね。ワーネル国ではあの子の美しさに目のくらんだ求婚者たちが、毎日邸宅の前に贈り物を抱えて列を作っているそうよ。上は王族から下は平民上がりの騎士や官吏たちに至るまでより取り見取りらしいわよ。泥と汗にまみれた誰だかさんや、旦那様に見向きもされない何処かの奥方様とは違って青春を謳歌しているようでうらやましいわね」


「なんだと、その話はまことか」


 酔いの回った体をふらつかせながら上体を起こしたレーングルを見ながらアリシアが笑い出す。


「あら、ついさっきあんな事を言っておいて嫉妬かしら、男の人は別れた女でも自分の物だと思い込んで何時までも執着すると聞くけど」


「馬鹿な、そんな事を思う資格すら俺には無いという事は、お前が一番よく知っているだろうが、公衆の面前で彼女にあれだけの仕打ちをした張本人が、彼女の事を想うなどと、そのような事が許されるはずがない。彼女には彼の地でより良き伴侶を得て幸せになってくれればそれでよいのだ」


 再び寝台の上に体を横たえながら小さな声でつぶやく。


「ただ、俺が望むのはその相手が彼女に十分に釣り合ったふさわしい男であってほしいと言うだけだ。かの国の王族たちは女癖が悪いと聞くし、貴族達の中には家柄や顔のみしか誇る物が無く、頭の中は利権の事を除けば空っぽな者も多い。平民上がりの者は上昇志向ばかり強く、彼女の事を栄達の道具としか思っていないかもしれぬ。そういった者共では、彼女の隣に立ち続ける度に劣等感を感じるようになり、気後れから彼女をないがしろにしかねない」


 レーングルの言葉に、アリシアの口からため息が零れるがそれに気づくことなくレーングルは続ける。


「彼女にふさわしいのは知勇を兼備した文武共に優れた偉丈夫である事はもちろん、彼女の事だけを想い続ける一途さと優しさを備え、なおかつあの美しさと共にいても見劣る事の無い気品が無ければならぬ」


「それは一体どこの物語の主人公かしら、そんな出来すぎた完璧な人間が実在する訳ないじゃない、それとも貴方はかつての自分がそうだったとでも、あら」


 アリシアが視線を向けるとレーングルは既に寝息を立て始めていた。


「あらまあ、自分の言いたいことだけを好き放題に言って、そのまま寝てしまうなんて、いつもいつも勝手な人ね。しかも元娼婦でいつでも手出しできるこんないい女がすぐ目の前に居るっていうのに、いつもいつも放置して寝ちゃうだなんて」


 静かに笑いながらレーングルの枕元に腰かけたアリシアが、優しく頭を撫で上げると、伸ばされた逞しい手が繊手を掴む。


「ミリ、アム……」


「ほんとに、馬鹿な男」


 起こさないようにゆっくりと手を外したアリシアはそのまま机へと移動し、いつものように手紙を書き始めた。


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