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「い、今なんと仰られたのでございますか、レーングル様」


 殆ど紅が差されていないにもかかわらず艶やかなか赤みを湛えた唇から、震える声が零れる。


 汚れ一つない白磁のごとき肌は、夜会の熱気と愛しい婚約者を前にした高ぶりで先ほどまではほんのりと桃色に染まっていたが、今では青ざめてしまい、まるで精巧に作られた人形のように生気を感じさせなくなっていた。


 北方の大国ワーネル王国の貴種である銀狐族の血統を強く引くことを示す白銀の髪は、艶を失ったように取り囲む人々の目には見え、同色の毛皮に覆われた尾も力なく床に垂れた。


「同じことを何度も言わせるな、貴様との婚約は今日この時をもって破棄する」


 黄金色の髪を湛えた青年が先ほどと同じ内容の言葉を繰り返すと、絹製の白手袋に包まれたしなやかな指から扇子が零れ落ち、絨毯の上に落ちるほんの僅かな音が周囲に響くことで、いつの間にか場が静まり返っていたことを改めてその場に集まる貴族達に気づかせた。


 第二王子の17の誕生日を祝うために曲を弾き続けていた王立楽団は演奏をやめ、南方戦線での激戦などまるで別な世界での事のように歓談に興じていた貴族達も黙り込み、その場に居たすべての者達が、互いに向き合う数人の男女を遠目にみつめる。


 グリア王国の王宮にて盛大に開かれていた夜会は、開始直後に主役であるはずの第二王子の言葉でぶち壊された。


「貴公、聞かれましたか、今の殿下のお言葉を、レーングル殿下は確かに今、婚約破棄と述べられたのか」


「まさか聞き間違いでは、いやこれは何かの余興ではないのか、レーングル殿下が、ミリアムさまに向かってあのような」


「まさか、あの噂は真だったのか」


「殿下の後に居るあの娘、いや御令嬢が例のアリシア嬢か」


 王子の言葉の意味が周囲へと浸透しだすと同時に、貴族達の間にざわめきが広がり、王子の背後に守られるように立つ小柄な少女へと視線が集まる。


 その娘に関する噂自体は一年近く前からあった。


 第二王子とその近しい貴族令息たちが一人の男爵令嬢に入れあげているという話であったが、ほとんどの貴族達はその噂話を茶会やサロンを彩るとりとめのない笑い話の一つでしかないと判断していた。


 爵位持ちの貴族とはいえ男爵はその最下位であり、ましてアリシアはその末子、それも当主が下女に手を付けてもうけた庶子でしかなく、噂では二年前に父親である男爵に認知されるまで、貧民街の片隅で春をひさいでいた母と共にその日暮らしをしていたという、貴族どころか平民以下の無教養な娘とのことであり、事もあろうに王国内で最も尊い血筋の王子とその補佐を行う名門の貴公子たちが入れあげるなどあり得ないと言われてきた。


 更に貴公子たちの筆頭である第二王子には幼い頃より定められた婚約者がおり、その相手は北東の友好国リウリア大公国の第一公女ミリアムである。


 リウリア大公を父に、北方の雄と呼ばれるワーネル王国の王姉を母に持つ高貴な血筋であり、大輪の白薔薇と例えられる美貌と、王国の執政官たちですら舌を巻くほどの政務への見識を誇る才媛。


 到底、田舎貴族の泥臭い小娘がかなう筈もなく、すぐに飽きられて捨てられるか、貴公子たちの誰かがお情けで側室の末席に迎え入れるかするのだろうというのが、大半の貴族達の予想であり、幾つかのサロンでは、彼女がいつ捨てられるのか、誰が引き取るのかと言った内容の賭けすら行われていた。


 ほとんどの貴族達が予想すらしていなかった結果を見守る中で、ミリアムはやや目じりの上がった眼を上げて、レーングル王子たちを見つめ返す。


「理由を、理由をお聞かせ願えませんでしょうか、突然のこのようなお言葉を聞かされても、あまりの内容に到底信じる事が出来かねます。どうか思い直してはいただけないでしょうか」


「理由か、理由ならば自分自身が一番よく知っているのではないか、よくよく自らの罪業を思い返してみると良いだろう」


 目に涙を浮かべて、縋りつこうとするミリアムをレーングルは大きく手を振って振り払う。


「つっ、わたくしの罪でございますか、一体何のことか到底わかりかねます」


 振り払われた勢いで床に座り込んでしまったミリアムが見上げて来るのを、冷たく見下ろしてからレーングルが背後に居る男爵令嬢を振り返る。


「貴様がアリシアに行ってきた仕打ちの数々を忘れたと申すか。夜会や茶会などの貴族たちの集まりからアリシアを締め出したではないか、貴族たる身が社交界から締め出されれば、社会的には死んだも同じ、貴様はそれを知っての上で、各貴族家と申し合わせ彼女を締め出したのであろう。特に俺か貴様が出席する席では徹底してだ」


 その言葉に、周囲を取り囲んでいた貴族達の何人かが王子の勘気を恐れて、青ざめた顔を伏せながら人混みの後ろの方へとさりげなく下がっていくのを眺め、その様子を鼻で笑ってからレーングルが足元へと視線を戻せば、数名の令嬢が駆け寄ってミリアムを助け起こそうとしているのを見て、不快げに鼻を鳴らす。


「貴様ら、その罪人をかばうか」


「そうではございません、ただ殿下に有られましては思い違いが有られるようですので、どうかミリアムさまのために釈明をさせて頂ければと」


「俺が思い違いだと、どういう事だ」


 真っ先に駆け寄った赤毛の令嬢が、起き上がったミリアムのドレスに付いたほこりを払ってから、レーングルに向き直ろうとするのをミリアムが片手を上げて止める。


「キリア様、わたくしを助けようとなさってくださってありがとうございます。ですがわたくしの釈明はわたくし自身で行うべきかと思いますので」


 一歩前に出たミリアムは、自分の周りに集まっていた令嬢たちへ微笑みながら一礼すると、先ほどまでの悲しげな表情とは打って変わったように、凛とした目付きでレーングルへと向き直る。


「確かに、我が大公国公館は、わたくしが主催する茶会へのアリシア嬢の出席希望を却下いたしましたし、わたくしが親交のある各家より、茶会や夜会にアリシア様を出席させてもよいかとの問い合わせが有った場合には、熟慮した上で招待する特段の理由が無ければ丁重にお断りすうよう、お願いをしていました」


「見た事か、女狐めが」


 自らの言葉で貴族達の騒めきが大きくなったのを、レーングルは煩わしげに睨みまわす。


 公的な場で種族をあげつらうような物言いをするのは本来であれば非礼の極みであり、その言葉を発した者の見識を疑われてもおかしくはない事なのを、言外に指摘されたように感じたのか、不快に感じたざわめきを舌打ち混じりに周囲を見回す事で黙らせると、収まったざわめきへと被せる様にミリアムが言葉を続ける。


「ですが、その判断にいたしましても誰に憚る事もない正当な理由がありますれば」


「正当な理由だと、戯言を申すな、貴様は私情からそう命じたのであろうが」


「茶会にしろ夜会にしろ、各家のサロンにはそれぞれの格というものがございます。今宵のように全貴族家が一同に集う場ならばともかく、そうでなくば公爵家は同格の公爵家や侯爵家と、男爵家ならば子爵や男爵家と交流を持つ物。例外があるとすれば、縁戚関係のある家同士であったり、所領が近く定期的な会談が必要な家同士の場合、でなくば何処かの派閥に属する家が同じ派閥の家々の交流を目的とした会を主催した場合くらいの物です」


「それがどうした」


「アリシア嬢のデコイ男爵家の属する派閥の長はゴート伯爵家の筈、でありながらアリシア嬢はゴート家や他の子爵家、男爵家の主催する席には参加なされず、我が大公家を始めとした公爵家や侯爵家、更には畏れ多くも王族の方々の主催する席にまで出席希望を出す始末。縁もゆかりも無い男爵令嬢の参加希望など、たとえそれが誰であれ却下されて当然のこと、それどころか、どの御家も王子殿下に気を使われて、婚約者であるわたくしに一応の問い合わせまでしてくださったというのに、無理御通して受け入れるように等と言えるのでしょうか。本来であれば上級貴族家を侮ったと報復措置を取らなかっただけ、ありがたく思ってほしい位でございましょう」


 ミリアムの言葉に、レーングルが顔色を赤く染めて怒鳴り返す。


「な、それであってもアリシアの希望ならば特例で通すべきではないか、彼女は俺の……」


「殿下のなんでございましょうか、殿下の婚約者はこのわたくしであり、そちらのアリシア様は私的な御友人でしかないとうかがっております。ならば特段の事情は無いかと、当家の催す席には、公爵家の御令嬢方はもちろん、王女殿下や国賓であられる周辺諸国の大使令嬢もご出席なされています。そのような席に家格で大きく劣る方を同席させては、他の出席者の方に無礼というもの、まして身元のはっきりしない方となれば、賓客の方々の安全にもかかわります」


「アリシアの身元が定まらぬだと、貴様何を言うか」


「男爵令嬢とは言いましても、御当主が使用人との間にもうけた庶子、それもつい二年前に認知するまでは貧民街で生活されていたとか……」


「ミリアム、貴様は生まれや育ちで人を差別するのか、我が婚約者であったとは言えそのような物言い容赦はせぬぞ」


 激高したようなレーングルが前に出ると、彼の背後に控えていた他の貴族令息たちも威圧するように数歩前へ出る。


「王族や高位貴族族としてさまざまな特権を享受されている方々が、身分制度に関してそのような事をおっしゃられても説得力がありませんわ。わたくし達貴族は民衆の税を吸い上げて生きている以上、国や民の事を考えて行動するのは当然の事。我が公館のサロンは令嬢達を通じて各国や貴族家諸領との繋がりを作り国益へと繋げる外交の場であって、成りあがりの方が箔を付ける場ではございません。またそのような場であるからこそ、全く面識のない安全が確証できない方をお入れする事は出来ません。アリシア様が本当にわたくしのサロンへの出席を期待されるでしたら、男爵家を発展させて影響力を高めるなり、格の近いお家のサロンで実績を積み重ねるべきではありませんか」


 ミリアムの言葉に、離れた所で耳を傾けていた貴族達が小さく頷いているが、レーングルはそれが見えていないのかさらにミリアムの方へと近づく。


「その実績や影響力を手にするために、貴様らのサロンへ行こうとしていたのだろうが、それを無碍も無く断るとは、結局貴様はアリシアに嫉妬しているだけであろうが」


「何事にも順序と言う物が有ります、幼虫や蛹を経ずに卵から直接蝶になる事は出来ず、短期間で荒れ地を都市とする事は出来ませぬ。それは人も同じ事、必要な手順や期間、教育や経験の積み重ねを経ずに、現状の能力に合わぬ立場に付けばそれは御本人のみではなく周りにも不幸となりましょうし、そうなれば他の者の妬みを買う事ともなりましょう。そうなればアリシア様の為にはなりませぬ、将来殿下の御側室に入られるであろう彼女の為にもわたくしは、手順を護っていただけるようにと……」


「もういい、貴様の詭弁は聞き飽きた、妬ましい相手を陥れる為だけの行動であってもそのように自己弁護が出来るとは、結局全ては貴様の為であろうが。貴様がどれだけ言い作ろうとも、俺の結論は変わらん、貴様との婚約は今宵をもって破棄する、大公国の大使には明日中にその旨を記した書状を使者に持たせる。そうなればこの国に貴様は用済み、早々に大公国へと帰るなり、ワーネルへ行くなりするがよい」


 赤い顔でミリアムを睨み付けていたレーングルが、それだけを言ってからミリアムに背を向け、広間の外へと足を進める。


「レーングル様、わたくしは貴方を貴方様だけをお慕いして居ります、これまでの行いも全て彼女の行いが殿下の不利益とならぬよう手順を踏ませるため、貴方様のお望みで有ればどのような事でも致します。ですからどうか、どうか御翻意を」


 レーングルの背中へと駆け寄ろうとしたミリアムが、アリシアの周りにいた貴公子たちに阻まれながらも必死に手を伸ばすが、レーングルは足を止めただけで振り返えろうとはしない。


「俺が貴様に臨むことはただ一つ、俺の前から、そしてこの国から早々に消えることただその一事のみだ」


 それだけを言い放ったレーングルは再び歩き出しそのまま広間の扉へと向かっていく。


「殿下、殿下、わたくしは諦めません、たとえどのような歳月が過ぎ、どのような手を尽くしてでも、必ずや、必ずや再び殿下の下へ……」


 ミリアムの叫び声が聞こえていないかのように、変わらぬ歩調で広間の外へと出て行ったレーングルの背中が消えると、耐えきれなくなったかのようにミリアムはその場へと崩れ落ち、取り押さえていた貴公子たちが手を離した後も取り囲むように立ち、顔を伏せたままのミリアムを見下すようにアリシアが近づく。


「馬鹿な女」


 それだけを呟いたアリシアは、レーングルを追うように広間を後にした。



こんにちは、悪役令嬢物や婚約破棄物を呼んでいて自分でも挑戦してみたくなりました。


短いお話ですがお使いいただければ幸いです。

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