放課後、音楽室の君
放課後に通る道が音楽室に面していて、必ずと言っていいほどの確率でピアノを弾いている音が聞こえてくる。
誰が弾いているのかは勿論のこと、何の曲かも分からない。
音楽のことはさっぱりだが、その音色は何となく好きだった。
名前を知らない曲を好きになるとは。
歌詞もないそれでは、どんな曲名なのか、曲ジャンルはなんなのか、調べることすら叶わない。
一体誰が、どんな人間があれを弾いているのだろうか。
あの音楽室への扉を開ければ、きっと分かるはずだ。
そう思った翌日、こっそりと重い扉を押し開けた。
防音性、なのだろうか。
廊下を歩いている時に聞こえるので、防音とは少し違うが、扉は厚く重い。
覗き込んだ音楽室はがらんとしていて、人影はなかった。
あの弾き手は今日は来ていないのか。
いや、もしかするとこの後に来るのかも知れない。
一瞬迷ったが、そっと足を踏み入れたその教室は、普段授業で使っている時とは雰囲気が違うような気がした。
放課後で室内が茜色に染まっているからだろうか。
柔らかなオレンジ色を反射させるグランドピアノに歩み寄り、鍵盤蓋を持ち上げる。
手入れの行き届いた白鍵と黒鍵が現れた。
好奇心のように指を伸ばし、白鍵を押し込む。
小さな音が音楽室に響いた。
幼い頃、自宅にはオルガンがあり、姉の背中を眺めていることが多かった気がする。
朧げなフレーズを思い出しながら、辿々しく鍵盤の上に指を滑らせた。
突っ掛かりそうになる度に、笑いが込み上げる。
到底、あの弾き手とは釣り合わない演奏が終えると、扉の方からパチパチ乾いた拍手が聞こえ、ハッと顔を上げた。
立ったままピアノに触れていたので、顔を上げただけでそこに立つ人物が見える。
綺麗に切り揃えた前髪を左へ流し、肩口まで伸ばされた後ろ髪を揺らして笑う女子生徒がそこにいた。
指定の制服を身にまとい、下ろしたヘッドフォンが首元にぶら下がり、そのコードが制服のポケットまで伸びている。
「素敵だったよ。君、ピアノ弾けるんだね」
上履きのラインの色が、俺の上履きと同じだった。
柔らかく嬉しそうに楽しそうに笑いながら、膝上のスカートの裾を翻し、歩み寄って来る。
リノリウムの床を、上履きの叩く音だけが響く。
その姿が、あの帰り道に響く音と似ているような気がして、俺は「あぁ、彼女なのか」と直感で思った。