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乙女たちの戦い

破魔の姫君~婚約破棄は前提です~

作者: さくら比古

連載再開のためのリハビリ小説です

今更婚約破棄?は言わない約束で…お願いいたします

 暗雲が王国の要である王都アダルバルドの上空を覆い尽くさんと膨れ上がってゆく。

 王城近くの高位貴族が居を構える屋敷街では、急激な天候の変化に道行く者達が己が信心する神の名を唱えつつ足早に行き交う姿が見える。


 1つの屋敷ではその様を見下すその屋敷の主の姿が在った。

 くすんだ金髪を秀でた額に垂らした若いその姿は、己が一族の命運と王国のそれを背負っているとは思えぬ温和な青年に見える。

 主は1つの報を待っていた。

 それこそこの王国の未曽有の危機を予言された一夜からの、己が持つ手の全てを使った事柄についての報せなのだ。じっと待つその時間は忍耐強い者にも辛いものだった。


 すうっと主の視線が部屋の扉に向けられる。

 この屋敷の使用人が主である自分にその存在を感知させる様な愚は犯さない。

 奥まった場所にある主を始めとする公爵家の人々が暮らす部屋以上に、堅牢な結界が敷いてある屋敷の前庭から近いこの執務室にもそれは強力な結界が敷いてあるので、公爵である主を害そうとする者も存在できない(・・・・・・)

 なればこの気配は待ちに待った報だろうと、主は居住いを正す。

 程なく扉は入室の許可を取った使用人の手で開け放たれた。


「お待たせいたしました閣下」

 礼を取り黒一色の貴族服を着た男が入室そうそう主に詫びを入れる。

 主は鷹揚に頷き男に椅子を勧めた。

 王国内での王家に次ぐと言われる身分を持つ者としては、派手なものを好まない性格が反映している調度はグッと色味を穏やかなものに抑えられている為、迎え入れられる者に緊張を強いない。

 男も慣れた動作で勧められた椅子に座り、前置き無く報告をするようだった。


「本日鷹の刻(午後3時)、王家青の間よりの一報。国王正妃両陛下の第一子である王子誕生。情報の正否は確認しております。

 それに伴いアウグ家に於いてミルア様により占が下されました。

 北東より禍々しき者生まれ出でたのこと」

 善き報せと悪き報せだった。

 報告者には王家に寿ぎの使者を手配するようにと告げ、男は恭しくも部屋を辞していった。

 一人になりたいのだと言われなくとも男には理解できた。斯くいう自身も身の内から湧き出てくる怖気に居ても立ってもいられず、下命が下ったことを幸いに辞してきたのだから。


 男が辞して暫く、思いに耽る主にこの屋敷の女主人である妻の訪いが告げられる。

 貴族同士の結婚とは言え幼い頃からお互いを知る同志の様な妻は、それらを置いても愛するに充分すぎる存在だ。だが、面倒なことに高位である身分が親しき者にも礼儀と言う水臭い慣習を強いるのだ。

 妻が夫と会うのに何故他者を介さねばならないのだろうか。

 それも股肱の臣とも言える側近や奥向きの使用人以外の表向きの使用人が居る前では仕方のないことではあるのだった。


「閣下。お邪魔をしてもよろしいでしょうか」

 控えめに普段は愛称で呼び交わす妻の問いかけに、鹿爪らしく咳払いし『諾』と応じる。

 茶器が用意され使用人が下がると、主の気が変わった。


「ナリア。もう歩き回って良いのか。

 いくらフレドがまだ小さいとはいえお前の体に負担は無いのか?」

 公爵夫人は公爵家の第一子である生後十日になる乳児を抱き良人()を訪っていた。

 すやすやと眠る我が子を抱き、華奢に見えるが母になった妻は強かった。

「平気ですわ。フレドは大人しい良い子ですもの。

 それに羽のように軽いのですよ。ほら父様抱いてあげてくださいませ」

 喜んでと相好を崩し我が子を抱く主は妻の言うように我が子の軽さに目を瞠る。

 大丈夫かと声に出す瞬間、ずっしりと腕の中の我が子が重みを増した。


「これはこれは…我が子は魔力が高いらしい。

 どうも言葉が理解できるようではないが、本能的に感じることもできるようだ」

 夫の言葉に妻が首を傾げるが、主の視線が厳しくなるのを感じ息を呑む。

 痛切な何事かに夫である公爵は苛まれている。表向きに口を挿むことは無いが、これは自分達にも関わることだと直感していた。


「ナリア、聞いてほしい」

 真剣な瞳に、妻も居住まいを正した。

 聞く姿勢となった妻に夫は2つの事柄を語る。

 曰く、将来の国王となる王子が生まれたと。

 曰く、これより後に王子と我が子の婚約が成立するだろうと。

 夫から聞かされる話に妻は息を呑みこんだ。

 震える声で夫に問い掛ける。


「貴方…ラス、でもフレドは」

 震える妻に夫は優しく髪を撫で懇願するように語る。

「これから話すことはフレドやナリアにとって非情な事柄だ。

 夫として父として私は失格だろう。だが、私はこの国を民を護るが本分である貴族の筆頭として、『礎の子孫』としてやらねばならぬことなのだ。

 そしてやり切らねばならないのは我がいとし子なのだ。

 変われるものならば変わってやりたい。辛い使命をこの子にと思うと、胸が張り裂けそうなのだ」


 目の前で微笑みつつも苦しむ夫に、妻は決意する。

 腹を痛めて産んだ子だ。愛しく無い筈がない。夫も然り。

 その身にこの国という重い物を背負った夫が自分と子供に助けを求めている。子も、自分たち二人の子だ。きっと解ってくれる。

 フレドは我が子、犠牲になどしない。私が護ってあげるから。呟きは口の中だけで、妻は微笑み夫を見上げた。


「私はナリアド・ジルバ=ミュレンフォードです。この子もフレド・アルシア=ミュレンフォードですわ」

 その答えに夫は感謝の言葉を返すことしか出来なかった。

 その日(・・・)に至るまで、公爵家の陰日向に渡る忠誠と献身の日々が始まったのだった。

 

 















「君との婚約を破棄したい」

 強い意志を乗せた眼が真っ直ぐと私を捉えています。

 周囲を取り巻く生徒たちの環はどよめきを発し、一部の好戦的で嫌悪に充ちた視線以外は、衆目の中で高い身分の人間が犯した騒ぎに戸惑いと私への同情を投げ掛けてきます。

 そのどれもが私には相応しくありません。

 この王国の礎を築いた公爵家の血筋であるこの私フレド・アルシア=ミュレンフォードには。


「どう云う事か説明頂けるでしょうか、殿下」

 対する婚約破棄を伝えた男性、殿下と敬称が付くからには勿論王族の方です。

 私とは政治的結びつき故に5歳から婚約を結んだ方。このイリギウス王国に於いては国王陛下に次ぐ地位を持たれています、王太子アルフレド殿下にあらせられます。

 付かず離れず一定の距離間でこの日まで過ごしてきましたが、王子妃としての教育も相まってかお互いの交流は薄く寧ろ殿下の姉君に当たるリシア王女殿下とご一緒する時間の方が長いと思います。


 故に王子の近況など噂が2順してからようやく届く始末です。

 まあ、殿下の身辺は少々の伝手がありますので大概は把握してはおりましたが、この政治上の婚約を殿下が個人的な理由で私に婚約破棄を宣言するような事態にまで発展するとは思いも付きませんでしたが本音です。


「聞いているのかフレド・アルシア!

 その性格の悪さでは仕方あるまい。己が性の悪さを暴き立てられると畏れているのだろう」

 高慢な口調で私を詰るのは大神官の孫という馬鹿者です。

 神殿の者に俗世の身分云々を問うのはどうかと思われるでしょうが、私の背景を考えればこのような不作法は許されません。

 これでは彼が親や祖父の権限を自分の物と勘違いしていると言う馬鹿であることが証明されてしまいます。親族も様々な意味でさぞ不愉快な事態になっていると言えるでしょう。

 なまじ貴公子のようなその容貌と知的に見える所作で年頃の女性に憧れられておりますが、ここ最近の騒動で馬脚を現しつつあり、徐々に主に女性から避けられつつあることを察することもできないと言う種類の馬鹿です。

 今も衆目の中で眉を顰める女子学生陣や、『ある意味勇者だ』などと男子学生陣からも呆れられております。


「シリウス、彼女にそんなことを言っても通じないよ。

 あれだけの事をしておいて確たる証拠を残さないのだから」

 端正な顔を歪んだ笑いで台無しにした青年が、大神官の孫(シリウス)を諌めます。

 これは世の中で一番自分が賢いと思っている馬鹿ですね。

 近見鏡という名の近頃隣国から渡来したガラスの装具をしています。

 美麗に過ぎる一歩手前の装飾を施したそれを銀一色で作らせている為、悪趣味と呼ばれるのを免れています。あざといです。

 王国の筆頭宰相の子息で学園では主席で6年を通した英才等と呼ばれていましたが、前出のシリウスと共にその株は下がる一方です。

 

 これまでの人物評は私個人の物ではありません。

 殿下の将来の側近と呼ばれる数名の有望だった青年達は、このようにある切欠以降学園中の生徒から密やかに敬遠されるようになったというのが現状なのです。


 王国に唯一の公的教育機関である王立イリギウス学園は、王族と高位貴族、その他貴族と優秀な平民により構成された学園です。

 つまり、将来殿下が治めることになる王国の民貴族が共に机を並べて、この国の為に学ぶ場所なのです。

 それは、民の間近に王となる人間が(まみ)えるということ。

 その真実を知る者こそ『王族』であり貴族でした。


 しかしどうでしょう。国の中心とも言うべきお歴々のこの為体は。

 私が私で(・・)なくとも、匙を投げたい気分です。


 先ず一つ目は時。

 今は卒業前の社交シーズンです。プレ成人として卒業予定の者と2学年下の者までがそのパートナーとして卒業記念の舞踏会に出席できるという事で、準備のためもあり領地から出てきた親族も学園を訪れる姿が散見されています。

 国王始め対象である卒業予定の殿下以外の王族は、学園に目を配ることはスケジュール的に困難です。


 二つ目は場所。

 王族や側近は立ち入らない(・・・・・・)学園の生徒だけになる空間。食堂です。

 普段自室で食事する際には側仕えや側近が給仕するものですが、ここは全階級が利用する大食堂です。

 王族や高位貴族専用の席は有りますが基本相席になります。

 勿論この時も、大人の居ない(・・・・・・)食堂で、昼時を過ぎつつある丁度いい込み具合という衆人環視の中、私一人を数人の生徒が囲み吊るし上げをしていると言う図になっています。


 最後は人です。

 私、ミュレンフォード公爵令嬢一人に対し、殿下を筆頭に学園のトップと言える面々が揃っています。

 殿下の左手から、先程の筆頭宰相子息のアレン・ナルス=バレル、殿下の護衛も務める騎士科主席の脳筋男ダル・ナシス=ハルラン。殿下の右手にシリウス(聖職者には家名は付けません)と呆れたことに教授職のアルメリド=カー教授がいます。教授の横には我が公爵家と両翼を担うギレン公爵家の枝葉であるギラン伯爵家の嫡男エルランド・カリスがいました。これにはさすがの私も驚きましたがそれを顔に出す愚は犯しません。

 彼の歳の離れた従姉君が側妃として陛下に嫁しておられましたね。と思いだすも、彼がこの中にいる違和感は拭いきれません。


 いきり立つ二人に静観する二人。面白そうに見てはいますが目の色が笑っていないものが一人。

 その中で熱量を感じないものが一人。

 そして、何も理解していない(・・・・・・・・・)肝心の方。

 以上の事がどれだけ大きなことか彼等だけが感じていない。

 そのことを思うと身が凍えるようです。


 言いたい放題させておくのもそろそろ業腹です。

 息を吸い集中力を高め彼等を睥睨しますと、怯んだ方が2人、受けて立つと勇んだ方が2人。

 私の本領、御覚悟召され。


「どういうことですの?」

 機先を制され前のめりになる肩を繊手が引き止めてくれました。

 その声に誰と言うのは解っていましたが、何故に答えは有りません。

 振り向くとやや私の目線より低い位置に、それは見事な青石の瞳が瞬いています。

 金の筋が浮かび上がる其れは、言うなればイケイケどんどんな状態と申しますか、やる(・・)気満々です。何をと問い掛けたいのですが、舞台を弁えれば今は無理です。


「姉上!」

 緊張に上ずった王子殿下の声で、目の前の王位継承順位第2位の王女殿下が戦闘脳状態のそれはすごくいい笑顔で、弟である王子殿下に先制パンチです。


 ややこしくなるので脳内変換で名前で呼ぶことにします。

 アルフレド殿下は正妃陛下の第一子ですが、姉君であるリシア殿下の母君は側妃の筆頭にあたる第1側妃として王城に上がられ、正妃陛下ご懐妊に遡り2年ほど先じてリシア殿下がお誕生されています。

 この国の王族法では国王の実子は正妃側妃分けることなく平等に認知披露されます。男女も然りで第一子が暫定王太子となるのです。

 ただし、何事も瑕疵なければという注釈が入ります。

 王太子候補にこの国を背負えるだけの器量の無い者、外戚を含む内戦に至る危険を孕む分子を持つ者、等々が挙げられます。その上で、正妃と側妃という身分の差が加味され議会で承認されるのです。

 つまり、能力や背景自体に問題は無くとも、妃である母親の身分により、長子である王女殿下は第2位という立場に甘んじねばならぬということ。

 その縛り故に、この国の王位継承問題は微妙なバランス状態にあるのです。

 二人の中の緊張は、未熟ではあっても貴族の子供たちには正しく伝わってきます。それ故に、リシア殿下の今この状況での登場は、嵐と言う他ありません。


「姉上には関係ありません。

 私とフレド・アルシア=ミュレンフォードとの問題です。口出しは御無用にして頂きたい」

 恐れを隠して毅然と言い放つアルフレド殿下に、リシア殿下の瞳が光ります。


「フレド・アルシアは王太子殿下の婚約者で在らせられる前に私の妹の様な友人ですわ。

 友が一人きりで殿方に囲まれ無理強いされるのを見逃す法は無いでしょう?

 第一、父である国王陛下の御許しが出た婚約は法に定められしもの。

 当事者ではあっても一王太子が(わたくし)で婚約破棄できるようなものではありませんわ」

 毅然と弟殿下に言い放つリシア殿下からは花火の様な輝きが放射状に放出されています。魔力が見えるという事の役得の1つです。

 本来の主役を奪われましたが、リシア殿下が私の益にならないことはされないと知っています。それがこの国との天秤となれば其の儀に非ずですが私も心得ていますので問題ありません。


「この女は!…彼女は親の地位と私の婚約者という地位を笠に着て、平民や低位貴族の学生たちに無体を強いていたのです。

 そんな彼女が正妃や国母という地位を得ればこの国は無茶苦茶になるでしょう。

 それ故の婚約破棄の申し出です。父上にも解っていただけるでしょう」

 姉殿下の強い視線に押され、気弱気に話し出したアルフレド殿下は次第に昏い熱に浮かされたような面持ちで私をねめつけます。そこには果たして私が映っているのでしょうか。それに、私がミュレンフォードの血に連なる者だという意味も知らないというこの事態に、リシア殿下が唖然とされます。


「何を言っているのですか?

 フレドがやったという証拠はあるのですか?」

 鳥肌が立っているのか二の腕を擦る動作をされたリシア殿下が、胸元に揺れる護り袋を弄られています。

 私も、意外な場所で始まった為に準備が整わず、決め手に欠けると知った上で攻勢をかける所存でしたので、リシア殿下の登場ははっきり言ってイレギュラーでしたが御蔭で舞台が整う時間は作れました。

 仕掛けが動くまであとわずかです。決着は王城という計画がずれてしまいましたが、却って結界が強い王城では陰に潜んで捕らえ難くなるかもしれません。


 アルフレド殿下が喋る度に殿下の背後から黒い炎がチロチロと見え隠れします。

 それは殿下の取り巻き達も同じです。一人例外は居ますが目の端から逃がすことはしません。


「畏れながらリシア殿下直答するをお許しください」

 アレン・ナルス=バレルが胡散臭さたっぷりの慇懃さでリシア殿下の注意を引きます。

 そう言えばリシア殿下はこういう事態になる以前からこの青年が嫌いでした。見事な眉間の皺が物語っています。


「…許すわ。説明なさい」

 宰相の息子(バレル)は不躾な視線でリシア殿下を撫で上げ自分の墓穴(はかあな)を掘りつつ、もったいぶって舞台に上がります。


「アルフレド殿下の婚約者だった(・・・)、フレド・アルシア=ミュレンフォード公爵令嬢は、その地位を利用し学園の多くの学生たちに無体を強いました。

 これは多くの証言者による訴えから間違いありません。

 ただ御存知のように公爵令嬢は、あの(・・)ミュレンフォード公爵をして公爵家歴代の中でも一番と言える魔力を持つと言わしめた方です。その上筆頭貴族の公爵令嬢なのですから、助力を強制すること等…ねえ?」

 近見鏡をいじりながら、阿る視線をリシア殿下に向けます。何やら殿下の心の声が聞こえるようですが…私は何も見ておりませんよ。いい加減主導権をお返し願えませんか殿下。有難う御座います。覚えていれば黒猫堂のフィナンシェをお持ちします。

 はい、これで私の御鉢を回していただけるようですね。

 それでは行きますよ。


「茶番はもう飽きました。

 アルフレド殿下」

 此処が見せ処なのです。張り切ります。

 行き成り置物化していた私が呼びかけた為か、アルフレド殿下が虚を突かれたかのように私を見ます。

 すかさず印を切り、拘束の呪と退魔の法印を同時に放ちます。浄化は致しません。

 まるで口を開けたら虫が飛び込んだという様な短い苦鳴を上げアルフレド殿下が硬直します。


「何をする!」

 気色ばむ者達も瞬時に拘束します。

 喋る馬鹿者(バレル)は本当に口だけの男なので拘束すら無駄なので放置です。

 何やら喚いていますが、漸く己を取り囲んでいた学生たちの環が己の意に反する者達だと気付き萎れたように座り込みます。


「これでようやくお話ができます。

 どうぞこちらへいらして下さい。えー…とミュレルさんでしたか」

 拘束された殿下たちに隠れるように居た少女を手招き表舞台へと誘います。

 少女は観念したのか平民には見えない凛とし堂々とした所作で出てきました。

 初見の(・・・)彼女からは見事と軽口を叩きたいほどに湧き出る黒い炎が見えます。

 それは彼女の本体である核が揺らいで見えないほどです。

 体の弱い者や子供ならば死に至ってもおかしくない濃度で、『見える』者の喉から奇妙な音が鳴りました。

 正直バッチイから触りたくないと言いたいのですが、見えるリシア殿下からぐいぐい押されているのです。


「私が何をしたと言うの?

 今迄彼女に苛められ辛い思いをしてきました!私の友人たちまで巻き添えになり退学した者もいるのです!」

 大半をリシア殿下に訴えるように糾弾する少女に、リシア殿下は無言を通されます。

 周囲も、少女の画策を知っておりそれこそ巻添えになった者も多いため、じっと少女を見詰めるだけです。


「そうですね。貴女がしたことは誘われるままに殿方を誘惑し、アルフレド殿下を陥落し、不和のタネを播き、私を貶めんが為に偽装したくらいですわね」

 頬に手を当て、明日の予定を考える様な気分で論います。まあ、彼女は彼女自身の小さくは無い欲望を肥大させられ動かされていただけですものね。国政に責任のある王族貴族ではないのですから死刑は有り得ません。不敬罪と詐称位が落とし処です。


「な、な、何を言うの!盗人猛々しい!

 全て貴女がした事じゃない!」

 憤然と掴みかかろうとする少女に呼応し、炎が私をめがけて噴き上がります。これは魔力が弱い者や強くてもその素養が無い者には見えない炎。だから、その炎に炙られることができる(・・・)のも私だけ。

 咄嗟にベルトに通した護符を刻んだ魔石で簡易結界を張ります。せっかくの侍女達の力作である結い髪がチリチリになる上浄化に手間も掛ります。

 返す刀で別の魔石を使い彼女を拘束します。

 彼女から吹き出した炎は私の足元で力尽き、黒い灰となり消えてゆきます。

 魔石には浄化の護符が刻まれていました。護符は程なく他の拘束した方々に纏わりついていたモノも消してゆきます。

 まるで黒い炎にさせられていたかのように少女はくたりと床に倒れ込みます。

 憑いた者が宿主に寄生して精気を得ていたのですから、非情な裁可が下りる前に彼女は儚くなっていたかもしれません。

 正直者(・・・)で在っただけで死を齎されるのは気の毒です。間に合ったようで良かったです。


「さ、これでゆっくりお話ができますわ。

 エルランド・カリス様」

 本命をお招きする花道は整いました。

 唯一拘束していなかった方。黒い炎に絡まれておいでではなかった方。

 王国鎮護の長としても立つ両公爵家は両翼とも呼ばれ、民が為、王国が為その忠誠を紡いできた。

 縦の糸と盾を象徴する家紋を持つギレン家。横の糸と破魔の剣を表わす意匠の家紋を持つミュレンフォード家。二家が織り上げる旗が王国を護る。国の成立ちからある文言です。


 エルランド・カリスはアルフレド殿下と同じ日同じ時に生誕しました。

 ギレン家に連なる伯爵家に生まれ、生家は王城から見て北東に屋敷を構えていたのです。


「何故と聞いて良いのかな?『破魔の君』が姫よ」

 優しげな瞳はイタズラ者を見つけたと言わんばかりの慈愛に溢れています。

 側妃に上がられた従姉によく似た面差しは血の繋がった姉弟を思わせ、リシア殿下を通じ交流のあった私には非常にやりにくい相手です。

 似ているからというよりも、優しいあの笑みを悲しみに染めるのは如何ともしがたい。泣かれるとどうしようにも…。


「私は、王太子殿下より数日早く産まれておりました。

 我がミュレンフォードは、王太子殿下が生まれた時に時を同じくして生まれ出でた『魔』を探知できたのです。

 この『魔』は必ず王太子を使い王国に徒なすと言う占を得たうえで、一歩先じて生まれることができた私によってその『魔』を祓う。それが我が父の策でした」

 私が言葉を紡ぐたびにエルランド・カリスの額に汗が流れます。

 私は更に踵から足を出して歩数を連ね語りかけます。


「御存知で無い方もいらっしゃいますが、我がミュレンフォード家は護国の剣である前に破魔を生業にしております。

 邪な存在が王国を侵さんとする時、我が一族の当主は破魔の御業にてそれらを払いました。

 故に我がミュレンフォード家の当主には『破魔の君』という異名(二つ名)が御座います。

 当主に与えられた使命を果たす。その使命に送られた名は重う御座いますわ」

 ひとつふたつ、歩数は増えてゆきます。

 言葉の端々に込められた呪はエルランド・カリスを囲むように廻っています。ゆらりゆらりと彼の人の身体が揺れております。


「私を縛ると?

 出来るのかな小娘が」

 脂汗を吹き出しながらエルランド・カリスは挑発します。

 その様子を見ても自分がはまった泥沼の本当の恐さに気付いてはいません。


「この王国で国王と呼ばれる存在に優しさは無用とは言いません。

 けれど邪なモノに付け込まれる甘さは許されないのです」

 私の言葉に、アルフレド殿下がはっとこちらを見てきます。勿論、もう黒い炎の支配下からは解放されているのでまともな思考が戻ってきたのでしょう。

 黒い炎の支配から放たれた他の方々は、未だ事態を把握しておりませんが、今この時に声を上げる愚者ではないようです。


「王太子殿下の星は母である正妃陛下の『善良』の星に影響され、殿下自身も『善良』であることが勝っている御方です。

 国王の『王者』の星にはそれは小さな影となってしまうのです。

『善良』は耳に心地よい言葉に惑わされるもの。その星を抱える者に王者の御座は危うい」

 感情を込めずに畳み掛ける私に、苦しげな瞳で、まるで救いを求めるようにアルフレド殿下が縋ってきます。

 エルランド・カリスは言葉に込められた呪にもがき苦しみだしました。

 端正な顔は崩れ獣の様な容貌に変化し、めりめりと張り出してくる上顎にはびっしりと牙が生えてきました。


「ぎざまあ!ゆるさんぞう」

 次第に言語能力にも影響が出てきたのか濁った声で私に魔力を放とうとして前のめりに近付いてきます。

 周囲に居た者は逃げ惑い我先に食堂から出ようと混乱が生じました。

 それに気を取られた私に隙ができたと見たのか、哄笑を上げエルランド・カリスだった存在は己が魔力を振り絞り呪を練り上げてしまいます。


「フレド・アルシア=ミュレンフォードよ!吾の企みを灰燼に帰した恨み返そうぞ!

 ミュレンフォードの『破魔の君』が命、吾黒炎の魔人マウザの毒炎にて地獄へ参らせん!」

 哄笑と呪言を練り上げたものが溢れ食堂の天上を満たすと、開いていた窓から出てゆきます。

 悲鳴と怒号がそれを追いますが、程なく黒い煙は散り散りとなり消えていきました。


「な、何故だ!フレド・アルシアよ何をした!」

 消えた毒炎に目を剥いた魔人マウザは私のしたこととギリギリと睨んできます。


「私は親切を今週の目標としているので教えて差し上げましょう。

 呪というのは呪う相手の正確な人物像と、生まれながら人を人たらしめん『名』を呪に練り込まねば発動しません。

 貴方はその『名』を間違えたのです」

 我が一族の『名』は個別名称ではありません。その人間がその人物であると認識される音が『名』となるのです。例えば『破魔の君』です」

 もう魔力が残り僅かなのか、自称魔人は立っていることも儘ならず四つん這いになり顔だけを私に向けています。


「吾は!確実に!そなたの父の『名』を練り上げた!」

 ぜいぜいと苦しげに吐き出す言葉はぽろぽろと自身の魔力の残り滓が混じっています。

 そろそろ引導を渡す時です。


「そうですね、正しくて正しくないのです」

 もう体が持ちそうもなさそうです。我が国民の姿を借りて生まれ出で、エルランド・カリスの生を生きた邪なモノの最期。

「お前が生まれた時、未来のその時(・・・)の為に練った呪が私フレド・アルシア=ミュレンフォードなのだ。

 父は『破魔の君』を自分の子供に継承した。

 その日から私は『破魔の姫』という名の呪となったのだ」

 大きな目を瞠り、魔人の最期がきます。

 サラサラと崩れていくその後に、エルランド・カリスはいませんでした。

 肚の子を食い尽くされた彼の母親は死後に彼を生み出したのです。長く彼の家で秘された事実は、彼の生家の終焉を意味します。

 事後を思うと感傷に浸る間も無いかもしれません。


「フレド…」

 そっと寄り添う熱に、微かにバラの香りが立ちます。リシア殿下です。

 私は限界に近い身体を恐れ多くも王女殿下に預け、一息吐きます。

 壊滅的な食堂の中央で、未だ軽く酔っていた者達は立ち尽くし、己を取り戻した王太子殿下だけが涙を流し頽れていました。


「殿下」

 リシア殿下に支えられ、声をお掛けします。

 殿下は頑是ない児のように首を振り私に縋りつこうとします。


「アルフレド!認めるのです。貴方の上に『星』は無い。

 国王陛下は全て御存知の上で今回の始末をミュレンフォードに、見届け役に私を指名されたのです。

 これ以上は貴方も惨めになるだけですよ」

 本当はその言葉に王太子自身の進退や生死に係わる意味も付け加えようとされたリシア殿下は、その手を引かれます。

 もう十分です。男というモノは弱い者です。折れた心に何を注がれようと染み込んでは行かないものです。


「フレド・アルシア。私の心の弱さからこの事態が起こったんだな」

 泣き腫れ充血した兎のような目が私を見上げます。

「認めることが全てではございません。殿下の御心がそれと思われるまで考えられることもまたひとつの道です」

 憐れみでも突き離す訳でもありません。

 私たちは国の為に生きる者です。上に立つ者が迷い惑わされることは罪。それに尽きるのです。


「婚約破棄などと…すまなかった。当主であったからこそやってはいけない事を仕出かしてしまった」

 深く恥じ入るその肩にどうした物かと思いましたが、事は決しましたので頃合いでしょう。


「アルフレド様。実は私たちの婚約は婚約破棄が前提でございましたの」

 私のその答えにアルフレド殿下以下その場に居た者全てが固まります。


「そ、それでは君はこの日の為に女性の身を犠牲にしてくれたのか?

 未だ成婚はしていないが、婚約にも適齢期がある。

 これから私にどんな処分が下るのかも判らぬから婚約破棄は助かったが、万が一そのまま成婚が成立するようなことだったら、君の一生を奪っていたのだぞ」

 わなわなと震えるアルフレド殿下に罪悪感が湧いてきます。

 だから『善良』な人は扱いにくいと言うか、始末に負えないと言うべきでしょうか。


「もともと私達は結ばれぬ関係でしたので、どの道程を経ても婚約は有り得ませんわ」

 困って腕を組む私に、リシア殿下が最終的に引導を渡して下さるそうです。


「アルフレド。申し訳ないのですが、フレドの正式な婚約者は私なのです」

 嗚呼、率直に真っ直ぐに仰っててくださいました。

 皆様ぽかんとなされています。アルフレド殿下美男子が台無しです。


「?…?!姉う・え?フレド・アルシアは女性ですよね?姉上は兄上だったのですか?」

 混乱が混乱を呼び大混乱と言う顔をされています。

 パカパカと唇を開閉されるアルフレド殿下に、申し訳ないと謝りたいのですがここは控えましょう。


「何故そうなるのです。

 私では無くフレドが男性なのです」

 鼻息荒く弟殿下に捲し立てられるリシア殿下は、私の腕を取るとがばりと顔をに覆い被さられました。

 柔らか若い李色の唇が私の唇に重ねられます。必死に背伸びをされて『私のものよ』と抱き着いてくる姿が愛おしくて抱き締めてしまいます。

 およそ若い女性のものとは思われない膂力でリシア殿下を抱えると、胡坐をかいてその膝にリシア殿下を抱えます。この至福の瞬間を何度夢見た事か。

 記憶が飛ぶくらいの母公爵夫人の姫君教育も、その成果は十分果たしました。事は成ったのですからもう解禁です。


「………お?お、お、お、男~~~~~~~~~~~~~~~~~~~?!」

 あ、今ですか?

 もうこれ以上の隠し玉はありませんのでご安心ください。

 後始末は大人の仕事ですから、私はもうお役御免ですね?

 これから未来の父君に正式に

「娘さんをください!」

「お前なんぞに大事な娘やるか~か~か~…」

 の儀式に向けて策を練らねばなりません。

 約束された婚約者でも、そこは『お約束』ですから。

 それでは皆様御機嫌よう。

 


 

 


 

あとがき機能があるのに今朝気付きました…


少々誤字を直しました。

それから!早速の反応があり狂喜しております。有難う御座います。

短編は慣れずにグダグダですが、連載再開に向け頑張ります。

評価までついていて励みになりますありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一応、私の希望は いちゃらぶ です。
[一言] やはり、一番はベタに主人公のフレド様ですね。 でも、弟君の心からの嘆き的なのも笑えて面白いと思います。 やはり、物語を考えてそれを文章にするのは難しいと思うので、 気長に待っています。これか…
[一言] もしよければ、続編を創っていただきたいです。
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