カゼキリ風来帖(5) ~ 天の道の章(3)
「ああ、悪かった。ちょっとある処からの帰りでね。あそこを通ると近いんだ」
ははは、と笑いながら、その青い羽織を羽織った護山家は言った。
名前は天道そらと名乗っていた。
今、その天道そらは柿留しょうに案内されて、柿留しょうの小屋、その風呂に入っている。
「いやぁ、悪いな。少し泥が着いていただけなのにさ」
そう天道そらは言ったものだが、実際の所は斬り傷にべっとりと血がついていたものだった。傷は二の腕と脚にあり、傷自体はいずれも浅い。その傷から出た血によるものか、折りたたんで置いてある天道そらの衣は所々、黒ずんでいた。
「これは泥なんかじゃないですよ!?刀創です!それもとっても痛いでしょう!?」
「はは、刀創か!剣術とは無縁の割にその言葉は知っているんだな」
「事務役ですから、護山家の怪我の記録にその言葉を使うんです!」
「なるほどなるほど、そういうことか」
天道そらはうんうんと頷いていた。そして、ちらりと顔を上げ、柿留しょうの顔を見ると、
「いやいや、これは全く痛くないよ?これくらい日常茶飯事のことだからさ」
ぴっと方目を閉じて、傷をさすって見せた。なおも柿留しょうは浮かない顔をしていたが、
「んん……そうなんですか」
そこであることを思い出した。
(そういえば、あやかさんも浪霊退治の時はいつも傷を負っていたな……)
ということである。
きっと天道そらも護山家の役目から浪霊と戦ってきたのだろう。風切あやかが遂行していた役目、その現実がある以上は、
(戦いは痛い……傷付くものなんだ……)
柿留しょうはひしひしと感じていた。
「でも、僕の仲間の人なんですが、浪霊退治で大怪我を負っちゃって……そういうのもあって、とても悲しいですよ」
「ま、そうだろうね。私の仲間も何人かは大怪我で寝込むし、中には死ぬ奴も居るよ。護山家ってのはそういうものだから、さ」
天道そらは笑っていた。柿留しょうは俯いている。
「まぁ、それはそれとしてさ」
ざばぁ、と天道そらが浴槽から立ち上がり、
「ありがとうな。少しは痛かったんだ。君のお陰で助かったよ」
ぽん、と柿留しょうの方を優しく叩いた。柿留しょうは顔を上げて天道そらを見た。思わず、ほつほつと身体が熱を持ち始めている。
「いっ、いえ!そんなことはないです!!むしろあの時、私を助けてもらった方が!!!」
「ああ、そりゃ大したことじゃないよ。君の運が良かっただけで、感謝するべきは私ではなく、君の運に感謝するべきじゃないかな」
「でも、あの時のそらさんはとっても格好良くて……僕、あれから、そらさんみたいに強くなりたくて、剣術を習っているんです。あの時助けてもらったこと……本当に感謝しているんです。本当にありがとうございました!!」
「はは、そうか」
天道そらは着替えを済ませていた。爽やかな青い色合いの着物である。天道そらを連れて小屋に戻るまでの間に、柿留しょうが近くの服屋で用意したものだった。
「そこまで言われると悪い気もしないな。その気持ちとこの着物、ありがたく受け取っておくよ」
そして風呂敷を手に取ると、ぱぱっと血と泥で汚れた青い羽織と護山家の衣を包み、
「じゃあ、私はもう帰らないといけない。未だ役目の報告も残っているものでね……また、何処かで会えたら、今度はゆっくり食事でもしようよ。……そうだ、何か好物はあるかな?」
「ああっ、はい。おそばっ……」
「分かった」
それだけ言うと、颯爽と天道そらは外へ出て行ってしまった。
数秒の間、呆然としていた柿留しょうであった。しかしぱっと動き出すと、玄関の外、天道そらが出て行った方へと歩を進めた。
左から右へと顔を動かして辺りを伺ってみるものの、その何処にも天道そらの姿はない。見えるのは薄暗い夜の闇だけである。その中を9月特有の綺麗な虫の声が至るところから響いており、静かな山に生命の営みを感じさせる。
「また行っちゃったなぁ」
月を見上げながら、柿留しょうはそう呟いた。
浪霊から助けてもらった時もそうだったが……
「あの人……そらさんは忙しい人だなぁ。もっとゆっくり話したいと思ったら、すぐに何処かへ行ってしまう」
このことであった。
しかし、それでいて柿留しょうと天道そらの縁はかなりあったものだった。
例の暗夜の森、天道そらが近道に使うという場所で何度か見かけることがあったのだ。更に言うと、現れるのは決まった曜日の決まった時間である。柿留しょうがそれに気が付いたのは二度目に見かけてから一週間後のことだった。
「あ、天道さん!
と柿留しょうが挨拶をして、
「そういえば、前回会ったときもここで……このくらいの時間でしたよね」
と言うと、天道そらは白い歯を見せながら、
「はは、そうだね。ここを通るのは、あそこに行く時だから、決まった時間になるんだろうね」
笑って話していた。
それが何度か続いていった。そうしているうちに、柿留しょうと天道そらは次第に
「姉妹みたい……」
に親しくなったものだった。
こういう話がある。
ある日、柿留しょうが天道そらをお気に入りの食事処「せいりゅう」へ誘った帰りのこと。
「ああっ……!!」
柿留しょうが高い声を上げて前のめりに倒れたのだ。
「しょう、どうした!?」
天道そらが駆け寄ると、柿留しょうの足元には大きな木の根が這っていた。まだ辺りは明るく、見通しも利いている。9月の少しばかり暑い日差しが、木々の間から道を照らしているほどだった。それなのに、柿留しょうが木の根に足を取られて転んでしまったのだ。もっとも、このことには大きな理由があり、
「む、今日は足の調子が悪いのか?少しばかり重そうに見える」
「いやぁ、昨日はちょっと稽古を頑張っちゃって……」
「ははは、そうか。それは結構なことだよ」
ということであったのだ。
「いてて……」
それがこうして柿留しょうが木の根に足を引っ掛けて転ぶ結果となった。柿留しょうは苦笑いをしつつ、両腕をついて立ち上がろうとするが、
「……っ、いつつ」
どうにも立ち上がることが出来ない。そこへ天道そらが近寄り、柿留しょうを横に寝かせた。衣をめくり、脚を見た。
「うーん、血も出ている。これは痛いところだろう……ほら、傷薬を付けよう。これは私の家で作っている薬で骨折や打ち身、捻挫や筋肉痛など、色々なものに効く薬でね。家の者が言うには、水霊さまから製法を教わったっていう話があるほどのものなんだ。……今、付けるよ。ちょっと沁みるけど我慢するんだ」
天道そらは懐から水筒を出し、封を開けて柿留しょうの脚へと中身をかけた。中身は透明で透き通るように輝く水……恐らくは水の精達の愛する八霊名水だろう。
それをかけ終ると、次には小さな小物入れを出し、その中身を柿留しょうの脚へと塗った。
「うっ……痛いっ」
「な?沁みるだろう。これには私も何度も泣かされてたものだが、不思議なことに次の日には痛みが全て消えているんだ。傷もなくなってる」
「ふふぇ……そうなんえすか」
「ああ、そうだ。だが、今は痛いだろう。家までおぶっていってやるよ」
「えっ……」
そう言うと、さっと柿留しょうの身体が中へと浮いた。
柿留しょうの視界が高くなり、そよそよと吹く風が耳を通り過ぎるのを感じる。
「多少は揺れて痛いかもしれないが、そこは我慢してくれよ」
すぐ前から天道そらの声が聞こえると、景色は瞬く間に動き出した。




