山陰奈落の変 の章(4) ~ 大きな声
「よ!やってっか!?」
元気な声が一つ入ってきた。
(客か……)
風切あやかはふと箸を止めて、入り口の方を見たが、ここは奥の席であるため、入ってきた客の姿はとても見えない。
「二人だ」
「いらっしゃいませ……あっ」
「おや、みなもちゃんじゃないか。元気だったかい?久しぶりだね」
「れいさんじゃないですか!久しぶりです!!」
なにっ……!!!!と思わず風切あやかの動きが止まった。
(一人はあの蒼水れいか……!!)
なのである。
もともと蒼水れいとは仲が良い(と蒼水れいの方は思っている)のだが、真面目な風切あやかとしては、実はかなり苦手な友人なのだ。
その蒼水れいとも今はもう大分昔……春先の精霊鳥の一件で大怪我を追って以来、あれよこれよと役目が忙しかったのもあり、疎遠となってしまっていたのだった。だから、
(下手に会えば、何を言い出すか分からないな……)
ということから、なるべく顔を合わせたくはなかったのだ。
更にいえば、今もまだ会いたくはない。
(今入ってきた一人は蒼水れいか……とすると、もう一人いたな。あの声の大きい方……あれは誰だ?)
蒼水れいと一緒にいるということは、水の精の一人なのかもしれない。しかし、
(どこかで聞いたことのあるような声だった)
覚えもある。
水の精くらい八霊山で会おうと思えばいくらでも会うものだし、
どこかで出会った者なのかもしれない。ともかく、蒼水れいと一緒にいるということは、
(何か面倒な奴なのだろう……ここは下手に触れないほうが良い)
再び箸を動かし、蕎麦をすすり始めたのだった。
「えっ、そんなに注文されるのですか?」
「姉さん、食材がないんだよ。この大雪だからさ」
「でも、出来るだけ出します。ちょっと時間は掛かりますが」
「おお、頼むよ。これ、旅の土産だ。ここの皆で分けてくれや」
そういったやりとりが聞こえる。
ちなみに風切あやかと蒼水れいが座った席はちょうど反対側にあたる。
お座敷席はそれぞれ敷居で仕切られているので、お互いに姿を見ることはできないだろう。
……ただ、騒げば声は十分に聞こえてくる。
(姉さん?れいの奴には姉がいたのか……?)
風切あやかと蒼水れいの付き合いはそこそこ長い、しかし蒼水れいの姉を見たことは一度としてない。
もしかしたら居るのかもしれない。水の精は神出鬼没、姿を見ることや会話を交わすなど、特に身近な種族ではあるものの、その生態や生活については、
「謎に包まれた……」
生物なのである。
見知らぬ姉や親戚がいても、まったく不思議ではない……はずなのだ。
なんにしても蒼水れいの関係者、それも姉とあれば、
(どうせ厄介な性格をしているに違いない)
と風切あやかは踏んでいる。なので、やはりここは見なかった聞かなかったことにするのが、
(良いはずだ……)
なのである。
「あやかさん、あやかさん」
「……なんだ?」
「さっきから箸が止まってますよ?お蕎麦、伸びちゃいますよ?」
「…………ああ、そうだな」
蒼水れい姉妹のことは一先ず忘れ、風切あやかは蕎麦をすすった。すると、
「あやかさん、あやかさん」
またも佐渡せきが声をかけてきたではないか。
「……なんだよ。蕎麦をすすってるんだぞ?これはせきが言ったんだぞ?」
「あっ、ああ、ごめんなさい」
「分かればよろしい」
「…………」
佐渡せきが下を向いてしまった。そんなことはいつものことではあるが、
「待て、何を言いかけたんだ?」
風切あやかは少し気になったのだった。丁度、周囲には他の客もいない。しいん、と静まり返った中で、ずっと二人で黙りながら、蕎麦をすすっているのもなんだか寂しい気持ちがしたのだった。
「良いんですか?」
顔をあげて佐渡せきが呟くと、
「言ってみろよ」
風切あやかが口だけ笑って応えてやった。
「あのですね……」
「うむ……」
もしかしたら深刻な話なのかもしれない。周囲に客が居ないということは、
(悩み事でも気軽に話すことができるのではないか……)
と風切あやかは思った。
中々自分の悩みなどは打ち明けない佐渡せきであるから、こういう時こそが、
(話を聞く良い機会……)
なのかもしれないのである。
ならば真剣に話を聞いてやろう!と風切あやかは思い、唾をごくりと飲み込んだ。
佐渡せきもどこか神妙な面持ちをしているではないか……。
(やはり……)
風切あやかも真剣な眼差しを佐渡せきへ向けると、
「今日のお蕎麦はいつもと違って美味しいですね……!!」
「ああ、おいしいな。いつもと何が違うんだろうな……って、はぁ?何を言っているんだよ。せき?」
「えっ!だから、今日のお蕎麦は美味しいなって言っているじゃないですか!?あやかさんだって、おいしいって言いましたよ!?」
「……いや、言ったけれども、何か悩みとか真剣な話をするんじゃなかったのか?」
「真剣?ああ、お蕎麦がおいしいのは真剣ですよ。ええ、マジですよ」
「……そうか、もういい。分かった」
風切あやかは諦めて、再び蕎麦を啜っていた。それにしても、
(蕎麦がおいしいのは本当だな。いつもより温かみがあるというか、力を感じるというか……)
不思議とするすると食が進んでしまうのである。
気が付けば蕎麦はなくなり、鮎の塩焼きも消えていた。
食事の時間だけならいつもの半分くらいかもしれない。
これでも休憩を含めてゆっくり食事をしたつもりなのだが、それでも時間が経っていないのである。
(よっぽど食が進むのが早かったのか……いや、量が少なかったのかもしれない)
と考えたものだが、後者に至っては恐らく違うだろう。
『せいりゅう』で蕎麦を頼んだことは今までに何度もあったことなのだ。
量が少ないとするならば、その違和感にすぐに気が付くものだろう。そして、そういったことがあるだけに今日のお蕎麦の妙な美味しさにも気が付いてしまうである。
(うむ、よく考えれば、これはどうしたことだろうか……?)
さすがの風切あやかも段々とそれが気になってきた。
……しかし、先ほどの佐渡せきとの話で、
「もういい。分かった」
と言ってしまった手前、自分からこのことについて佐渡せきへ話をしていくのも気が進まない。
(うーむ、どうしたものか……いや……)
蕎麦がおいしかった!それだけで十分なような気もする風切あやかである。
色々と気になることはあるものの、蕎麦がおいしいことにそれ以上もそれ以下もないことだろう。
もしかしたら、蕎麦を打ったのが、今日働いている川岸みなもに寄る部分のお陰なのかもしれない。
普段は他の水の精が打っていて、今日ばかりは彼等が出ていないため、川岸みなもが打った……それならば、
「蕎麦がいつもと違ったおいしさがあること……」
に不思議などないではないか。
料理というものは作り手によって、味や出来が全く違うものであるという。
ちなみに言うと風切あやかは料理はまったく出来ない。出来たとしても、食材を切ったり煮たり……。
たまに上役の高山はるかに調理を教わることがあっても、覚えが悪い……もとい、自分から変に手を加えるために、
「どうしてこうなってしまうのですか?」
人参や大根はぶつ切り、煮込む際はまとめて気の行くまで煮込む、そして出来上がるのが、
「ダメだな……これは」
なのである。
さて……
風切あやかが蕎麦についての話を諦めている間に、
「あっ、みなもさーん!」
不意に佐渡せきが川岸みなもを呼び止めた。
丁度、蒼水れいとその姉(?)への注文を届けてきたところらしい、手にはお盆を持っているだけである。
「なんでしょうか?せきさん」
川岸みなもがこちらへやってきた。
「あのさー、今日のお蕎麦が美味しかったんだけど、何かいつもと違うの?」
思いの他にストレートに問いかける佐渡せきだった。
これには風切あやかも心のうちで苦笑していた。
(私だったら遠慮してしまって、とても聞けたものじゃないからな……)
なのである。
「ああ、それはですね……」
「それは?」
「今日は妙に火が強く出たんですよ」
「火?厨房の?」
「そうですそうです」
料理は火力が命……というらしいことは風切あやかも高山はるかから聞いたことがある。
なので風切りあやかが料理をする時は火を十分すぎるほどに通してしまう。
火を通せば通すほど、
「料理になる」
と考えているから、火が通っているのが分かるうちはいくらでも火にかけてしまう。
そうして出来上がるのが、
「ダメだな……これは」
なのである。
「火が強くなってるって、どういうことなんだ?」
「それは分からないです。こんなことは私がココにいた限りでは、一度もなかったことですね……」
「ふぅん。どうしてだろうね」
佐渡せきと川岸みなもが他愛のない会話をしている。
それを外を見ながら、風切あやかが聞いていたが、ほどなくして、
「おい、せき、もういこう」
「えっ、ああ。あやかさん」
風切りあやかが立ち上がった。
いつの間にか外は太陽が高く上って少し時が経ったようだった。
冬の間は昼の時間が短い。こうなってしまえば、夜の闇が広がるまでの時間は、
「決して長くはない……」
のである。
「いつまでもここで休んでいるのも良いが、それだと夕方になってしまう。夕方にはもう夜だ。そうなると外での役目はもう出来なくなる」
「……うーん、それもそうですね」
あくまで佐渡せきは動きたくないらしい。苦笑を浮かべて、未だ腰を下ろしたままでいる。
「せきさん。綾香さんの言うとおりですよ。夕方にもなると、もうあたりは暗いですし、寒くて出歩くことも難しいです。ここ数日も、夜になるとかえってお客さんが来なくなるんです」
「そうだよなぁ」
川岸みなもに諭され、ようやく腰を上げた佐渡せきである。
「お代はここにおいておくぞ。じゃあ、また来るよ」
二人が外へ出かかったそのときであった……
「そうそう。山城さまが奈落王を捕まえたんだよ。姉さん、山城さまと知り合いだろ?」
「奈落王?ああ、死霊の王だったか。へぇ、暁の奴もそんな面白いことがあったのか……後で会いにいってやろうか」
蒼水れいとその姉の会話が風切あやかには聞こえたのだった。
「ん……?」
しかし、それは断片的なものだった。確実に聞こえた部分といえば、
「奈落王」だとか「山城」、それに「会いに行く」というもので、
(山城さまに会いに行く……?)
僅かに眉をひそめたものだったが、足を止めることはなく、そのまま、外へと出て行ってしまったのだった。




