水霊ヒスイの挑戦! 対決! あやか 対 せき !! の章(10) ~ 流 ヒスイの過保護
ばさばさと数羽の鳶が鳴きながらやってきた。
彼等は近くの木々に止まると、しばらく動かずに休んでいたが、不意に何者かの声を聞きつけると、
「…………」
そちらの方へ顔を向けた。
「そうだ。肩の力を抜いて……もう少し……」
空は清々しいほどに青く透き通っている。木々は葉を落としているので、地表から空を見上げると、見事なまでの青空が伺えるのである。
(でも、見る暇がないんだなぁ)
佐渡せきが苦りきりながら、唇を小さく歪ませた。
「どうした?もしや、風に当たりすぎたか」
「あっ、いや、大丈夫大丈夫!!」
「そうか、それなら良い……だが、少しでも気分が悪くなったら私に話してくれ」
「分かってる。分かっています」
そして、はぁ……と小さく息を吐く、佐渡せきだった。
ちらりと流 ヒスイの顔を見るものならば、その普段の冷たい水のように凛々しい表情が、まるで日を浴びた水のように暖かいものとなっているのだ。
どういう訳か流 ヒスイは佐渡せきには、
「甘い……」
ようであった。
ひょんなことから流 ヒスイに拉致され、修行を付けて貰えるということになってから、数日が経ったものだった。
「昨晩はよく眠れたか?」
これは一昨日のことだったか。
夜に眠るときは佐渡せきは流 ヒスイと同じ部屋で寝ることになっていた。
(うへぇ……マジかよ……)
もっとも寝る布団は別である。それはともかくとして、
あの冷たく、まるで狼のような雰囲気をした流 ヒスイと同じ部屋で寝るとあっては、
(安心して眠れないよ……)
なのであった。
例えたとおり、狼のように怖い……突然に何を仕出かすか分からない相手であるので、佐渡せきも油断はできない。
よって一晩中、気が抜けずに寝ることが出来なかったのだった。そして夜が明けると、
「昨晩は眠れて居ないようだった。何か不足しているものでもあったか?」
と真顔で聞いてくるものだからしょうがない。
「いっ、いや緊張していただけですよ。あなたのような人に稽古をっ、付けて貰えるなんて……夢のような話だから!?」
「……そうか。いや、すまない。こうしたことは、久しぶりなものでな……」
僅かに顔を伏せると、朝食の用意をしてくる……と言って出て行ってしまった。
その流 ヒスイが戻ってくると、用意されてきたものは意外にも野菜が多かった。
「へ、へぇ……お野菜が好きなんですか?」
目の前に盛られた青々とした野菜に目を丸くし、恐る恐る、佐渡せきが聞くと、
「もしや野菜は嫌いだったか?それならば別のものを用意しなければならない」
急に席を立ち、厨房へ戻ろうとしたものだったから、
「だ、大丈夫です。野菜はいつも食べてるから!!」
と佐渡せきは必死に制止して、ようやく落ち着いたものだった。
このように、どういった訳か、流 ヒスイは佐渡せきのことを気にかけているようなのだ。
……いや、気にかけているというよりは、気にかけすぎているようである。
(何なんだろうなぁ……この人は)
佐渡せきもつくづく思うものだった。
何か流 ヒスイと佐渡せきには接点があるものだろうか……しかし、勿論そんなものはない。
そもそも佐渡せきは八霊山より外の人間で、八霊山で倒れ、護山家に入るまでは、まったく八霊山の者達とは関係を持ってはいない。
なので、当然、流 ヒスイと接点や関係、縁などは、
「なんの一切も」
ある訳がないのだった。
ならば一体、なんの事情があるのだろうか……
ともかく佐渡せきには、皆目見当がつかないので、
(ここは機嫌を損ねないように気をつけて、なんとかやり過ごそう)
という気持ちで流 ヒスイと接していたものだった。
……さて、それはそれとして、
(意外に教えるのは上手いな)
なのである。
冷たい氷のような雰囲気をしている流 ヒスイなのだから、きっと、
「ビシバシとしごいてくるんだろうな……」
と戦々恐々としていた佐渡せきだったのだが、意外にも剣術を教えるときの流 ヒスイは柔軟であった。
「肩の力を抜いて……そうだ。あとは前を見る、集中して……そうだ」
といったように、一つ一つのことに対してかけてくる言葉が、まるで暗示でもかけているかのように頭に入ってくるのである。それだけではない。それがまるで水を飲むように自然とした形で体の動きに反映されてくるのだ。
(やっぱ水霊のトップだけあって、普通の人じゃないんだな……)
佐渡せきはつくづくそう思った。
「だいぶ良くなってきたな。君には元々、そうした素質があるのかもしれない」
「そ、そんなことないですよ。ヒスイ様の教え方が上手いだけ……です」
「…………いや」
流 ヒスイが不意に声を漏らすと、どこか不満そうな顔で佐渡せきを見返してきた。
「えっ、あっ、あれ……!?」
これには佐渡せきも慌てたものだった。何か悪いことを言った覚えはないし、そうした態度を出した覚えもない。
「なっ、何か悪いことでもありましたか……?ヒスイ様」
「…………それだ」
「えっ」
「私のことはヒスイでいい。ヒスイ様……なんて呼ばないでくれ」
「でも、それは……」
「前にも話しただろう?水霊、その頂点なんて立場に意味も価値もない……」
どこか自嘲気味に流 ヒスイは言った。それを見て佐渡せきは、はっとして、
「ごっ、ごめんなさい。そ、それじゃヒ、ヒスイ……ッ」
「…………」
真顔で覗き返してくる流 ヒスイである。佐渡せきからすれば、まるで呼び捨てにされたことを
(怒っているのではないか……)
と思えるような気がしてならない。それだけではない。そもそも『ヒスイ』と呼ぶことに対して、
「抵抗がぬぐえない」
佐渡せきなのであった。しかし、そんな心配の一方で、
「そう。それでいい」
なんと流 ヒスイ、にこりと笑ったではないか。
(わ、笑った……?)
これには佐渡せきも驚いたものだった。流 ヒスイの態度や口調、雰囲気には、
「まるで水の精の神様であるかのような……」
気風が漂っていたものである。だから、佐渡せきは彼女を『ヒスイ』と呼ぶことに対して、抵抗を覚えていたものだったのだ。
(でも……)
実際のところは、本当にそう呼んで貰いたいのかもしれない。
流 ヒスイが話しているように、彼女は本当に水の精の頂点、次期水霊という立場に本当に価値と意味を感じていないとするならば、
(そう思うこともあるのかもしれないなぁ)
どうにも佐渡せきには理解の出来ない感覚であった。




