カゼキリ風来帖(7) ~ 水霊ヒスイの挑戦! 対決! あやか 対 せき !! の章 (7)
それは昔のことであった。
八霊山を荒らしていた奈落王が倒れ、山神さまと水霊さまが八霊山の支配権を争い、そして水霊さまは敗れた。
その騒乱が終わり、山神さまが八霊山へ君臨し、水霊さまがもう一人の神として、八霊山を支えることとなった時のことだ。
「もう一度、山神へ争いを仕掛けるべき……八霊山の支配者には我が水霊がふさわしい」
一人の少女が声を上げていた。
それを当時、流 ヒスイは冷ややかな目で見ていたものであった。
水霊さまが山神さまに敗れたのは、自分たちと山神さまとの相性もあった。山神さまの勢力が手も足も出なかった奈落王の勢力に対して、水の精は多いに力を発揮し、見事これを打ち倒すことができた。しかし、その一方で、水の精たちは山神さまの勢力に対しては力を発揮することはできない。
そうして山神さまが八霊山を治め、山神さまと水霊さまが手を取り合うことになって時が経ち、
「もう争うことはない」
と多くの水の精はそのまま山神さまの八霊山へと、
「水のように……」
溶け込んでいったのである。
そうなると八霊山の水霊結界の中の城にも森にも、誰もいなくなってしまったのだ。
「水は移ろい変わるもの」
水霊さまはそう言い、出て行くものは止めなかった。
そういった水霊さまの規律と方針を流 ヒスイは理解していたのである。しかし、
「お母様は諦めてしまったの?八霊山を救ったのは私達なのに……」
悔しそうに歯をかみ締めている一人の水の精が居た。名前を、
『流 あさひ』
といい、流 ヒスイの妹なのである。
「山神さまが優れている訳じゃない。だって、この山にはびこっていた死霊どもを打ち倒したのは、他ならない私達……水霊!」
「…………そうだな」
流 あさひの目は隠しようのない怒りに満ち溢れていた。
(気持ちは分からなくもない……が……)
姉である流 ヒスイはそんなあさひから目を背けていた。気持ちは分からなくはない。しかし、
「もう過ぎたこと」
なのである。
「母上が決めたこと。私達にはどうにもならないさ」
「でも……!!」
城の一室で流 ヒスイと流 あさひが向き合っている。
この城にはもう既に水の精は残ってはいない。皆、水の精の頂点である水霊さまの意向のもと、外へ……八霊山へと出て行ったのである。
僅かにこの地に残る気配は、この場所を住処としている鳥や虫、そういった生物だけだった。
「私は悔しい。皆、ここからいなくなってしまったんだ!山神のせいで……」
「それは違う」
流 ヒスイが制するように言葉をさえぎった。流 あさひは悔しさと怒りのあまりに、冷静さを失っている。
(それを言うならば、母上が悪いということになる……それだけはあさひに言わせたくない)
「あさひ、いい加減に目を覚ませ。母上が決めたことだ。水の心……我等は今あるように生きなければならない。あさひが考えていることは、昔に引きずられている……あるべき姿に囚われているんだ。それは我等のあるべき姿ではない」
「馬鹿っ!!」
叫びに近いような高い声とともに、流 ヒスイの顔に痛みが走った。
「…………くっ」
思いもしないことであった。どうやら流 あさひが自分の顔に平手を打ち付けたらしい。
パシン、と乾いた音が、誰も居ない場内へ響き渡っていた。
(こんなことは一度もなかった……)
流 あさひが姉である自分へ手をあげるなど、数百年、共に生きてきた中で一度としてなかったことであった。
それが、今、起こってしまったのだ。かつてないことに流 ヒスイはしばらくの間、呆然と立ち尽くしているだけであったが、
「おっ、おい、あさひっ!!」
時は既に遅い。気付いたときには、もう流 あさひの姿は見えなくなっていた。
急いで後を追いかけたけれども、
「くっ……ダメか」
城の外へ出たときにはもう、
「流 あさひの気配はどこにも感じられなくなっていた……」
のだった。
水を通して周囲を伺う、水視の術などあらゆる術を用いて、流 あさひを探したものだったが、
「何処へ行ってしまったのか……」
その日から流 ヒスイは流 あさひの姿を一度として見ることはなかったのだ。
誰も居ない楽園、その木々がざわめくように揺れていた。
「…………」
流 ヒスイはしばし虚空を眺めていた。
その様子を佐渡せきは、黙って眺めている。
(どうしたのだろう……?)
むしろどう声を掛けて良いのかが分からない。何やら物思いに耽っているようで、そこに佐渡せきが関係しているかというと、恐らく
「ないだろう」
と佐渡せきは思っている。
ひょんなことから今に至る自分ではあるが、流 ヒスイとの関係は薄い。よって、自分の言動……何か至らない部分が流 ヒスイの不快を買ったとは考えにくいのだった。
しかし、目の前で考え込むように宙を眺めて黙り込んでいるのでは、気になってしょうがない。
「あっ、あの……」
「…………ん、ああ。なんだ?」
「いえ、なんでもありません。ただ、何か考え込んでいるようだったから、私が何か悪いことでもしたんじゃないかって……」
「なるほど、そうだったか」
ふっと流 ヒスイが思い出したように小さく笑った。そして佐渡せきと向き合うと、
「ちょっと昔のことを思い出していただけ……さ」
流 ヒスイが自分の右の頬を撫でながら言った。
それを見て佐渡せきは、ほっと息を吐くと共に、
(良かった。どうやら私のせいで機嫌が悪くなったわけじゃないみたいだ)
胸をなでおろす思いがしたものだった。
「さ、今日はもう遅い。食事をしてさっさと休もう。今、準備をしてくる」
そう言うと流 ヒスイは部屋を出て行った。
(あれ……)
佐渡せきはきょとんとした様子で流 ヒスイを見送っていた。
部屋を出たときに聞いた流 ヒスイの声……それがどこか、
「高く弾んでいるよう……」
に聞こえたのだ。少なくとも、あの稽古場で流 ヒスイが山城 暁と向き合った時のような、強い殺気と寒気を含んだものではない。
いやむしろ、あの時の迫力がまるで嘘のように感じられる部分があるのだった。
それほどに今しがたの流 ヒスイに、佐渡せきは恐怖を感じてはいない。
「あは……は、これはどういうことなんだろう?」
一先ず、自分に危害を加えるつもりはないらしい。
そうなると明日からは流 ヒスイに剣術を教えて貰えるということになる。
それに関して記憶を辿ると、
「私がこの小娘を鍛えるから、お前は腕が立つ奴を連れてくるんだ!!」
と流 ヒスイは話していたものだった。ということは、
(私が護山家の誰かと勝負しなければならない……?)
だろう。
相手は誰だか分からないが、流 ヒスイの勝負の相手は次期山神さまといえる山城 暁である。
その流 ヒスイが佐渡せきを鍛えるということは、その相手の山城 暁も護山家の誰かを鍛えて、自分と戦わせるということになるのではないか……。
「うわぁ……それだと私、大丈夫かなぁ」
怖いと思う一方で楽しみでもある佐渡せきである。というのも、
「私に剣術を教えてくれるのは……」
あの流 ヒスイであろう。ともすれば流 ヒスイが簡単に負けてしまうような勝負を彼女が受けるはずがない。
そうなれば、きっと自分も強くなれるだろう!
そう思うことが今の佐渡せきにとってはさらわれた恐怖よりも、非常に嬉しいことであった。
幸いにして流 ヒスイも自分のことが気に入っているように見える。
その理由こそは分からないが、それならば、一先ずは安心しても良いのではないだろうか……。
「ま、なるようにしかならないかなぁ」
佐渡せきは、意外に気楽でいるものだった。




