カゼキリ風来帖(7) ~ 水霊ヒスイの挑戦! 対決! あやか 対 せき !! の章 (6)
「すごい。八霊山にこんなところがあったなんて……」
洞窟を抜けた先には、見たことのない世界が広がっていた。
水は静かに流れ、木々は優しくうっそうと茂っていて、鳥たちが楽しそうに鳴いている。
そこを周りを高い岩山に囲われているのだから、
「まるで秘密の楽園……」
のような場所であった。
「昔はもっと賑わっていたんだがな……今ではもう皆、どこかへ行ってしまったのさ」
目の前に広がる楽園を見て流 ヒスイが小さく呟いた。
「ここは水の精たちの住処だったところだ。山神さまが八霊山を支配する前、奈落王が八霊山を荒らしていた頃に、我等、水霊と水の精が住んでいた場所」
流 ヒスイは草木の茂る道を進んでいる。その後ろを佐渡せきはついて歩いている。
あの稽古場で流 ヒスイに掴まれたときは何とかして逃げようと思ったものだった。この場所……すなわち、水霊の滝、その裏の先であることも分かっている佐渡せきなのだ。だから、
(隙を見て逃げてやろう……)
とは思っていたのだが、
(どうやら私に危害を加えるつもりはないみたいだ……)
ということを悟り、いま少し様子をみるつもりになっているのだった。
「八霊山に住むものでも、ここのことはもう殆どの者が覚えてないだろうな。ここに山の者が来たのも……お前が初めてのことかもしれない」
「そっ、そうなのか」
「ああそうだ。山神さまもあの山城の奴も、この場所のことは知らないだろう……おや?」
不意に何かが流 ヒスイの頭を濡らした。
「雨だ……」
佐渡せきが言うと、流 ヒスイは小さくため息を吐いて、
「さっそく稽古をつけてやろうと思っていたが、そうはいかないらしい」
振り向いてどこか冷たい無表情な顔を見せると、
「こっちへ来い。私の家がある」
急に向きを変えて歩を進みだした。
「ちょっ、ちょっと待ってくれよう!」
急いで佐渡せきが駆けていった。
木々の間から見える空は雲により鉛色を見せているが、まだ太陽に光があり明るい。
そして今は、佐渡せきが稽古場で流 ヒスイにさらわれた直後のことで、風切あやかや高山はるかは、未だそのことを知ってはいなかった。無論、二人と山城 暁の会談も行われてはいない。
流 ヒスイの家はそれから少しして、見ることができた。
周りを湖に囲まれた 石造りの城であった。
がっしりとした城壁は中の城を護るように広がっていて、その周りを堀のように水が流れている。
流 ヒスイはこの城のことを、
「私の家……」
と話していた。
『家』というからには、こじんまりとしたものだと佐渡せきは考えていたのだから、
(これは大きいな……)
と驚いたのは無理もないだろう。
これと比べれば護山家の役場などは蟻の住処である。
『蟻の住処』
とは言ったが、この言葉はある種、的を射た言い方であるのかもしれない。
佐渡せきも気づいているのだが、
「ここには誰もいないのか?」
まるで人の気配がないのだ。これが護山家の役場であったなら、そこらじゅうから事務役の護山家の声や姿が見えるものである。
護山家の役場はまるで『蟻の住処』のように、ひっきりなしに人の気配をかもし出しているのに対して、この城は、
「まるで聖域のように……」
誰の気配も感じない。
「先程も言っただろう?昔は賑わっていたと……」
前から流 ヒスイの声がした。
そうして通された先は、一つの部屋であった。
部屋の中を水が流れている。この城へ入るときに見たものだったが、城の裏手に滝があり、そこから城の内部へ水が流れ込んでいるらしい。
佐渡せきは少し身を震わせた。それはただ単に寒かったからなのかもしれない。しかし、流れる水に視線を感じるような気がしなくもない。
「寒いか?」
「あ、ああ、ちょっと」
「そうか。それならちょっと待っていろ……お前はそこへ座っていればいい」
一つ大きな机が部屋の中央に置かれていた。その横へ椅子が並べられており、その一つを流 ヒスイが指差すと部屋を出て行った。
間もなくして流 ヒスイは戻ってきた。
「これを羽織るといい」
青色の衣の綺麗な衣であった。
「あれ、それは……」
衣を手に取った佐渡せきは、不思議そうにその青色の衣を眺めていた。
(これは……)
どこかで見たような気がするのだ。しかし、それが何処であったか……今の佐渡せきには思いつかない。
思いつかないならば、それは自分が八霊山に来る前のことかもしれない。
そう思うと、佐渡せきは衣へ袖を通した。
「……よく似合っている」
それを見て小さく流 ヒスイが笑った。
「あっ、ありがとう」
「なんでもないさ。それよりも……」
すっと流 ヒスイが正面へ来て、椅子へ座った。流 ヒスイの綺麗な瞳が、佐渡せきをみつめている。
「…………」
少しの間、沈黙が続いていた。この部屋には窓が二つ付いていて、その外には未だ雨が降り続いているのが見えている。
「まずはお前に謝っておかなければならないかもな。私のつまらない私事に付き合わせることになってしまってな」
「な、なんだよ。急に改まって……」
「私は流 ヒスイ。『水霊』と呼ばれている者だ」
「水霊だって!?」
佐渡せきはここにきて改めて驚いた。自分が誘拐されたときの山城 暁と流 ヒスイとの会話もあった。その中から、この人物が、
(只者ではない……)
ということは感じ取っていたけども、まさか、
「水霊ってあの山神さまと対をなしているという……?」
自分が所属している護山家の頂点とまさに同格、雲の上のような存在であるなどとは夢にも思ってはいなかった。
「山神さま側はあくまで母上を水の精の頂点、水霊さまだと思っているが……それはもう昔の話さ」
「どういうことだ?」
「ふっ、なかなか口が達者だな?山城のやつも、私の前ではそんな口はきかないぞ」
「あっ……」
はっとして佐渡せきは肩をすくめた。目の前に居る流 ヒスイは見た目こそは自分と変わらない人の姿である。それに付け加えて、年齢もまた自分と同じくらいに見えたのだ。
外入り新人として八霊山に、護山家に入って日の浅い佐渡せきなのだ。上下関係やそのための会話にはとても疎い。
「まぁ、どうでもいい。お前も見ただろう?この地を、この家を。もはや、水の精は水霊にはついてきていない……水霊なんて身分も意味をなさないんだよ」
流 ヒスイは淡々としている。
「だが、それでいて水霊であり続けている。どうしてだと思う?」
「えっと、そうだな……やっぱり、昔を捨てきれないからでしょうか」
「昔、か……」
流 ヒスイが視線を落とした。
「そう思った奴もいた。しかし、私はそうではない」
顔を上げた流 ヒスイが立ち上がった。立ち上がると、机に乗っているカップを手に取り、部屋の隅を流れている水を汲んで、机へおいた。
透き通る綺麗な水であった。 この水は食事処『せいりゅう』でよく見るものだ。恐らくは水の精たちが自慢している八霊名水なのだろう。
「私はあの山城の奴が好きではない」
再び流 ヒスイが席へ戻った。佐渡せきの前へ一つ八霊名水の入ったカップが置かれた。
「あっ、ありがとう……ございます」
佐渡せきは頭を下げて、カップへ口をつけた。透き通る水は、いつも『せいりゅう』で口にしている、
『あの味……』
がした。
「山城の奴を見ていると、どうしても放っておけない。八霊の山を率いる身でありながら、あのだらしなさだ。あんなものなら、いっそのこと私が……と思っているが……」




