カゼキリ風来帖(7) ~ 水霊ヒスイの挑戦! 対決! あやか 対 せき !! の章
「ここへ来るのは久しぶりだろうか」
一人の少女が山道を歩いている。
立派に装飾の施された衣を纏っていて、その歩き方には、
「気品……」
が漂っている。
そしてその腰には、同じように綺麗な黒塗りの鞘に収められた大刀が下げられている。
「ふぅ」
と一つ息を吐くと、少女は腰元に下げられた大刀を見た。
日は高く上っており、木々の間から漏れている太陽の光が、黒塗りの大刀を、
「妖しく、そして力強く」
輝かせていた。
ふと上を見れば、真っ赤に高揚した葉が眩しく映えている。
少し前に嵐が来た。そのせいで多くの葉や果物が落ちたと聞いてはいたものだが、
「秋はこれからか。寒くなるんだな」
少女は呟くと足を早めた。足を進めるにつれ、少しずつ轟音が聞こえてきた。
横には川が流れている。綺麗に澄んだ青い川である。
それを目で上っていくと、それはそれは見事な滝が見えてくるのだ。
そこが少女の目的地であった。
「久しぶりだろ。出てきたらどうだよ?」
「…………!!」
不意に少女が声を立てると、滝の上から、
「ふん、私の気配くらいは分かるようになったか。山城」
声とともに人影が落ちてきた。
「ああ、ヒスイ。いつまでも負けてはいられないさ……次代の山神としてな!」
滝の上から降りてきた少女へ、立派な装飾を纏っている少女は語気を強めて言った。
彼女は山城 暁という。八霊山護山家……ひいては、八霊山に住むもので、
「その名前を知らないものはいない……」
ほどの実力者であり、あの
『山神さまの娘』
にして、山神さまの後継者に間違いないと言われているのである。
そしてそのことは本人も自覚している。
「そういっては、私との勝負には負けている。何が山神だ、笑わせるよ」
もう一方の少女が冷笑を浮かべて山城 暁を見やっている。
「いつかは勝つ!それで帳消しだっ!!」
そんな少女に対して、山城 暁が笑顔と敬意を込めて視線を向けている先にいる少女……彼女は、
流 ヒスイ といい、あの水霊さまの娘なのだ。
山神さまと水霊さま。二人の神は大昔、八霊山の侵略者であった『奈落王』との戦いを通して、
「共闘した末に、八霊山を治めた」
というのが伝承として伝わっている。
しかしこれは山を治めるための方便であって、実のところは、
「『奈落王』との戦いとの末に、水霊さまは八霊山の主導権を握ろうと『奈落王』との戦いで大きく疲弊していた山神さまへ戦いを仕掛け、そして敗れた……」
のであった。
したがって、今の八霊山の主導権は山神さまが握っており、敗れた水霊さまは、山神さまの監視下の元で、
「もう一人の神」
として八霊山の裏側で水の精霊を纏めているのだ。
……そういった事情もあって、山城 暁とヒスイ。二人の神の娘は難しいところであった。
「ふん、なにを言っているんだか。お前はいつもそうだな」
「ああ。だって私は山神さまの娘、次の山神さまになる女だからさ!」
山城 暁はすっと軽やかに駆け出すと、正面の滝を見据えた。
この滝には裏側があり、そこに水霊さまの社があるのだ。今日はそこで、大事な話がある。
(母さまは言った。水霊さまとは仲良くやらなければならないと……それなのに、今日のことはどうなるのだろうか……)
「さ、行こう。母上がお待ちだ」
「分かってるさ」
二人は滝の裏へと進んでいった。轟々と水の落ちる音が響いている。
山城 暁 と ヒスイ、そして水霊さまを交えた、この『会談』その内容は、あの
「水影あさひとその陰謀……」
についてのことだった。
「では、水霊さまは『水影あさひ』という水の精についてご存知ではないというのですね?」
暗い滝の裏側、薄暗い岩壁が進む先に、一つの社が構えられている。
その壁を不思議と小さく光るコケが僅かに洞窟内を照らしていた……先に、二人の人影がある。
社の手前には、一人の少女 流 ヒスイがいて、その一歩手前に山城 暁 はいる。
「そう。私はそれに関して何ら知るところではない。そもそも、その者が水の精であるのかどうかすら、分からない……ヒスイ、お前はなにか知っているか?」
「いえ。知りませんね。水の精を常に見守っている私ですが、そのような者は見たことがありません。母上」
「……ということだ。どうだ、山城 暁よ」
「分かりました。このこと、しかと母さ……いや、山神さまへとお伝えします」
「ふっ、頼む。しかし山神の言うことである。注意はしておくとしよう。ヒスイ、怪しいものを見たら、山神に伝えるがいい」
流 ヒスイは水霊さまの社へ膝をつき、頭を垂れて、
「了解しました」
淡々とした声で返事をした。
(水霊さまは山神さまへ直接伝えるようにいった)
山城 暁は息を吐いた。もちろん、それは動作として見えないように、である。
水霊さまは水影あさひに関して、自分はまったく知るところではない、という立場を明らかにしたのだ。
その上で、怪しいものを見たならば、直接山神さまへ伝えるように……と流 ヒスイへ命じたところを見ると、
(水霊さまは協力をしてくれているんだ)
と山城 暁 は見ている。
しかし、それは楽観的に見てのことだろう。悲観して見るならば、
(水霊さまは本当のことを言ってはいない……)
と言えるだろう。
そこは山城 暁である。『次代の山神』として八霊山のためになることを考えてゆかねばならない。
「水霊さまとの友好もそのひとつ」
なのである。
しかし、これ以上の追求をしても本当の答えは得られないだろう。
そもそもそれが本当の答えであるかどうかも分からない。もしかしたら本当かもしれないし、水霊さまが
「嘘を言っている……」
のかもしれない。
少なくとも山城 暁 は納得してはいなかった。
ただ山神さまの使いとしての自分の立場、それに山神さまと水霊さまとの関係を考えて、
(この場は我慢をするべきだ)
平然として、流 ヒスイと同じように膝をついて、頭を垂れ、
「わざわざありがとうございました。このこと、山神さまへ伝えておきます」
凛とした様子で答えたものだった。
「立派なものだ。山城 暁。次代の山神は君ならば安泰だろう。宜しく頼む」
社から、水霊さまの低い声が響くと、それを最後に気配が消えた。
水霊さまがこの場を去ったのである。
「さ、母上が帰られた。我々もこの場を後にしよう」
すっと立ち上がった流 ヒスイが滝の入り口のほうへと向けて歩き出した。
その後を追う形で山城 暁 は続いていった。
流 ヒスイの背中が見える。山城 暁からすれば背丈は同じくらいであろうか。昔から同じような運命を辿ってきた二人である。
山神さまと水霊さま、二人の神の娘にして次代の神として、種族こそは違えど、似たような道を歩んできたものであった。
従って、自然と二人は、
「似たもの同士……」
といえるような箇所が所々に見受けられたのだ。
背丈もそう、立場も雰囲気も……同じ道を歩むものとして、同様の部分が随所にあったものだった。
しかし、それでいて性格は異なっている。
「ヒスイはとても冷静なやつだよ」
山城 暁 はそう自分の母である山神さまへ話したことがあった。
非公式ながら剣術・武術の試合を度々挑んでいた山城 暁である。それを、
「ふん」
と鼻で笑いつつも、相手をしてくれるのが流 ヒスイなのであった。
そして負けるのいつもは山城 暁の方だった。
非公式とはいえ、山神さまの娘と水霊さまの娘が剣術・武術で勝負を行えば、必ず、
「勝ったほうが八霊山を治めるにふさわしい……」
といった風聞が広まるものなのだが、流 ヒスイはこれに拘らず、
「ふん。では失礼」
といって喜びもせずに去って行くのだ。それが流れる川のように、特に自然で、何事もなかったかのようであるので、
「これはただのお遊びではないか」
という風になり、騒ぎ立てることもならない。
それにそもそも、二人の勝負を見ること自体が稀のことであり、見れたとしても限られた者であったろう。
例えとして、護山家で比較的高い立場を持っている高山 はるかはその勝負を、
「うわさでは聞いたことがありますが、見たことはありませんね」
のである。
余談になるが、今はいない彼女の姉、高山かなたは、
「ああ、あの二人の勝負は、そりゃあ凄いものさ」
と妹の高山はるかに語ったことがある。
もっとも、そんな希少な勝負を見ている高山かなたは今はもう八霊山にはいない。よって、ただでさえ少ない二人の勝負を知るものなど、
「ほぼいない……」
ことになる。
さて……
流 ヒスイが水霊さまの滝を去っていく山城 暁を見送った後で、彼女は再び滝の裏側へと戻っていった。
それをちらりと振り返った山城 暁が見えていたかは分からない。山城 暁は足を止めずにそのまま帰っていった。
「母上」
滝の裏側で流 ヒスイが水霊さまの社へ声をかけた。
「暁が話していたこと、恐らくは……」
「ああ、お前が考えているとおりだろう」
「ならば我々はどうするべきでありましょうか?いち早く、奴を始末してしまった方が良いと、私は……」
「ヒスイ。私には、奴の考えていることは分かる。だからこそ、どう立ち回るべきか、考えねばならない」
「母上……あいつは……」
「水の心。忘れるな。奴もお前も私も、水なのだ。移り変わり、流れていく。いつまでも同様であるとは限らない……この八霊山も同じこと」
「……母上」
小さな声が洞窟へ響いていた。
「……そうだな」
それを遠くで聞き届けたように、頷いた人影があったことを、このとき水霊さまの社に居た水霊さまに流 ヒスイ、そしてそこを後にした山城 暁は知ることはできなかった。
いや、とても分かったものではないだろう。その人影の位置は、彼女たちとはまったく別のところ、それまた知る由のないところにいたのだから……。




