カゼキリ風来帖(6) ~ 外入り新人!佐渡せきの悩み の章(6)
あれから一月ほどが経った。
相変わらず、仕事に関しては不慣れな佐渡せきであったが、このごろは、
「気持ちを入れかえたように……」
元気がある。『せいりゅう』にも相変わらず通っており、そこの川岸みなもによれば、
「最近は仕事の愚痴も話さなくなって、むしろ楽しんでいるようなところがあるようですね」
ということである。食欲も旺盛で、
「仕事に疲れたあとはたくさん食べなくちゃなぁ」
などといっては、暖かいそばやおかずのナスを綺麗においしそうにたいらげるのである。
どうやら佐渡せきは仕事への意識が変わってきたようだ。今では、
「気を紛らわすためだよ」
といって剣術を始めている。もちろん、これは強制ではなく自主的なもので、
「あやかさん。その……私もこれを習いたいのですが……」
といって、腰の大刀を前に出してきたときは、
「なんだよ。そんなことか」
と風切あやかは笑ったものだった。事務役の護山家はもともと剣術や武術に不慣れなものが行っている役目である。
それならば佐渡せきもそういったことに
「向いていない」
ということになるが、そこは柿留しょうの代わりにとして配属されただけにその事務役の例えには入らなかった。
「えいっ、やあっ!!」
いざ稽古を始めてみると、佐渡せきは雑ながらも気持ちの入った声をあげながら木刀を振り回している。
「中々見どころがありますね」
というのが高山はるかの評価であった。
もちろん、柿留しょうの代わりとして入った佐渡せきは、すぐに事務役へ回されたため、木刀でも刀でも、
「前へ構えて振ってみた」
ことなど一度もない。
ただ彼女が持っていたものは腕の強さだけであったのだ。
腕力の強さが佐渡せきに木刀を自在に振るわせることを可能にしていたのだった。
他の事務役の護山家のは、こういった力は、
「とてもないな。だから、お前には見どころがあるよ」
と言われ、佐渡せきは自信をつけたのだった。
それだけに毎日が楽しくなってきている佐渡せきである。
失敗を重ねつつも、仕事を終えたあとに行う剣術稽古、そしてその帰りに『せいりゅう』で食べる冷やしそばなのだ。
それがここのところの佐渡せきの生活、
「いとなみ」
となっているのだった。
「ああ、今日もしっかり働いたし体も動いた!おいしかったぁ」
意気揚々に『せいりゅう』を出た佐渡せきは、ふとあることを思い出して、川べりへと向かっていった。
「そうだ。最近のこと、あさひにも話しておきたいな」
このことである。
あの日、川べりで出会った水影あさひ……
彼女とはあの日以来、一度として会うことはなかったのだ。
「今日は来ていないのかな」
そう思いながら、何度かあの場所へ向かってはみたものの、やはり会うことはできなかった。
そしてあの嵐が来た。嵐のさなかはどうしても役目が忙しいし、川べりも
「それどころ……」
ではなくなる。実際に行方不明者や救助で山を見回っているときに、この川べりを見ることがあったが、
「こりゃー、とてもやばいですわ……」
佐渡せきはとても怖気づいてしまい、近づくことすらできない始末であった。
うっかりでも流れに触ってしまったら、そのままの勢いで流され、今度は
「私が探されるほうになっちゃいますって」
と泣き言をいっては風切あやかを困らせていた。
そういったうちに、水影あさひと会うこともなかなか出来ずにいた佐渡せきである。
あたりはもう暗くなっている。ちょうどあの日、水影あさひと出会ったのと同じ時間であろうか……
もっともあの日とくらべて日の入りはだいぶ遅くなっている。夜の暗さは変わらないようだが、この日は一段と夜の闇が濃いように思われた。
そしてその中を、いまだ水量が多く流れの強い川が轟々と音を立てて流れている。
「こいつは気をつけないとな……」
嵐の川べりほどではないにしろ、ドジを自覚している佐渡せきなのだ。うっかり足を滑らせないように、川から離れゆっくりと足を進めていた。
歩を進めるたびに、何やら不穏な空気が強くなっているのをそれとなく佐渡せきは感じていた。
それは強い川の流れの悪意というべきだろうか……意思をもっていないはずの川が、まるで自分を飲み込もうとするような……言葉に出来ないような恐怖である。
進むにしたがって、夜の闇が溢れている。
「…………」
ついに佐渡せきは足を止めた。怖くなったといえばそれが正直なところである。正面から、闇にまぎれた殺気が風のようにこちらへ向かってきているのを、
「それははっきりと……」
感じたのである。
ピリピリと頬が、そして腕が痛むのを感じている。決して傷ができているわけではない。感覚的に痛むのである。
「こいつは来る」
確信した。それと同時に、佐渡せきは大刀を抜き、構えた。
佐渡せきの予想通り、前のほうから黒い影が三つほど滑るように駆けてきた。
やはり人ではない。黒い刀を持った黒い影である。
「これが浪霊か……」
佐渡せきも護山家の研修で話には聞いていた。なんでも山で亡くなった者の魂が変化したものだとか……それが生あるものを襲い、更に不浄の魂を増やしているという。
それが目の前に三体いる。実戦は始めての佐渡せきでは到底かなう相手ではない。
(でも、私しかいない……やるしかねえじゃないか!)
初めての戦いにおびえる気持ちも確かにあった。しかし、それ以上にあるのは闘争心だった。
「お前たちを倒せば、私だって護山家の一人前だっ!」
大見得を切った。相手は浪霊なので怯むことはないけども、佐渡せき自身は大いに吹っ切れてた気持ちになった。
「もっとも私は一度は死んでいるんだ。これ以上死ぬことの何が怖い!」
足を開き、大刀を高く構えると、浪霊を迎え撃つ形で、
「そりゃあ!!」
力いっぱいに振り下ろした。運よくそれが向かってきた浪霊の肩から腰を引き裂き、
「グォォオオ……」
浪霊を1体、倒すにいたった。残る浪霊は2体である。
先に向かった浪霊を倒されたのを見て、残る2体は考えたのだろう。佐渡せきへ向かう足を止めて、前と後ろへ列となり、順々に攻撃する姿勢をとった。
(これはやばい)
佐渡せきは息をのんだ。1対1なら戦う自信を持つことはできるが、1対2では、
「片方を相手にしている間に、もう片方にやられちまう……!」
ということである。
もしもこれが戦いに多くの経験を持っている風切あやかであったなら、余裕をもって切り抜けることができるだろう。しかし、今を戦っているのは戦闘経験のない佐渡せきである。
1対2ではどうやって考えても、生きて切り抜けるのは、
(よっぽどの運がいる……)
のである。
「でも……やるしかねえか」
佐渡せきは考えるのをやめて刀を構えた。見よう見まねの剣術である。構えは風切あやかがやっていたのと同じつもりでやっている。
「……それっ!!」
そして思い切って駆け出した。
眼に映る景色が揺れ動いている。目標は前に出ている浪霊である。
(そいつをすぐに斬り倒して、後ろの奴を!)
というのが佐渡せきの思い描く戦い方であった。川の流れる騒音のなかにザッザと石を蹴り、駆け抜ける音が高く響いている。
その勢いのままに、佐渡せきは前へ立っている浪霊へ、
「どりゃあっ!」
必殺の一閃を叩き込むことに成功した。手ごたえもある。残るは後ろの浪霊を倒してしまえば、
「このピンチも終わりっ!」
みごと切り抜けたことになる。
その光景が一足早く、佐渡せきの目の前に浮かんだとき、
「くあっ……」
不意に体が中へ浮いた。
(なっ、なんだ……?)
すぐには何が起きたのか分からなかった。しかし、前のめりに倒れたとき、足に残った感触から、自分が川原の石、そのコケに足を滑らせたということに気がついたのだ。
「くっ、くそっ!」
目の前には浪霊が立っている。その手にある黒い刀を下に構えて、地面もろとも、佐渡せきを突き刺そうとしている。




