カゼキリ風来帖(6) ~ 外入り新人!佐渡せきの悩み の章(5)
日々寒くなっている。つい先日、八霊山へ大雨が降ったものだった。
風も強い。山の木が弓がしなるように揺れて、
「倒れこんでくるのではないか……」
と誰もが怖がっていた。
そういった時でも護山家の役目が休むことはない。川の氾濫や行方不明者の捜索、それに土砂崩れの調査など、
「こういった時にこそ」
仕事が多くなってくるのだ。
そういうわけで、佐渡せきも風切あやかとともに、強い風が吹き大粒の雨が降る、八霊山へと出ていたのだった。
「はぁ……はぁ……」
佐渡せきが風切あやかのあとを這うようにして、ゆっくりと追っていく。
風切あやかもかつては佐渡せきと同じように『外入り』の新人として護山家に入ったものだが、そこはなんといっても今までの経験量が違ってきている。風や雨などは、
「まるで問題ない」
といったふうに、風切あやかは木々の間や山道をすいすいと進んでいく。
一方で佐渡せきなどは、泥に足を取られたし、いつの間にか道を外れてしまっていたりと、
「散々……」
な様子であった。
「わっ、私はいないほうがいいんじゃないんですか?」
早々に弱音を吐いたものだった。仕事だけなら風切あやかが一人でやったほうが余程はかどる……ということらしい。しかし、
「それじゃ、いつまでたってもダメなままだろ?」
その一言で切り捨てられた。佐渡せきは気づいてはいないけども、この時の風切あやかは、
『佐渡せきのサポート』
を含めて役目としているのだった。
もちろん、移動の際には彼女から目を離していないし、なにか危ないことが起きそうなときには、進んで声をかけている。
佐渡せきが考えるように、
「自分のせいで、あやかさんの仕事がうまく行かない……」
といったことはまったくない。
更に言うならば、風切あやかもまた佐渡せきが思ったことは、
「過去に経験したこと」
なのである。
その時の上役は高山はるかの姉の高山かなたであった。
高山かなたは妹のはるかと異なり、快活ですっきりするくらいに爽やかな性格をしていて、
「あの人とは姉妹でありながら考え方は正反対でしたよ」
というのが高山かなたについて話した高山はるかの人物像の一つだった。
風切あやかに言わせても、
「かなたさまは無茶ばかりする。しかしそれでいて何に対しても強い」
というところである。
そんな高山かなたは今回のような大嵐の日に風切あやかを役目に連れ出すなり、
「ほらほら、あやか、こっちこいよー」
やら、
「はっはっは。そんなところでコケるなんて情けないぞー」
嵐の轟音に負けない声で笑っていたものだった。
そんな高山かなたを師匠に持ち、風切あやかは強くなった。その苦労が今となり、佐渡せきへの教育へ活きているのだ。
「ほら、手をかしてやるから、こっちへ上ってきな」
「はっ、はい!」
そうしているうちに風は弱まり、雨もひと段落してきていた。
続いていた嵐も、そろそろ終わりであるようだった。風は吹いてはいるものの、雨はほとんど降ってはいない。
八霊山がこの嵐で受けた被害の調査のため、引き続いて、風切あやかと佐渡せきは、山の見回りへ出ることとなった。
「やっと嵐も過ぎていったみたいだな」
「……そうですね」
二人は丘の上で一休みをしていた。ここからは草原が一望できる。
さぁさぁ……と風が草を揺らして、波打つように流れている。
空は灰色が強いが、雲の間からは青い空も見えた。
「……?どうした」
風切あやかが佐渡せきの顔をみてつぶやいた。佐渡せきの表情が、
「空みたいな曇っているな……」
と感じたのだった。
「あ、ごめんなさい!いや、なんでもないっすよ」
「んなことないだろう?分かっているかは知らないけど、お前のそのあやまり癖、有名になってるぞ?」
「えっ、はっ……まじですか?」
「まじだよ。なにか悩んでるって、みなもの奴も言ってたし、嫌なことがあるなら、私に話してみろよ」
「いっ、いや、それは……」
佐渡せきは言葉を濁して答えなかった。それはまるで虫歯を我慢している子供のような顔だった。
「言いたくないのか」
これには風切あやかも呆れてそれ以上は言えなかった。佐渡せきから目を離して前を見る。丁度、そのとき、一羽の鳥が空へと飛び出し消えていった。
「ああ……」
それを見て風切あやかは、あの精霊鳥のことを思い出した。今年の春先、自分が守った精霊鳥は、今頃、どうしているのだろうか……。
そう思った時、風切あやかは立ち上がった。そして佐渡せきの手を引くと、
「ちょっと行く場所があるから、お前もこいよ」
そう言うや、すぐにその場を後にしていった。
風がまだ、せわしなく吹いている。
そこには一本の木が立っている。他の木とは比べ物にならないくらいに大きいもので、また他の木にはないような、
「威厳……」
を備えていて、神秘的な雰囲気を持っていた。
「すっげぇ、でっかい木だなぁ……」
これには佐渡せきも驚いたようだった。空へ一直線に伸びているその木を見上げると、
「……おお」
それ以上の言葉も出ないようで、ただただ見上げているだけだった。
「見上げても見上げきれないだろう?」
風切あやかが言うと、佐渡せきは唾を飲んで頷いた。これほどのものが八霊山にあるというのは、名前こそは聞いていたけども知らなかったのだ。
このとき、佐渡せきが感じたことがある。それは風切あやかが普段、この木を眺めているときにいつも思っていることで、
「自分というものはなんて小さいものなのだろう……」
ということだった。
これがあの『精霊鳥と生命の桜』の章にて、精霊鳥のヒナが巣を作っていた『生命の桜』なのである。
もっとも今の時期は桜の花などはとてもついていない。代わりに茶色や黄色、または赤色の葉をつけて、どこかもの寂しい雰囲気が漂っている。しかしそれでいて、
「この雄大さだ……この木は生きているんだ」
それを見るものは感じることができる。それ故に、この木は『生命の桜』と呼ばれているのだ。
「この木が以前に話した生命の桜だよ。精霊鳥の話、覚えてるか?」
「えっ、あっはい」
「ふと思い出して来てみたものだが……あの嵐があっても、この木はまったく揺らいでいないな。……ほら、あの辺り、まだ巣が残っているな。あの風の中でも残っているんだ。本当にすごいもんだよ」
風切あやかが指差すほうを佐渡せきは、じっと眺めてみた。少し高いところに木の枝が分かれている部分がある。その間に何やら木の枝や枯れ草のようなものが集まって、巣を形作っているのが、
「あっ、あれが……」
分かったものだった。そしてそれを見たとたんに、
「…………ああ」
佐渡せきの胸に込みあげてくるものがあった。心臓が高く鳴っている。
それがなにかは分からないが、あの巣を見ていると、なにか昔、自分が失くしたものを見ているような……そんな気がするのだった。
(私が失くしたもの……?)
それはいったい何だったろう?佐渡せきは覚えていない。覚えていないが、自分が大切なことを忘れている、
『忘れてはいけないもの』
が自分の中にあるということを思い起こしたとき、
「そうだ……!」
とっさに自分の胸元へと手を伸ばした。そこには青い石が輝いていて、すっぽりと佐渡せきの右手へ収まっている。先にも述べたとおり、佐渡せきはこの石についてのことは覚えていない。覚えていないが、それが自分にとって、
「失ってはいけないもの……」
であることは覚えている。
それを思い出すと、
「そうだ、私は……」
佐渡せきの心には少しの余裕が出てきた。
はぁ、と一つ息を吐くと、
「あやかさん」
「なんだ?」
「私、ちょっと思い出すことができました。大事なことを忘れていたんです。それを追い求めていかなくちゃって……なんだか、あの桜の木を見ていると、そう、あの木に語りかけられたような気がして」
「…………」
「あっ、いや、ごめんなさい。わけ分からないっすよね。照れくさいけど、そんな気がするんです」
「そうか。分かったよ」
風切あやかが笑った。別に、佐渡せきの話を聞いて可笑しいと思ったわけではない。
今、佐渡せきが感じたこと……
それをかつて風切あやかも、この生命の桜を通して感じたことがあったのだった。
あの精霊鳥のヒナを浪霊から救い、その場に倒れたときのことである。
「そうか、私は……」
そうして目を閉じたとき、見えてきたものは見たことのない自分の姿だった。
今の自分の記憶ではとても考えられないような自分……見たことのない人に囲まれ、
「笑っていたり泣いていたり」
していたものだった。それが続いたとき、意識は途切れてしまった。
今はもう八霊山の護山家になりきってしまっている風切あやかである。そんな自分にも、かつては忘れていはならないような、
「なにか……」
があったのだ。
それが何であったかは分からない。
「私は私だ。風切あやかなんだよ」
今はそう思っている。けれども以前自分が持っていた……言い換えれば、今の自分が忘れてしまっている、
『なにか大切なもの』
を追い求めている自分がいるのも確かなのだった。
それが自分にとって何を意味しており、何の意味を持っているのかは分からない。
ただそれを日々の仕事を終えたときに考えては、
「生きる目的、そして意味」
を思うのであった。
佐渡せきもまた、
「思い出し、追求するものがあれば……」
彼女が抱えている悩みや寂しさも、それを解き放つことができるのではないかと風切あやかは思ったのであった。
さぁさぁと桜の木が風に揺られ音を立てている。
そうしてぽつり、ぽつりと、
「雨が落ちてきたな。さ、戻ろう。報告が終わったら、二人で『せいりゅう』に行って飯でも食べようよ。……そうだな。今は焼きナスがおいしい。ネギをよせて、おろしたショウガをつけて食べるのがおいしいんだ」




