カゼキリ風来帖(6) ~ 外入り新人!佐渡せきの悩み の章(4)
「あなたは……」
ふっと小さな声がした。声の主が佐渡せきを確認し、小さく言うと、先ほどまで張り詰めていた、空気が途端にやわらいだ。
「あっ、あああ……」
佐渡せきの体はいくぶんかは楽になった。しかしすぐには体は動いてはくれない。というのも先ほどまでの殺気が、非常に強いものだったのだ。
(まるで……)
ものを言わず、ただただ目に入るものを殺戮していく、飢えた狼のような気配と殺気……
そのとても生きた心地のしない空気が、先ほどまでたちこめていたのである。
「くっ、ううう」
相手が自分に問いかけている。返事をしなければ命はない……そう思って、必死に声をだそうとはしている。しかし息が詰まったように胸が苦しくて、とても短い言葉すら言えずにいるのだ。
そんな佐渡せきへ声の主は、
「よっと」
岩場を降りて近づいてきた。そして手元に持った水筒を佐渡せきの前へ向け、
「これ、八霊名水」
動けない佐渡せきへ優しく声をかけると、すっと両手で体を支え、飲ませてくれた。
「……ぷはぁ。あ、ありがとう」
ようやく、やっとのことで佐渡せきはその人物へ言葉をかけることができたのだった。
今となれば、その人物の顔もはっきりと見える。
長く黒い髪をした少女であった。
背は自分よりも低いだろうか。まるで子供のように小さかった。
顔には何の表情も浮かんではいない。ほとんど無表情といえた。しかし、佐渡せきにとっては、
(なんて、綺麗なんだ……)
思わず見とれてしまっていた。言葉に出来ないような神秘がそこにあるのだ。
八霊山に来て、日は浅い佐渡せきである。今日まで風切あやかに高山はるか、それに一緒に働いてきた護山家、そして『せいりゅう』の川岸みなもや水の精など、多くの人々を見てきたものだったが、
(こんなに綺麗な人はみたことがない……)
のであった。
それは明らかな神秘だった。冷たくも美しいような雰囲気である。
見ているだけなら、いつまでも見とれているだろう。しかし、佐渡せきははっとして、
「すっ、すまねえ!つい綺麗な声……歌が聞こえたから……。ぬすみ見やぬすみ聞きをしていた訳じゃないんだよっ!」
顔を赤くしてまくしたてた。少女は無表情でそれを聞いていたが、不意に、
くすり……
と小さく笑みを浮かべると、
「私の声、私の歌を聞いて……きれいだったの?ありがとう」
先ほどまで聞いていた歌のような、綺麗な声で言ってくれた。
「それであなたは?」
「わっ、私は佐渡せき。八霊山の護山家だよ」
「護山家……ああ、確かにあなたの服はそれね。夏まで一緒だった姉さまが、それと同じ服を着ていたわ」
少女は思い起こすように小さくうなづいていた。月の光が彼女の髪を照らし、彼女の姿をいっそう綺麗にした。そして、その神秘的な姿が川の水面に映し出されている。
「私は、あさひ。水影あさひっていうの。水の精」
「へ、水の精?」
佐渡せきは驚いた。水の精といえばあの『せいりゅう』で働いていたり、水辺で遊んでいる、
「あの……?」
水の精である。
護山家と違い、いつも明るく楽しく暮らしているような者たちが多く、
「ああいった人たちもいるんだなぁ」
と常日頃から佐渡せきは不思議に思っていたものであった。
それを考えると、目の前にいる水影あさひは、とても水の精と一緒のものだとは思えない。
まず雰囲気が違う。今まで見てきた水の精たちの中に、
「あの綺麗な……」
不思議な雰囲気を持つものなどは一人としていなかったのだ。
そしてそれは護山家の中でも同じである。……もっとも護山家は武骨でとても雰囲気などを持っているものではない。そういう意味では水の精はある神秘性を持っているのかもしれない。しかし普段接している水の精は、やはり水影あさひのようなものではない。
(つまり、特別な水の精なのかな)
佐渡せきは思った。
昔は水の精も水影あさひのような神秘性を持っていたものだが、時間が経つにつれて、失われてしまったのかもしれない。
ともかくも今まで見てきた『水の精』と水影あさひがあまりにも、
「違いすぎる……」
ので、佐渡せきは目を丸くして彼女を見入ってしまっていた。
水影あさひの顔にあるふたつの目が、まるで宝石のように青く輝いている。
「ごっ、ごめんごめん!気を悪くしないでよ!!君がとっても綺麗でさ……美しかったから、今まで見てきたどの水の精よりもまったく違ってたから……驚いたんだ。まったく……悪いことじゃないから」
「ふっ……へんなの」
水影あさひが笑っていた。屈託のない無邪気な笑顔だった。
「分かってるからあやまらないで。別に怒ってないし、あなたのことをどうするつもりもないわ……ただ、面白いなって思っただけ」
「へっ……?」
それを聞いて佐渡せきが気の抜けたように息をついた。
一種の心配性であったのかもしれない。日々の失敗が、彼女を心配性にしているところがあるのだ。
思わず顔を赤くして伏していると、その隣に水影あさひがすわった。
(あ……)
ちらりとその顔をうかがってみた。近くにある水影あさひの顔は、先ほどまで見ていたよりも、
「いっそうに美しくかわいらしい……」
ものだった。
「私、夏までは一緒だった人がいたの。護山家で、とても強い人だったんだけど……出て行ってしまったの。悪いことをしてしまってね」
「そ、そうなのか……」
「でも、あなたは強くなさそうだわ。護山家なのに」
くすっと水影あさひが笑っている。きっと先ほどまでの佐渡せきの様子を思い浮かべているのだろう。それを言われて、とたんに佐渡せきは恥ずかしくなった。
「い、いやっ……私はさ、新入りなんだよ。それも外からのさ……」
まるで言い訳を言っているような佐渡せきである。自分ではこういっているが、新入りであることも外から八霊山へ入ってきた『外入り』であることも、本当のところは、日々の失敗とはあまり関係がない。
(はは、やっぱダメだな私は)
心の中で苦笑していると、それを意に介していない様子で、水影あさひが、
「まぁ、外から……じゃあ、私のあの人の代わりなのかもしれないね。私がひとりで寂しいから、神さまがあなたを導いたのかもしれない」
小さく笑いながら言ったものだった。ふと佐渡せきは気になって、
「あさひは、ひとりなのか?」
話してみたものだった。八霊山には多くの生き物や動物、それに人々が暮らしているものだ。それが一人ぼっちで寂しいなんていうのは聞いたことがないし、見たこともない。
もっとも八霊山に来て日が浅い佐渡せきである。もしかしたら、
(ひとりを好む種族や動物がいるのかもしれないな……)
と思ったものだが、水影あさひは自分で自分のことを『水の精』だと言っていた。ともすれば、これはどういうことなのだろうか。
(私でさえ……)
周囲には仲間がいる。風切あやかに高山はるか、それに多くの護山家や水の精が自分を支えてくれているのである。
「そう、ひとりなのよ。私は。水の精でも特別……でね。他の人と一緒にいることができないの」
水影あさひがうつむいた。もしかしたら、
(聞いてはいけないことだったか……?)
という思いがして、佐渡せきは自分を責めた。
(そうだ。他の人と一緒にいられないのも、それが『特別』だからだと言っていた)
それならば別に怪しいことでも変なことでもない。なにか特別な存在だから、他の水の精や生き物たちと一緒には居られない。
「ただそれだけ……」
のことなのだ。
佐渡せきは、水影あさひへ変な疑念や疑いを少しでも持った自分が恥ずかしくなって、
「いやっ、わっ悪い。私もひとりなんだよ。外入りでさ。仕事も失敗ばかりでうまく行かなくて……一日の楽しみは『せいりゅう』でそばを食べるくらいのものでさ!ホント、寂しくてしょうがなかった!!」
「せきもそうなの?」
「ま、まぁ、そんなところだよ……って胸張っていえることじゃないけど、そんな感じ!」
もちろん、厳密には結構ちがっているし、そもそも一人ではない。しかし、その一方で不慣れな仕事と『外入り』で周囲との分け隔てを感じ、寂しく思っているのは本当のことなのだ。
「じゃあ、私たち、友達になれる?」
「友達?」
「うん。あの人が言ってた。友達ができたって。友達は気になったり、放ってはおけない人なんだって」
「ん、ああまぁ、そんなところだろうなぁ」
「じゃあ私たち、『友達』でいい?私、もっとあなたと一緒にいたいわ」
「……そうだな。私もそうだよ!」
「やったぁ!」
水影あさひはよっぽど嬉しかったようだ。あの無表情に満面の笑みが浮かんでいる。すっと立ち上がると、佐渡せきの正面へ回り、両手をとって喜んでいた。
ひんやりとした両手が冷たい。小さな手が佐渡せきの両手にからみつくと、本当に嬉しそうな水影あさひの笑顔が正面に見えた。
(喜んでもらえたなら嬉しいな)
それを見て佐渡せきは心からそう思った。
悪い気持ちは何もしない。むしろ自分にも『友達』ができたということに、なんだか、
「解き放たれた……」
ような心もちがする。
互いにたがいが手を取り、喜んでいるさなかのこと、
「あれ……」
ふと水影あさひが小さな声をあげた。
「どうした?」
と、佐渡せきが水影あさひを見ると、それ……というように、佐渡せきの首元を指差している。
「ん、なんだ?これか」
その指の先には青い石があった。首飾りのようになっており、胸元で青い石は僅かに輝きをたたえている。
この青い石は佐渡せきが八霊山で目覚めたときには既に見につけていたという。
つまりそれは、佐渡せきが八霊山で命を落とした前からその石を持っていたということになるが、佐渡せき自身、
「死ぬ前のことは何も覚えていないんだ」
というので、その石がいったい何であるかは分からない。
ただ分かることといえば、
「とっても大事なもの……」
であることだけは覚えている。
それは何があっても手放してはいけないという強い想いを秘めているのだ。
「ふうん。そうなの。じゃあ、私が欲しいっていっても、無理だよね?」
「ごっ、ごめん。これだけは……本当にダメなんだ。どうしてか分からないけど……本当にごめんっ!!」
「いいのいいの。言ってみただけだから」
そう言うと、水影あさひは川の水面を指差した。
「ほら、すごいすごい。水面に空のお星さまが映って……まるで川が空みたいね」
「本当だな。でも空に浮かんでる本当の星のほうが綺麗だと思うよ」
佐渡せきは空を見上げた。そこには本物の、光を放つ星が、暗い空を照らし、彩っていた。




