カゼキリ風来帖(6) ~ 外入り新人!佐渡せきの悩み の章(2)
秋はすっかり深まった。
紅葉は赤く、銀杏は黄色に染まり、山道を行く護山家たちも、
「わぁ……」
と声をあげては、道行く足を止めて、それに見入っていた。
そんな明るい山道の中に、
「はぁ……」
とため息をつきながら歩いている一人の人影を見ることができる。
「ああ、くそう。今日もやっちまったぁ」
佐渡せきである。
あの護山家の挨拶会から半月ほどが経った。その間の失敗は数知れず。そのたびに悔しがったり、涙を浮かべたりしているもので、
「大丈夫!大丈夫だからっ!!」
と周囲が彼女を励ましているのだ。
佐渡せき自身はあまり意識はしていないのだが、どうやら、彼女には、
「放っておけないような……」
可愛らしさがあるらしい。つい先日も、
「ああっ、くそっ、もう……」
などと涙目を浮かべてぐずついている彼女があった。それを一緒に働いている護山家が見てみるとどうやら、書類をぶちまけたのだという。
佐渡せきは見かけによらず『力持ち』であって、そのために、
「一度に多くの書類を運び出そう!」
とするフシがあるのだ。もちろん、無茶なことはする必要はないのだが、彼女自身、失敗が多いのだから……と自分から人一倍頑張ろうとしてしまう。それが無理となって失敗するのが彼女の日常なのであった。
失敗といえばこれだけでなく、他にも保管場所を間違えたりなど、注意不足による失敗も多い。
そしてそれが発覚するたびに、半べそをかいて悔しがる。
人によって、その半べその様子が非常に愛らしい……というので、
「せきちゃんは放っておけない」
と、ひそかに助けようと彼女の近くを回っている者もいるという。
もちろん、佐渡せきも失敗したいと思っているわけではない。
むしろ本人はその逆で、地は真面目な負けず嫌いである。失敗は気にするし、それを取り返そうと、
「なんとしても、やってやるんだ!」
と意気込んで進んでいった先の始末が上記のとおりなだけに報われない。
「はぁ……」
と、また嘆息が出るのであった。
しかし、その一方で彼女にも楽しみがある。これが唯一の楽しみといっても差し支えがないかもしれない。
この山道を進んだ先、今、佐渡席が歩いている場所からでも、その『楽しみ』の賑わいや明かりが、溢れてきているのがうかがえる。
「やっぱいいよな。ここは」
そこの賑わいの声を聞いていると佐渡せきの心が躍るのだ。
「こんちわーっす!」
先ほどまでの憂鬱が嘘のような……いや、自分からそれを吹き飛ばす気持ちをもって声を張り上げる。
するとちゃんと奥から返事が来る。しっかりとした声で、
「あっ、せきさん。今日もお疲れですね」
笑顔で店員が迎えてくれる。これが佐渡せきには堪らなく嬉しかった。
「そうだよ。まったく……今日もさぁ」
まずは笑いながらに愚痴がでる。それを何も言わずに聞いてくれて、
「あー、そうなんですか。私もここに来たときはですね……」
と、自分と境遇が似ているというこの店員は、自分のことを馬鹿にせず、親身に話をしてくれるのである。
「やっぱみなもちゃんと話していると嬉しいよ」
「私もですよ。ここじゃあんまり役に立ってなくてですね。失敗ばかりですけど、せきさんと話しているととても楽しいです」
という二人である。佐渡せきと川岸みなもはどこか似通っているのかもしれない。
二人には護山家と水の精という違いこそあれ、元は八霊山の外より入ってきた、
『外入りの新人』
である。
風切あやかにつれられて、この『せいりゅう』へはじめてやってきた佐渡せきは、一目見て、
(あの人……なんだか他の人と違うなぁ)
などと思っていた。
それは雰囲気もある。佐渡せきが見慣れていない水の精ということもあるのだろうが、それにしても、
「この山のは似つかわしくないような……」
違和感を感じていたものだった。
そんな怪訝な表情で『せいりゅう』で働く川岸みなもを眺めていたら、
「あの店員が気になるのか?」
風切あやかが話してきた。
「あっ、いや。なんか違うなぁ・・・って思っただけ……あっ、だけです」
どこか慌てながらにいった。違うといういえば、
「自分も同じであろう」
ということに佐渡せきも気づいているのだ。
それならば周囲が自分を見ている目も、どこか違うのではないかと思えてしまうのだ。
「それならせきの見る目は正しいよ。おーい、みなも!」
風切あやかが呼ぶと、川岸みなもがこちらへやってきて、
「なんでしょうか?あやかさん」
「今日は胡瓜が欲しい……と、そうじゃない。こいつを紹介したくてさ」
そうして佐渡せきと川岸みなもは互いの顔を見知ったのである。
その紹介のときに互いが『外入り』の新人であることも知った。
(へえ、外入りの新人ってのは私だけじゃないんだな)
厳密に言えば隣にいる風切あやかもそうなるのだが、佐渡せきにとっては風切あやかは、既に立派な八霊山の一員となっている。風切あやか自体は山に入って7年程度のものなのだが、佐渡せきには大昔から居る様に思えるのだ。
だから、山に入って1年も経っていない川岸みなもに佐渡せきは強い親近感を覚えたのも無理はないだろう。
今となっては、佐渡せきはすっかり『せいりゅう』の常連となっていて、川岸みなもとも
「気の合う話し相手……」
であり、
『友人』
となっているのだ。
「今日も冷やしそば、おねがいな!」
「はいはい」
秋は深まりつつある。それに伴って八霊山も段々と涼しくなってきている。
「もうちっと涼しくなったら。冷やしそばはどうなるだろうなぁ……」
佐渡せきがしみじみといった。彼女が初めての『せいりゅう』で注文したのが『冷やしそば』である。それ以来、ずっとそれが気に入ってしまい、『せいりゅう』に来るたびに、
「冷やしそばを頼むよ」
と注文している。その冷やしそばも冬になるにつれて寒さが深まれば、注文する者がいなくなり、メニューから外されてしまうかもしれない。
佐渡せきは席につくと、用意された湯飲みに口をつけて水を飲んだ。
この水はもちろん八霊名水である。水の精が自慢する水だけに、これを飲むと、
(なんだか気分がすっきりするんだよな)
佐渡せきも感じている。
こつっ、と湯飲みをおくと小さく息を吐いて、
「ふう……」
ふと窓の外を見た。
仕事を終えたのが夕方だから、辺りはもうすっかり暗くなっている。遠くをみると、わずかに遠くの山が沈んだ太陽で暗い赤色をにじませている。
「どうしたんですか?せきさん。今日はまた一段と元気がないようですが……」
川岸みなもがやってきた。どうやら今の様子を気に留められてしまったらしい。
何気ない行動であったはずなのだが、周囲には、
(ちゃんと見られているんだな……)
佐渡せきは心の中で苦笑しつつ、
「ああ、いや、なんでもないよ……いや、そんなことはない。ただな。ちょっと外を見ていたさ、寂しくなってきちゃったんだ」
「寂しく、ですか?」
「ああ……いや、なんでも……なんて、みなもには隠してもしょうがないよな」
ぼりぼりと後ろ髪を掻いて佐渡せきが笑った。その様子はなんとも切ないものであったのだが、
「いや、なんでもないよ」
「そうですか」
あくまでそれを言いたくはないらしい。それならば無理に聞くことはない。
(いつかきっと話してくれるときがきますよね)
と川岸みなもは思っている。もちろん心配ではあるが、その心配が、
(せきさんには辛いのでしょう……)
ということなのだ。
「あっ、冷やしそばが出来たみたいですね」
厨房が川岸みなもを呼んでいる。さっと皿を取りに行って戻ってきた。
八霊名水のおかわりとお箸を用意して、冷やしそばの準備が終わると、
「おっ!待ってました!!もう私、お腹がぺっこぺこでさぁ」
佐渡せきは屈託のない笑顔を見せてくれる。このときの佐渡せきは、先ほどまでの暗さがどこかへ吹っ飛んで行ったかのように明るいのだ。そうして、
「この冷やしそばがうんまいんだよなぁ……すきっ腹と熱くなった体を冷やして……ああ、そうだ。この水な。八霊名水、これがすっごいおいしいの」
頭の中を食欲と喜びが駆け巡っている。それを前面に出して嬉しがっているので、『せいりゅう』の厨房で働いている水の精などは、
「せきちゃんがおいしそうに食べているのを見ていると、作ったかいがあるよ。私たちも元気になってくる」
非常に評判がいい。
「ああ、食った。ありがとう。ありがとう」
不安なことがあっただけに、その分だけ、食への喜びは大きいらしい。佐渡せきにはそういうところがあり、
「いやぁ、ホント、ここの食事はおいしいよ。私がおべんとうに作ってるおにぎりなんて、いつもしょっぱいだけなんだ。それと比べりゃ十分すぎるほどおいしい!おいしいからこう、元気が出ちゃうんだね」
「どういたしまして」
この食事処『せいりゅう』では、仕事での失敗や悩みは吹き飛んでしまうのだ。
だから、食事の後などはそういったことを
「まったく口に出さない」
佐渡せきである。
しかし、それでいて川岸みなもは気になっている。
(せきさん、本当はどうなんだろう)
ということだ。
自分は佐渡せきと同じ『外入り』の新人であるから、彼女の立場や気持ちは少しは分かる。
(ああして気丈に振舞うことで、周囲を心配させまいとしているのでは……)
と心配しており、
「でも、せきさん。なにか心配事や悩みがあったら……話してくださいね。私もせきさんと同じ身の上ですから、その気持ち……せきさんのことが心配なのですよ」
と帰り際の佐渡せきへ小さく言った。
丁度、佐渡せきは手で口をふき、腰元から財布を出しているところで、
「ん、ああ。ごめんな。でも、私、頑張るからさ。心配しないでくれよ」
さっとお代を机の上におくと、照れくさそうに『せいりゅう』を出て行った。




