カゼキリ風来帖(5) ~ 天の道の章(15 ) 完
「しょうがいなくなってから、もう2月は経つかな……」
ぽつりと風切あやかが呟いた。
見上げると透き通るような青い空が広がっている。その空を3羽の鳥が横切り、更には明るい赤や茶色をした木の葉が、
「はらはら」
と揺れ落ちていく。
「ふう……」
その静かな情景の中で、それらに混じりつつも、一つの溜め息が毀れた。
「またそれですか」
と言ったのは高山はるかである。護山家の役場、その一室の縁側で二人は今、腰を下ろしている。
「数日前にも同じことを言っていました。あやかも案外、しょうのことが好きだったのですね」
「いやっ、そういうのじゃないですよ!?」
風切あやかの声がどこまでも響いた。幸い、今日は役場の者は皆出ているようで、風切あやかと高山はるかの二人以外はこの場には誰も居ない。しかし、自分で言ってしまったことである。風切あやかは顔を赤くして、
「ただ……ですね……」
周囲を見渡し、目を伏せた後で、
「あれだけ頑張って剣術の稽古をしていたんですよ。だから、一緒に役目をこなすのを私は楽しみにしていた部分があるんです……それだけですよ」
「ああ、そうですか」
にこりと笑い、高山はるかが頷いた。
「確かに、それを思うと私も残念ですね。ですが、しょうが自分の意志で進んでいった道です。それを私達がどう思ってもしょうがありません」
高山はるかも、青い青い空を見上げた。
あの日のこと……。
「あっー!!」
何処までも響き渡る柿留しょうの悲鳴があった。 天まで昇るような、大絶叫であったのだが、その一方で、
「ぐ、うっ……」
低い呻き声も上がっていた。
これは柿留しょうの声ではない。今まさに、柿留しょうへとどめの一撃を入れようとしている、
「天道夕矢」
のものであったのだ。
(一体何が起こったのか……)
それは誰にも分からなかった。分かっているとすれば、それは特別な立場に居るある二人……だけであると言えるだろう。その二人とは……
「ちっ、しょうが戦っているというのにっ!!」
ぐっと歯を噛み、正面の戦場を見ている者がいた。今にも立ち上がり、飛び出して行ってしまいたい!!そんな気持ちで溢れているその者を、もう1人の者が目で制してなだめている。
「落ち着いてください。あやか」
つとめて冷静に高山はるかが言った。
この二人、風切あやかと高山はるかがこの場へ来たのは、天道そらが柿留しょうへ、『八霊山の伝説』を話し終えた頃だっただろうか。当初は天道そらが柿留しょうへ、
「危害を加えるのではないか……」
という心配を抱いていたものだったが、特にそういった様子は見受けられない。何事もなくこの場が終わりそうであったので、ただ様子をうかがうだけで終わらせるつもりであったのだが、
(むっ、あいつは!!)
そこへあの天道夕矢が現れたのだ!
それ以降、二人はしょうと夕矢の戦いを見続けている。いざともなればその戦場へ乱入し、天道夕矢へ不意討ちをかけて、倒すことも考えていた。そのための天道夕矢の背後という絶好の場所、それに柿留しょうと戦闘中というまたとない機会をも握っている。すぐにでも、あの場へ躍り出て、天道夕矢を打ち倒し、柿留しょうを救うことが、
「今出来る最善だっ!!」
と風切あやかは思っているのだが、
「待ってください。あやか」
高山はるかは止める。それには大きな理由がある。
「……あれを見てください」
ちらりと、高山はるかは目を動かした。その視線の先にはうっそうとした茂みが広がっており、一見すると何者も存在していない。
「……?なんでしょうか、はるかさま」
風切あやかが眉をひそめて、その場を見ている。どうやら彼女には何も見えていないらしい。高山はるかは胸のうちで苦笑を浮かべつつ、
「居ますよ。あっちにもう一人」
今度は人差し指でそのもう一人……この戦いの『観戦者』がいる場所を示して見せた。
「あそこに居る者。あれは私達よりも遥かに強い気を出しています。こちらをけん制し、あの場所への乱入も妨げています。もしも乱入しようものなら、真っ先にこちらへ向かってくるでしょう」
「そっ、そうなのですか……!?」
「ええ、そうですね」
それだけではない。あの『観戦者』、高山はるかの見るところ、
「かなりの実力者ですね……この山でもあれほどの者はそうはいないでしょう。あそこで戦っている天道夕矢なんて問題にならないほどですよ」
「そんな奴が居たのですか……」
これには風切あやかも驚きで言葉もでなかった。風切あやかからすると、天道夕矢だけでも十分に強かったのだ。それなのにそれ以上に強い存在が居るというのだ。『観戦者』の存在を感知できなかったのも、ある意味で納得できるものだが、逆に言うと気付けなかった自分が情けない。
「気にすることはありませんよ。今の所は」
「そうでしょうか……」
「あの者はあくまで観戦に徹しています。もしもこの場をどうにかするつもりがあるのなら、すぐにでも私達を含めて全員を倒しに来ていることでしょうから」
「…………」
「しかし、私達のことはしっかり注意しています。だから今は……」
その場を動くことはできない。風切あやかはただただ悔しそうに歯を噛み、目の前の戦場を見つめていた。
そしてその時が来た。
「はははははっ!!!」
「あーっ!!」
狂喜と悲鳴、二つの声が、静かな夜を、空気を震撼させた。感情としては、真逆に気持ちを含んでいる叫びである。思わず、それを聞いた者が、
「くそっ、こうなれば!!」
堪らず立ち上がった。
「あやかっ」
高山はるかの声がする。視線を送り制止していた高山はるかは、はっとして顔を上げて風切あやかを見た。風切あやかの顔は怒気を含んだ表情で真っ赤であった。
「もう見ているだけなんてことは出来ない!!」
とはさすがに口は出さないが、顔は口以上にものを言っている。ぐっと、黒刀の握られた手に力を入れると、
「そうりゃあっ!!」
叫ぶと同時、手に持っていた黒刀を天道夕矢へ向けて投げつけたのだ。
力一杯、その上、強い怒りの気持ちの込められた黒刀である。くるくると激しく弧を描きながら、『瞬速』のもとに天道夕矢の体、胴へとぶつかったのだ。
「ぐうっ……」
風切あやかの声は天道夕矢にも聞こえていた。とても大きく力のある声であったから、聞こえない方が不自然であったろうか。ともかく、天道夕矢には風切あやかの声が聞こえてはいたが、それに反応して避けることは出来なかった。ただ声には反応出来ていたので、驚いてぴたりと体が止まってしまったのだ。
それにより柿留しょうへのとどめは刺さらなくなった。
余程に強い力が黒刀に込められていたようだ。それ以降、天道夕矢は動けなかった。僅かに上げた低い声が、この場で発した最後の声になったのだ。
「えっ……あっ……」
目を閉じて僅かに時が経った。
痛みも何も、自分の身に及んでいないことに気が付いた柿留しょうである。恐る恐る顔を上げたあとで、
「うわあああああ!!!!」
一気に気を取り乱して走り出した。その先には倒れ掛かっている天道夕矢が居るのだが、柿留しょうは気に止めることが出来ない。
「うわあ……」
と声を立ててぶつかった。前へ前へと天道夕矢を突き飛ばした形となり、柿留しょうは前のめりに倒れ込んだのだ。
「ぐっ……うっ」
後ろへ倒れた天道夕矢が後頭部へ強い衝撃を受けて気を失ったのはこの時である。それから後は、パニックに陥った柿留しょうが馬乗りになり、無抵抗の天道夕矢を殴り始めた。
「おお、あやかの手助けがとんだ効果をあげましたね」
ゆったりとした声で高山はるかが言った。その声に反して、手には刀が握られていて、いつでも前へ出られる体勢を取っている。
「あやか、しょうのことを頼みます。私はあちらの方を押さえてきます」
ちらりとあの『観戦者』の方を見ると、
「あっ……」
という間もなく姿を消した。
「しょうがない、しょうの方を押さえるか」
自分も高山はるかと共に行きたい風切あやかなのだが、柿留しょうを放っておく訳にもいかない。
風切あやかは草むらから飛び出し、
「おい、しょう!」
と柿留しょうへ声をかけたが、
「はぁっ、はあっ」と息を荒げるばかりで中々に返事がない。それほどに今尚、錯乱していたため、
「しょうがないな。こいつを……」
と風切あやかは腰元の水筒へ手を伸ばし、それをばしゃりと柿留しょうへとふりかけてやった。
「おい、これでどうだよ?」
「うっ、うーん……」
どうやら気を取り戻したらしい。表情も苦しそうな表情から段々と安らかなものに代わり、全身に纏っていた
狂気も今はもう、その水筒の水と共に流れ落ちてしまったようであった。その水とは、
(さすが、八霊名水だな)
であった。
「あの天道そらという奴、大した奴でしたよ」
「ええ、剣術も人格も、到底あなたでは及びませんね」
「……ちょっと、はるかさま」
木々は秋めいている。空の空気は澄んで青い。そして、燃えるような赤色の葉が、延々と何処までも続いている。
この護山家の役場からでも、そんな秋の訪れが端々にうかがうことが出来るのだ。
風切あやかと高山はるかの居るこの縁側の正面には塀がある。そこからは絶えず、
「今年はどうなることだろう!」
といった楽しそうな声が上がっていた。
「そろそろ秋祭の時期でしょうか?」
「はい。夏の祭から未だそんなに時間が経っていないのに、もう秋ですよ。あの夏祭ではしょうとそらさんが楽しそうにしていました」
「それにしても……」
風切あやかが顔を伏せて呟いた。
「あの二人は、山を去る必要があったのでしょうか。あの事件は結局のところ、天道そらが犯人であった……ということになりましたが、そんな訳がないですよ。私はどうも納得ができません」
「それはですね……」
天道夕矢との一件があった後のことである。風切あやかと天道そらにより、その夜の狂気であった天道夕矢は護山家の役場へと連れ込まれた。そして、かねてより裏で怪しい行動の多かった天道家への踏み入りがすぐに決まった。
勿論、それらは一筋縄でいかず、再三使いとして出した護山家を天道家は拒否し続けた。屋敷の中へすら入れないというのだから、護山家は堪りかねて、
「一気に踏み込んでしまおう!」
ということになり、実力のある使い手と人数を集め、天道家へ赴いた。しかし……
「これはどうしたことか……!!」
全員が息を飲んでいた。固く閉じられた扉の向こう、その天道屋敷には、
「誰もいなかった……」
のである。
いや、居たことは居たのだが、
「天道家の主人以下、全員が倒れていました」
ということなのである。同じくして、取調べを受けていた天道夕矢も、
「役場の独房で……」
倒れていた。
原因は分からない。
独房に入れられていた天道夕矢は、以前に言われていたような凶暴さは一切なく、ただ、
「ああ……朝日が」
などと呟くだけで、まるで何も話さなかったいう。
結果、この事件で生き残った『天道』は天道そらだけとなってしまった。
何故、天道そらだけが生き残ったかは分からない。その生き残りとして、暫くは護山家に拘束されていた天道そらは、山神さまより、
「追放処分とする」
ということになり、八霊山を後にすることとなったのだ。
その間、山神さまと天道そらは直接、何かを話し合っていたという記録が残っている。残っているが、それは公にはされず、高山はるかでさえ、それを
「知ることはできませんでした……」
と納得しない風切あやかへ語っていたのである。
そして、柿留しょうはそんな天道そらへ、
「僕も……一緒に行きたいです」
と言い出し、共に旅へ出ることとなったのだった。
ぱらり、と風切あやかの手には、柿留しょうの手紙が握られている。
その中には……
「あやかさん。今までありがとうございました。あやかさんは怖くて、いつも避けていてごめんなさい。でも、僕はあやかさんのことは嫌いではないですよ。むしろ、いつか一緒に護山家の仕事を手伝えるんじゃないかって、毎日楽しみにしていたのですから。
僕は、そらさんと一緒に旅に出ます。だけど、いつかは八霊山に戻ってきます。それがいつになるかは分からないけど、その時は一緒に戦いたいです。その時まで、どうかお元気で……」
つたない震えた字で書かれていたという。




