カゼキリ風来帖(5) ~ 天の道の章(14 )
(このガキ、妙な気合が入っていやる)
それを天道夕矢も感じている。先程、刀が噛み合った時もそうだったのだ。
(見た目に合わず……手が)
それだけではない。天道夕矢の黒い衣の胸の辺りが、じんわりと濡れてきている。
(ちっ、昼間にやった傷が出てきたか)
昼間にあった風切あやかとの戦闘での傷が開きつつあるのだ。勿論、手当ては行っている。これは依然、天道そらが柿留しょうに対して使用した天道家に伝わる秘薬によるものだが、流石の秘薬でも、昼の夜では完全には直らない。
「しょう、無茶だ!やめるんだ!!」
柿留しょうの後方で天道そらが叫んでいる。とても力のある、はっきりとした声だった。しかし、
「…………」
それは柿留しょうには届いてはいない。逆にそれは、
(僕だって……!!)
狂気を一層強める結果となっていた。
じりじりと二人の間は、再び狭まっていている。そして、間は程もなくなった。
「くっ……」
ぎりっ、と歯を噛み天道そらは二人を見つめていた。天道そらほどの者でも、とても二人の間に割って入ることはできない。
(隙が見つからない!)
のである。
もしも無理にでも割って入ったものならば、それだけで柿留しょうを交えた大乱闘に陥ってしまう恐れがある。そうなれば、自分が戦うべき天道夕矢だけではなく、
「助けたい!!」
と思う柿留しょうまでも傷つけてしまうことがあるだろう。
(そうなると……難しい)
ひやり、とした汗が天道そらの背中を流れた。天道そらでも、とても上手くやり遂げる自信はない。それならば、
(いっそのこと、しょうを気絶させて……)
とも考えた。考えたが、それはそれで厳しいものがある。
「柿留しょうが極度に興奮している」
というのが第一にある。これがとても危ないもので、この状態で、柿留しょうを気絶させるべく、行動したものならば、
「やあああっ!!」
いくらそれが天道そらであろうとも、抵抗して一撃を入れてくるであろう。天道そらと柿留しょうが一瞬でも刀を合わせることとなれば、それだけで、天道夕矢とその他刺客3人に付け入る隙を与えることとなってしまうのだ。
「くそうっ……一体どうすれば」
結果として、天道そらは動けない。二人の戦いが終わるまで……。
当の柿留しょうである。
目の前が目まぐるしく変わっている。暗い空を無数の流れ星が飛び交っていて、その一つ一つを全て目で追い、捉えているのが、今の柿留しょうだった。
「くっ、はあっ!!」
自分が自分であることも忘れている。そしてひたすらに戦い続ける。その姿を柿留しょうの上役である風切あやかや高山はるかが見たものならば、
「しょうの奴、一体どうしたんだ」
そう息を飲んでは、
「いや、あれは本当にしょうなのか……」
と驚いては目を見張ったことだろう。それほどの凄まじさと強さをこの時の柿留しょうは持っていたのだ。
思い々々に力いっぱいに刀を振るう柿留しょうなのだ。対する相手は天道夕矢、かつては八霊山の天童悪鬼と呼ばれ、仲間内では腫れ物扱いされていたが実力だけは随一だった。
この二人の戦いを見ている天道そらは、思わず、ごくりと唾を飲んだ。
勢いだけならば、柿留しょうの方に分があるように見える。見えるものだが、
(それが無茶なんだ……!!)
実際には均衡している。
(このガキ、攻め方が上手い)
と天道夕矢も思った。風切あやかによって負わされた傷のせいで、一つ一つの動作は大きく鈍くなっている。その隙を柿留しょうは見切り、確実に攻めてくるのだ。
柿留しょうの剣の筋は未だ良いとは言えたものではない。……いや、はっきり言うと悪いものである。しかし、その一方で生真面目に稽古や勉強に一途に励んできた成果と経験が柿留しょうの剣へ全面に押し出ている。
これが天道夕矢の思うところの、
「攻め方が上手い」
に起因しているのだ。もっとも、天度夕矢が傷を負わず、万全の状態であったなら、勝負はとっくについていることだろう。もっと言うなら勝負にすらならない。
(相手の動き、せめて来る場所が分かるんだ!)
思い通りに戦いが進んでいる。それがかえって、柿留しょうの自信となり、本来の実力以上の力を引き出している。無我夢中の時が続く……柿留しょうは必死である。それと共に、
(そらさん……)
天道そらへの想いは強く残っており、
(認めて貰いたい!!)
悲壮な感情が、無意識に胸のうちを占めていた。そしてその為には、
(僕が死ぬ)
なんてことはどうでも良かった。『死』という事を柿留しょうは自分のうちから、完全に消し去っていた。死も生も戦いも……今の、柿留しょうにとっては、全て一瞬の中にあったのだ。
暗く長い夜である。空に黄色い月が浮かび、闇を寂しく照らしている。周囲には何もない。まるで、
「時が止まっているのではないか……」
と思わせるほどに変わりのない時間が続いている。
ただただ雑踏、気と気がぶつかり合うこの場所に、
「あっ……」
と不意に小さく声が出た。
思いも寄らないところを刀が大きく空ぶった。体勢もぐらりと傾いている。
(えっ……)
冷たいものが背中を流れ、一瞬にして、身体が凍り付いてしまったのではないかと思うほどの寒気を、この声を発した者は感じ取っていた。
ぽっかりと丸く口を開け、驚きの表情を浮かべているのは……
(しっ、しまった!!!!)
あの柿留しょうであった。
全身をその冷気が包むと同時に、柿留しょうの中から一気に精気が抜けていった。完全に我に帰って、
(あっ……ああっ……)
いつもの柿留しょうに戻ってしまったのである。その上で、柿留しょうが最も悪かったのは、それを隠すことなく、全て表情に出してしまったことであった。
誰がどう見てもこれは隙になっていた。恐怖の表情を浮かべ、逃げることも出来ない獲物を、やすやすと見過ごすような獣が何処にいるであろうか。もしもここで柿留しょうが本当の実力を持っていたならば、それは表情に出ず、相手がそれを見抜くこともなく、やり過ごせていたかもしれない……が、柿留しょうに至っては、
「それが明らか……」
過ぎるものだった。蛇に睨まれ、動くことの出来ないばかりか泣きっ面を浮かべだした蛙を思い浮かべれば大体それになるだろうか。
(もらったっ!!)
勿論、この例えの獣であり蛇である天道夕矢はその隙を見逃しては居なかった。間の抜けた柿留しょうとは対照的に、その表情はおぞましい。喜びと怒りが渦を巻き入り混じった人とは思えない形相である。
「はははははは!!!」
高く、耳にいつまでも残るような狂喜の笑い声がそら高く響き渡っている。
「はあっ……!!」
今の柿留しょうは、これだけでもう動くことが出来ない。肢体の動きはピタリと止まり、肩と腕の力はほぼ抜けきってしまっていた。辛うじて、右手に持った刀だけは握ったままで居られた。それが唯一の救いであり、柿留しょうのお守りになっていたのだが、今となっては到底振れたものではない。
「勝負は決した!」
とばかりに天道夕矢が大きく刀を振り上げた。月が光り輝いている。それが振り上げた刀と一体となり、柿留しょうには一瞬だけ太陽を直接見たように眩しく見えた……。
(もうダメだっ!!!)
と眩しさと恐怖を同時に感じで柿留しょうはぎゅっと目を閉じた。その状況を、
「しょうー!!!!」
天道そらも見据えている。見据えてはいるが、
(くそっ、間に合わないっ!!)
どうにも距離がありすぎた。厳密にはあまり距離はない。駆ければすぐに目の前に入れるところにあるのだが、そこへ乱入し柿留しょうを援護するにはとても遅すぎるのである。
(せめて……)
何かしらの妨害や注意を逸らしたい。それもまた考えたものだが、もはや状況は、
「万事休す……」
となっている。
絶体絶命の柿留しょうである。しかし無情にも時は止まらない。
「ああっー!!」
ついに柿留しょうの悲鳴が上がった。高く、空のどこまでも響く恐怖に満ちた声であった。それと同時に、
「ぐうっ……」
というもう一つの鈍い声も上がっている。柿留しょうの悲鳴に対して、こちらは低い呻き声であった。




