カゼキリ風来帖(5) ~ 天の道の章(12 )
「これが八霊山の伝説、そして本当にあったことだよ」
天道そらと柿留しょうの二人は岩場に腰を掛けて向かい合っていた。その合間をそろそろと風が縫って流れ、二人の髪と雑草を揺らしていた。
「そう、本当のこと、さ」
天道そらはふと顔を上げて、左から右へと視線を動かした。辺りはすっかり日も暮れて夜の闇が八霊山の風景を暗い黒色へと染め上げている。見えるものといえば……
(静々と立ちそびえる木々、揺れ動く草、それに何処までも続いているであろう青い空)
であった。
(この青い空、今は暗く静かだが……)
「こんなに平和なのに、そんなことがあったなんて」
柿留しょうは震えた声で言った。自分が憧れている天道そらが話したことである。それなのに、柿留しょうにとってはその話が、
「とても信じられないな……」
と思うのである。いや、言い換えるなら認めたくない、と言った方が正しいのかもしれない。
「まぁ、信じなくても良いよ。もしそうだったら、気にしないで欲しいな。さて、それはともかくも私はね……この八霊山としょうのことが大好きなんだよ」
「あっ、僕もです」
「だからさ……」
天道そらが小さく息を吐いて、歯を噛んだ。ぎりっ、と僅かに音が鳴ったものの、周囲の静寂がそれを打ち消してしまったので、柿留しょうには聞こえていない。代わりに柿留しょうがうかがえたのは、天道そらの表情であった。
「力のある、真剣なもの」
に見えた。
それは何かある種の決意が篭ったものだろうか。思わず柿留しょうは、
「あっ」
と身を引いてしまったものである。ごくりと一つ唾を飲んだ。
「わたしは、この八霊山としょうを守りたい……ああ、守りたいんだ!!」
「そらさん」
柿留しょうの体が、胸の辺りから熱を持ち、広がり始めた。そっと、天道そらが柿留しょうを抱き寄せたのである。
「くうっ……」
天道そらの目から、熱いものが溢れては流れ出している。それを見て、
「僕もです、よ」
柿留しょうも天道そらを抱きそう言った。
(僕もそらさんが好きなんだ。でも……)
その声は消え入りそうなほどに小さなものだった。もしかしたら、目の前に居る天道そらにさえ聞こえてはいなかったかもしれない。それほどに小さくて弱い声だったのだ。
(僕は……)
胸の中で何度も柿留しょうはそれを繰り返している。その自分には常に、
『自分は弱い』
という言わば自責の念が込められていた。
毎日、剣術の稽古に励んでいる柿留しょうである。高山はるかにも風切あやかにしても、そんな柿留しょうのことは十分に認めているし、そのためにもどんな手を尽くしてでも助ける、支えていこうとしているのだ。
しかし、柿留しょうには自信がなかった。未熟なのである。自分は周りから助けてもらう、つまり守られることしかできないのだと自分の弱さを呪っている。先程も天道そらは、
「しょうを守りたいんだ」
といった。天道そらは心からそう思っているし、そんな天道そらの気持ちを柿留しょうは十分すぎるほどに理解している。そして何よりも嬉しかった。
その喜びと嬉しさが大きい反面で自分のことを情けなく思ってしまうのだ。
「守られてばかりで何も出来ない自分……」
それが仕方のないくらい憎いのである。実際に昼間の風切あやかとの一件がある。あの時、柿留しょうは風切あやかを残して高山はるかの元へ走っている。
勿論、これは風切あやかが指示したことで、決して柿留しょう自身が自分の意思で逃げ出した訳ではないのだが、
(僕は……)
と自分に問いかけてみると、自分のうちから返ってくるのは、
『自分の弱さ』
であった。逃げ出したという現実が見えてしまうのだった。
「僕も……僕もそらさんのことは大好きです。でも……」
悔しい、という思いが目から、そして口から出た。胸もぎゅっと締まるように苦しい。一歩間違えれば、その場で倒れて気を失ってしまいそうな柿留しょうであった。
それでも、それでも柿留しょうは気をしっかりと持ち、踏ん張りながら、
「僕は弱いだけです!そらさんには、何一つしてあげられないんですよっ!!」
自分の思いを全て乗せて、柿留しょうは叫んだ。それだけである。自分の弱さが憎い。それだけでなく、
(そらさんの本当の気持ちも、僕は分かっていないんだ……)
というのがある。それもまた悔しい。
天道そらが自分に話したかったという八霊山の伝説。その真偽はともかく、柿留しょうには、それが何を意味しているのか分からずにいたのだった。
この話、天道そらにとってはとても大事な話であったようだった。それは話す前の天道そらの様子を見ていた柿留しょうにはそれとなく分かっている。思えば、自分への好意、気持ちの表れによって天道そらは、その大事な『八霊山伝説』を話してくれたのだとも思うことができる。
しかし、果たしてそれだけなのだろうか……というとそれ以上のことが柿留しょうには分からないのだ。天道そらの真意、それを
「理解できない弱さ」
それがまた柿留しょうを苦しめているのだ。
「しょうは……さ」
「ううっ……」
「しょうは強くなるさ。何が起きても、しょうは自分一人の力で自分の道を歩むことができるよ。それに、今は見えないものも、いずれきっと見えるようになる。……分かるね?」
空に一つ、星が流れた。
木々の纏うその葉っぱの間からひっそりと流れて消えた。それはあっという間のことで天道そらと柿留しょう、二人ともその流星に気付くことはできなかった。ただ柿留しょうには僅かには見えていた。ほんの僅か、その星の輝きが視界の上隅に映っただけに過ぎなかったが、
(あっ……)
眩しく思い顔を上げた。そこには天道そらの顔があった。とても端整で凛々しいその顔は、まさしくあの狼霊から自分を助けてくれた天道そらの顔であった。
その顔がにこりと微笑むと、柿留しょうの心はまるで雲のように軽くなった。心の霧は晴れた、というべきだろうか。柿留しょうの表情から曇りがなくなり、晴れやかにその顔が明るみを持ったのだ。そして、右手で大きく顔に残っている雫の輝きを拭うと、
「はいっ……ありがとうございますっ!!」
大きく返事をしたものだった。
「さ、分かったら、せいりゅうへ戻ろう。しょうの上役、高山はるかが心配しているはずさ」
「あっ、はい。そうですね……何も言わずに出てきちゃってから、もう大分時間が経っちゃってるや。早く戻らないと怒られてしまいます!」
意気を取り戻し、柿留しょうは立ち上がると、
「そらさん、行きましょう!」
天道そらへ手を伸ばした。
「あっ、ああ……」
僅かに流れる雲が月を隠した。月の光が遮られ、天道そらの顔に陰がかかった。
天道そらの顔は見えない。しかし、数秒、じっとその柿留しょうの手を眺めた後で、
「ああ、そうだな」
その手を取ろうとした瞬間であった。
「やっと終わったか。待ちくたびれたぞ、この裏切り者め!!」
静まり返った風景のどこからか、それを引き裂くように怒声が響いた。




