カゼキリ風来帖(5) ~ 天の道の章(10)
「しょうが出て行くなんて、一体、相手はどこのどいつなんだ……」
「ああ、あれはそらさんですね。天道そらさんです」
「天道だって!?」
風切あやかは高い声を上げて驚いた。天道といえば、それはまさに先ほどまで高山はるかと話していた、それに他ならないのである。
「みなもさん、二人が何処へ行ったか分かりませんか?」
胸を高鳴らせている風切あやかとは対照的に、努めて冷静な高山はるかである。その聞き方もあまりに自然なもので、顔元には笑顔すら浮かんでいるから、川岸みなもも安心して、
「うーん、分かりませんね。ただ、ここでは話せない大事なこと話がある、すぐに済む……といったところですから、そんなに遠くへは行っていないかと」
すらすらと的確な返事ができたものであった。
もしもこれが今の風切あやかが発したものであったなら、あまりに感情的にものを言ってしまい、
「……すいません、ごめんなさい」
川岸みなもは萎縮してしまい、それどころではなかったであろう。
それはさておき……
「あいつら、何処へ行ったのでしょうか」
「そうですね。この辺りで人目に付かない場所は数箇所に限られています。私やあやかなら、もっと別の場所もあるものですが、天道そらはしょうを連れています。ですから行ける場所はあまりないですよ」
「なるほど」
二人は外へ出て駆け出した。
日はもう傾き、辺りが赤色に染まりつつある。
木々がぐいぐいと移り変わる。風切あやかは高山はるかの後ろへ続く形で八霊山の道を進んでいる。
「あやか、分かっていますね?」
「……あ、はい」
不意に前から聞こえた声に風切あやかは驚いた。驚いたが、返事は水を飲むように自然に言うことが出来た。
これに関しては、もう既に風切あやかには手分けをしてしょうを探す……という考えはない、ということである。
天道夕矢との戦いもあった。あれだけの強敵を、次に一人で見つけて戦ったとすれば、それは無謀に他ならない。
(天道夕矢でさえ、あれだけ強かったんだ……)
他の天道家の者もどれだけ強いか分かったものではない。
「…………」
「気にすることはありませんよ。あやかはまだまだです。だから、私はあやかを選び、こうして一緒に居るのですよ。……時期がくれば、次はあやかも私の元を離れ、別のまだまだな誰かを選び、こうしていることでしょう」
(私がそうだった、ようにですね……)
高山はるかの脳裏に昔の光景が浮かんでは消えた。
それは自分が姉である高山かなたへ付いて回っていた時のことだった。あの時の高山はるかは、今の風切あやかのように姉である高山かなたを頼りにしていたものである。
(自分はまだまだだから……)
という思いがあった。
それが高山はるかが山を去り、一人になった。それで、もとよりはるかが拾い、かなたと共に育てた風切あやかを自分の部下に置き、今に至るのである。
「そうでしょうか、ね……」
なんとも詰まったような風切あやかの返事が出た。それを聞いて、高山はるかは、
「ふふふ」
僅かに口元を緩めて笑っていた。
これは風切あやかには見えていない。もし見えていたとしたら、風切あやかはどう思っただろうか。
それを思ってみても高山はるかは心の中で笑っていた。
「ああ、急に呼び出してしまってごめんな。しょう」
「いえ。大丈夫ですよ。それよりも話って何ですか?」
柿留しょうは何の気もなさそうに自分の目の前にいる人物に聞いた。天道そらである。今やもう親しい関係にある二人なのだが、柿留しょうにはある違和感があった。その感情をごく簡単に言い表すなら、
(そらさんの方から話なんて……一体どうしたことだろう)
つまり『心配』と言えるだろう。
これは特に珍しいことであった。天道そらの方から大事な話がある……と、自分から話を切り出すということは今まで一度としてなかったことなのだ。
「それはだ、なぁ」
ふっと天道そらが上を見た。見えたのは緑の葉と、その間から覗く空の青、そして日の光であったろうか。
すぐに柿留しょうへと視線を戻し、
「しょうは……私のことをどう思っているのかな?」
「えっ……」
「驚くなよ。難しいことじゃない。単に思っていることを教えて欲しいんだ」
「そっ、そうですね……」
柿留しょうの胸が高鳴った。思ってもみない話、だったのだ。
目をきょろきょろと泳がせ、口をあたふたとさせている柿留しょうである。そして、そんな様子を天道そらは微笑を浮かべながら眺めていた。とても優しい笑みであった。
とはいえ、その一方で柿留しょうにとっては笑うべきところは一つもない。この話ほど答えに困る質問はないだろう。逆に言えば、天道そらへの想い、自分から話してやりたいことは数え切れないほどにある。
それは天道そらへの憧れの気持ち。あの日、天道そらが浪霊から自分を守ってくれた姿、その勇姿が、今も柿留しょうの目に、頭に残り、離れないのだ。
そして、そんな天道そらと、
『いつまでも一緒にいたい……』
という想いである。
その想いについて、柿留しょう自身、上手く口に出せずにいるのだ。
ただ、今の柿留しょうが辛うじて言えるとすれば、
「……好き、ですよ」
「うん……?」
「そらさんが好きです。色々言いたいことはあるけれど、一言でまとめると、それなんです」
「……そうか」
どこか寂しい風が吹いた。
「はは、私もしょうが大好きだよ。前にも話したけれど、しょうはうりゅう姉さんみたいでさ……もちろん、しょうはうりゅう姉さんじゃない。でもね、私はそれに近いものをしょうに感じているんだ……だから……」
ぐっ、と天道そらが歯を噛んだ。それ以上の言葉が出ない。柿留しょうの方も同様である。自分の気持ちをどのようにして天道そらへ伝えるか……それに必死なのだった。
互いの気持ち、である。風が二人の間を通り抜ける。
互いが互いに、自分の本当の気持ちを言えずにいる。
(しょうに……一つだけ、話さなければならないことが……)
(そらさんに僕の気持ちを伝えるには……)
といった具合である。
(しょうに話さなければ……いや、知っておいて貰いたいことが)
天道そらにはある。しかし、それを言うことが出来ない。それには理由がある。
それは自分の姉であった天道うりゅうに関してのこと。
天道うりゅうは、存命当時、今の天道そらが抱えていた想いを、自分の師である黒烏けんしへと持っていた。
そしてそれを話してしまった為、決闘という形を以って、自分の道を閉ざしてしまったという過去があるのだ。
それが天道うりゅうの道であった。
……それならば天道そら……
(自分がとるべき道は、どのようなものにすれば……)
良いのであろうか?それをずっと天道そらは迷っていた。
自分が、天道家が負っている使命がある。その使命は八霊山の為であるのだが、それは決して山神さまへ向けられているものでは全くない。
(全てはあの方の為、あの方なくては八霊山を護ることはできない)
天道そらは昔からそう教えられてきたし、姉である天道うりゅうもそう教えられてきている。それだあるが為に、
(自分が本当に好きな者へ、どうしたら良いか分からない……)
である。
同じ八霊山を護る『護山家』は沢山いる。しかし、そのいずれにも、天道うりゅうに対する黒烏けんし、それに天道そらの、
「柿留しょう」
のような特別な想いを抱ける存在はいない。
あの夜、柿留しょうを助けたのだって偶然であったし、うりゅうに至っては八霊山の有力者の一人であった黒烏けんしへの密偵である。
二人とも、元は『あの方』を信じることが全てであった。そう信じているから、
「それに関しての火種、悪い芽は摘み取らなければならない」
これがいずれに当っての天道家の家族会議で出た結論であった。今現在、天道そらはその火種たる、
「しょうを……」
消さねばならない。
ここで柿留しょうを消さなければ、どこからか自分のこと、天道家のこと、そして……
「あの方のこと」
までその全てが山神さまへ伝わってしまうことだろう。そうなればあの方の復活はならないどころか、あの方への縛りや封印、監視を強化するだろう。そうなってしまっては、後はどうにもならない。
(山神さまでは彼の災厄から八霊山を護ることができない)
のだ……。
使命と未来、それに柿留しょうへの想い。
重さでいえば重きは前者であろう。想いを切れば、そのまま柿留しょうを斬ることは容易いことである。しかし、
(しょうを斬ってはいけない……)
正しく言えば「切りたくはない」のかもしれない。柿留しょうにも言ったとおり、
(私はしょうをうりゅう姉さんのように感じている)
のである。
天道そらは姉である天道うりゅうを尊敬していた。どういう事情があれど、自分の姉を斬ることはとてもできないことなのだ。それにこころなしか、
(そらの想い人、しょうを斬ってはいけない……!!)
今は亡き天道うりゅうの声が聞こえるような気がするのである。
「一体、私はどうしたら良いのだろうな」
ふとそれが口から漏れた。
へっ?と柿留しょうが口を開けて天道そらを見ている。どうやら柿留しょうに今の声が聞こえてしまったらしい。天道そらははっとして、
「あっ、ああ、なんでもないよ。気にしないで欲しい」
「……でも」
柿留しょうの表情には暗い不安の影が帯びている。
先ほどまでは努めて自身の迷いを外へ出さないようにしていた天道そらだった。しかし、少しずつではあるが、柿留しょうの持ち前である、『心配り(こころくばり)』が機敏にそれを感じ取っていたらしい。
「さっきから、そらさん、何だか悩んでいるみたいで……僕、心配なんですよ。今はこうして目の前に居るのに……どこか遠くへ行ってしまうような、そんな感じがするんです」
「…………はは、そうか」
天道そらは思わず声に出して笑った。声に出さずには居られなかった。
自分は一生懸命悩んでいる一方で、柿留しょうはおぼろげながら、それを見抜いている。そうでありながら、見抜かれないように必死でいた自分がなんともおかしかったのだ。
「ああ、分かった。私はしょうには敵わないようだよ。私の負けなんだ。ははは、何だろうな。そう思うととても清々しい気分になったよ。……そうだ」
「へえっ……?」
「ここは一つな。昔話を聞かせてあげよう。実はね、これが今回、私が話したかったことなんだよ」
霧が晴れたような天道空の明るい顔であった。
周囲は少しずつ夜の闇が広がりつつある時分である。




