新しき風 吹き抜ける世界(30) ~ 還る炎
この状況では動けない。
風切あやかはリィザと火紗のやりとりと聞いていて、そう思った。しかしだからといって、このまま火紗を行かせることはできない。
「おい、なにか言い考えはないのか?」
小さな声でウェンシアへと問いかけた。ウェンシアの眺める先には、あのヒレの生えた邪炎獣が佇んでいる。
「…………」
攻撃の意思はないらしい。立っているだけでこちらへ敵意や殺気を出してはいない。
あくまで風切あやかやリィザの足止めをするのが目的のようだ。
「火紗の言っていたことはどうやら間違いではない、ね」
『言っていたこと』というのは『じっとしているといい』という言葉のようだ。
その言葉のとおりならば、この場を強行突破しようものなら、この邪炎獣は自爆を起こしてしまうそということになる……それも先ほど、火紗がおこした爆発の3倍であるという。3人分のギラバーンの力を得ている火紗でさえ、少しの間、動くことのできなかったほどの爆発だ。素の状態の風切あやかにリィザ、そして邪炎帝が、まともに受けて耐えられるものではない。
「万事休すってヤツか!!」
リィザが悔しそうに呟いた。自分が邪炎獣をひきつけて爆発させる……という方法を考えた。火紗の好き勝手にならなければ、
「オレの命などどうでもいい!!」と胸のうち怒っていたのだが、邪炎獣がその場を動かないのであればどうにもならない。
何にしても傍には母である邪炎帝もいるし、仲間である風切あやかやウェンシアもいる。リィザは自制した。
そうした軽はずみな行動に出るわけにはいかないのであった。
「――打つ手はないようだな。じきに全てを終わらせてやるさ。そこで大人しく待っているといい」
小さく言うと火紗は部屋を出て行ってしまった。
「くそっ!!アイツを行かせるわけには……このままじゃ八霊山が……!!」
風切あやかが叫んだ。力一杯に床を叩き、痛みを忘れて起き上がって叫んでいた。邪炎獣の視線が風切あやかに集中している。
ちっ……とリィザが舌打ちを漏らした。居たたまれない雰囲気にもかかわらず、
「何事か?」
といったように視線を向けるだけで表情も姿勢も変わってはいない。あくまで彼等は自分達の役目を果たすためだけに存在しているのだろう。
「落ち着いてください。あやかさん」
不意に後ろから声がした。小さく、そして優しい声だった。
「まだ打つ手はあります。諦めないでください」
はっとして風切あやかが振りあけると、その声を発したのは邪炎帝であった。
「私なら、彼等を静めることができますわ。もともとは同じ炎から生まれたもの……還すことができるのですよ」
「そ、そうなのか……それなら」
一刻も早くなんとかして欲しかった。そして火紗を追いかけ、今度こそ決着をつけてやりたい。
(それが――)
本心であった。が、風切あやかは逸る気持ちを飲み込んで邪炎帝を見た。
邪炎帝は寂しげな表情を浮かべて、ヒレの生えた邪炎獣を見据えている。
(…………!?)
風切あやかはそれを見て、寂しさ、違和感を覚えたものだった。今までの邪炎帝が見せたことのない表情であったのだ。
「ただ……アレは完全に同じものではありません。変異……いや、変質したものといいましょうか」
今まで見せていたのはあくまで優しさと楽しさ、喜びといった感情だった。それは未だ見ぬ地上の世界への思いを馳せていたのだろうと風切あやかは見ていた。邪悪な炎の化身、ギラバーンから生まれた邪炎帝……彼女がそうした顔を見せていることに戸惑いはあった。そして今見せている表情には、それ以上に戸惑いを覚えている。嫌な感じがしたのだ。
さて……
邪炎帝の話によれば、あのヒレの生えた邪炎獣は、今までと同じものではないそうだ。
見た目はもちろん違っている。しかしそれは大きな問題ではない。
身体を構成しているのはギラバーンの魔力……すなわち炎の魔力によるものだ。その一方でそれを動かしているのは、
「また違った魔力」
なのだという。
例えるなら、人間の身体があり、その中を別の生物の血が流れて動いているといえば分かりやすいだろうか。
先ほどまでは単純な邪炎獣であったのが、火紗の爆発後、まるで別の魔力が流れるようになってしまっているそうだ。
その理由は分からない。今はそれについて考えている場合でもない。
「炎による魔力だけならば、私が私の身体に戻すことができます。そうすればあの子達は自爆することはないでしょう」
「そ、それなら……!!」
「はい。今すぐにあの子達を炎に戻しましょう。そして、すぐに火紗を……あの人を追ってください」
「なら俺はここに残るよ。いくらアイツをぶっ飛ばしたくても、母サマだけを放って行けやしないよ」
「それはダメです。貴方も行きなさい」
邪炎帝は強い光を宿した目でリィザを見た。その視線に当てられたリィザは思わず怯んだ。言葉も出なかった。
「だ、大丈夫なんだな?あとで、後で迎えに来るから……」
「ええ、待っていますよ」
リィザへ笑顔を見せると、邪炎帝は前へ出た。なんだ?というように邪炎獣が殺気を向けている。
これは威嚇のための殺気である。攻撃をするための殺気ではない。それなのに、ひしひしと身を裂くような痛みを風切あやかは感じている。
(あんなもの、今までの奴は持っていなかった……一体どうしたっていうんだ!?)
あの火紗が起こした爆発から、火紗も邪炎獣も変わってしまっているのは間違いないようだ。
「キシャァァァァアア!!!!」
ついに一体の邪炎獣が叫び声をあげて、邪炎帝へと迫った。爆発はしないらしい。そして威嚇でもない。身体ごと邪炎帝へとぶつかりにいったのだった。
危ない!!と風切あやかもリィザも邪炎帝の前へと出ようとしたそのときのことだった。
「ク、クゥゥゥル……」
邪炎獣の身体は邪炎帝へぶつかることなく消滅した。
それを見たほ他の邪炎獣は驚きの表情を浮かべ、動きを止めていたが、やがて力を失い崩れるように倒れ、そして消滅した。
次には邪炎帝が倒れた。
「母サマ!!」
「行きなさい。と、言ったでしょう?」
「あっ……ああ。おい、あやか、行くぜ!!」
リィザは風切あやかの手を取り、逃げるように出て行った。
ウェンシアは風切あやかの肩へとまり、一緒に部屋を出ている。その間、一言も声を発することはなかった。




