カゼキリ風来帖(5) ~ 天の道の章(6)
「…………」
月が綺麗に光っている。その光が天道そらの相貌に静かな光を灯していて、
「まるで泣いているように……」
天道あさひには見えた。
「……そら?」
「ああ、すまない。私もどうするか考えていたところなのだよ」
ぱっと、その目から寂しげな光を消すと、天道そらは鋭い顔つきと口元に笑みを浮かべて、
「母上の話したとおり、八霊山の未来のためにはどうしても山神は倒さなければならない。そのためならば……私は、しょうくんや高山はるかだって倒して見せるよ――大丈夫、私はうりゅう姉さんの時のようにはならないさ」
「そうか」
天道空を見据え、天道父が頷いた。
「おいっ、ちょっと待……!!」
驚きの表情を浮かべた天道夕矢が声を上げたが、その途中で天道父が夕矢を見た。
「これ以上は騒ぐな。黙っていろ……」
目が夕矢にそう言っている。こうなっては、
(親父に言われた以上はもう何も言えねえな……)
半ば気の抜けたように顔から力を抜いて、天道夕矢は目を瞑り、何も言わず、そして見なくなったものだった。
「では、そちらのことはそらに任せるとしよう。ただし、うりゅうのこともある。長引けば、お前だけに任せておくことはない」
それだけは……
と天道父が言いかけたところへ、
「分かっているよ」
天道そらが言い切った。右手をぎゅっと握り、目は真に父の方へ向けられている。
(それでこそ、だな)
天道そらがこうして返事をしてくれた時に、そらが期待を裏切ったことは一度もない。剣術と体術に優れ、精神力や責任感に置いても、他の姉妹達よりも勝っている。
(うりゅうはその点が甘かった……)
天道そらの姉であり、天道姉妹の長女であった天道うりゅう。剣術においては姉妹で一番の使い手で、黒烏けんしから教わった『天竜剣』は立ちふさがるものを全て粉砕、撃破してきたものであった。しかし、
(黒烏との交わりが、うりゅうを駄目にしてしまった……)
のである。
当初は天道家の目的のために一心であった天道うりゅうが、黒烏けんしとその弟子の高山かなたとの交流により、天道家のやり方に疑問を持つようになってしまったのだ。そしてついには、
「天道家の秘密を……」
天道うりゅうは黒烏けんしに漏らしてしまった。
他者との交わり……それがあの時のことと同じであることから、
「早急に手を打っておかねばならない」
天道父は極めていたのだった。
月が天へと達し少し過ぎた頃、天道そらが屋敷から姿を現した。月の光が伸びている。天道そらの端麗な顔には、どこか悲しげなものがあったそうな。
柿留しょうは剣術の稽古に励んでいた。
木々が秋の赤色の葉を付けている。その下、柿留しょうが力一杯に竹刀を振るっている音が、
ぶんぶん
と、静かに音を立てていた。
時折、風が木々の間を縫っては流れ込んだ。すうっと、柿留しょうの全身へと撫でるように当たり、
(ああ、気持ちが良いなぁ)
一つ息を吐き、腕を下ろした。そして顔を上げてみる。
「……ああ、綺麗だなぁ」
空は突き抜けるようにどこまでも青い。その中を点々と雲が浮かび、秋空を彩っている。
「おっ、今日も剣術の稽古をやっているな?」
不意に声がした。
(この声はっ……!!)
柿留しょうの体がびくんと驚きに揺れた。恐る恐る、その声がした方へ顔を向けると、
「うわぁ……」
なんと風切あやかである。
風切あやかといえば、春先の精霊鳥の一件で脚に大怪我を負っていたものだが、最近になってようやく動けるまでに回復したのだ。
「ひ、久しぶりですね……」
柿留しょうは風切あやかを苦手としている。これはもっぱら、柿留しょうが風切あやかのことを『怖い人』と思い込んでいるのが原因である。当の風切あやかは威圧的に柿留しょうに接している節はないのだが、
「おい、しょう」
などといった掛け声が、柿留しょうには途方もなく怖く感じられるのだ。
ちなみにそういう事情もあって、風切あやかが養生している間、柿留しょうは殆ど風切あやかに会ってはいない。会ったとしても、それは高山はるかと一緒に見舞いに行った時くらいだっただろう。
それはさておき、風切あやかである。
風切あやかが柿留しょうの稽古場に姿を現したのには訳があり、
「しょうの様子を見てきて欲しいのですよ」
と、護山家の役場に居る高山はるかに言われたからであった。それだけでなく、
「最近は剣術の稽古を頑張っているようなので、ここは一つリハビリも兼ねて、相手をしてあげて下さい」
という話もあるのだった。
「うわぁ……って行ったな?今」
風切あやかは不満そうに柿留しょうを睨んだ。柿留しょうは顔面蒼白になり、
「い、いえ、違うんですよ!」
手を前に出し、慌てて否定したものだが、
「何が違うんだよ……」
風切あやかは半ば諦めている。ふう、と一つ溜め息がこぼれた。
「違うったら違うんですっ」
「はあ……そうか。まぁ、いいや」
小さく呟くと、左手に持っていた竹刀を柿留しょうの前へと出した。柿留しょうの目の前に、風切あやかの竹刀が伸びている……そういう形である。それを見て柿留しょうは、
「あっ……」
小さく咳のような声を上げた。いや、それだけでなく僅か後ろへ飛び退いてもいる柿留しょうである。
「…………?」
風切あやかはきょとんとして柿留しょうの顔を見たままだ。
恐らくは柿留しょうが怯えにより数歩ほど後ろへ下がっていることに気がついていない……というのが、柿留しょうの見た手であり、それに気付くと、
(負けて堪るか……!!)
俄然、勇気が湧いてきたものだった。
あの天道そらに助けてもらった日から、柿留しょうは毎日剣術の稽古を続けている。それがこの勇気……自信へとつながっているのだ。
倒すことはできなくとも、今なら、風切あやかに一矢報いることができる!とも思っている柿留しょうである。
「僕の力を見せてやりますよ!」
そう思い切って言ってやった。
「むっ……ああ」
今度は風切あやかの方が驚いたようだった。目を丸くして柿留しょうを見やっている。
その目と目が一直線に見合っているが、柿留しょうもうは臆していない。むしろ、
「倒してやる!!」
といったような、力強い光をその両目に宿しているのだ。それを見て風切あやかは、
「……しょうも本当に強くなったんだな」
ぼそりと呟いたものだった。




