カゼキリ風来帖(5) ~ 天の道の章(5)
「ただいま戻りました」
夜の暗闇の中で、ポツリとした声が小さく響いた。
ここは広い屋敷の中である。木の高さほどもある高い塀に囲まれたその屋敷の中には、
「…………」
人、生きるものが居るような気配は特に感じることは出来ない。ただあるとすれば、それは虫の声、そしてそれらが僅かに這い回る音だけであろう。
しかし、今夜に限ってはそれすらも感じることはできなかった。ただ
「静寂」
のみなのである。
そんな中を一人の人影が進んでいく。屋敷の長い廊下を音もなく歩いて進み、やがて一つの扉の前へと立った。
「私だ、そら、だよ」
「お前が最後、入りなさい」
「そうか」
さっと扉が開いた。中は余り広くはなく、余計な家具も置かれていない目に付くとすれば部屋を照らしている灯篭の明かりだけである。その灯篭が部屋に居るもの……総勢4人の姿を映していた。
「遅いぞ。一体何をしていたんだ?」
「私用だよ。大したことじゃない」
「……どうせ、あのガキと遊んでいたんだろう?俺は知っているぞ。最近、お前はあの護山家……高山のところのガキと出来てるってな」
「…………」
天道そらが睨んだ。それ以上は口にも姿勢にも出さないが、その目、その雰囲気には沸々と怒りが込み上げているのが見て取れる。
「ふん、やるかよ」
天道そらに対する人物も怒気を隠さない。既に腰から下げられた刀には手が掛けられている。
それはまさに一触即発の空気!僅かに空気が変われば緊張の糸は、ぷつり、と切れるだろう。そうなれば、二人は刀を手にどちらかが倒れるまで闘争を続けるのだ。しかし……
「そら、夕矢、やめろよ」
戦闘は始まることはなかった。その低い声が二人の戦意を一瞬にして削ぎ落としてしまったのである。
「…………!?」
二人は、はっとしてその声の人物を見た。もっとも、狼のように露骨に殺気を出していたのは夕矢と呼ばれた方である。天道そらの方は飽くまで平然としていた。この状況に至っても驚いた表情を見せたのは夕矢の方で、天道そらは眉を少しばかり動かしたに過ぎなかった。
「……今のは夕矢が、悪い……」
小さな声が出た。夕矢はその声を見た。
「あさひ……!」
天道そらや夕矢よりも、一回りは小さな人影である。背が小さく子供のようであった。その子供が再び小さな声で、
「夕矢にとって、そらは姉」
と続けた。夕矢は不快そうに顔をしかめると、
「なら、あさひ。お前も俺に口答えするなよ?」
「…………」
夕矢は威圧的に言ったものだが、その子供……天道あさひはまるで動じない。
「…………」
どう睨んでやっても何も口に出さなかった。夕矢は「ハッ……」と息を吐いて、
「あさひ相手にゃ、何を言ってもダメ、だな。必要なこと以外は喋らないから、な」
「夕矢……」
また低い声が立った。その場に居る中で唯一の男が、夕矢を見て制したのだ。
「……分かったよ」
夕矢は相手の脅威を知った狼のよう身を引き、大人しく座した。天道そら、天道あさひもこれに続き、正しく座し、背筋を伸ばし前を見た。
静寂が辺りを包んでいる。この部屋には窓が一つだけしかない。その窓から月の光がなくなると、部屋を照らすのは灯篭の明かりだけとなった。
小さな炎、それが映し出すのは五人の人影。
天道そら、天道夕矢、天道あさひ、それに……
「父様、母様……」
であった。
その時、柿留しょうは眠りについていた。
「あはは、どうだろう?強くなったでしょう。そらさん」
夢を見ている。目は閉じたまま、口元だけが何やら緩んでいる。
「楽しそうに……」
顔が笑っているのだ。しかしその一方で、
『こんな話』が動いているなど、柿留しょうは正に夢にも思ってはいなかっただろう。
緊張感が全てを占める小さな部屋でのこと。
「柿留しょうをどうするか……」
天道の家族会議の題はそのことであった。
「もちろん殺るしかないだろう!」
そう真っ先に叫んだのは天道夕矢だ。眉を逆ハの字に歪め、顔も赤くして熱を持っている。
「この際、高山はるかも一緒だ!元々、あいつの方は殺る話だったじゃねえか。今が期だ。殺った方が良い!」
そういい終わるやドンと右手拳で床を叩いた。その様子を、
「…………」
何も言わずに天道そらが見つめていた。それを見て天道夕矢が、
(これでどうだよ?)
と内心で笑ってやったが、どうにも天道そらは、
「…………」
何も言わず、何の反応も見せない。そこへ、
「高山はるか……」
天道あさひが呟いた。
「そう、高山の野郎だ!あいつが黒烏の奴と一緒になってうりゅうを殺りやがったんだ!!」
「……夕矢、声が大きい」
「夕矢……」
余りに大きい声、いや叫びと言った方が正しいだろう。天道父が顔をしかめて夕矢を制したものだが、そうした所で夕矢は収まらずに、
「黒烏は山神がひいきしやがったし、高山かなたに至っちゃ逃げられてるんだ!今、あの時の一件で残っているのは高山かなたの妹の高山はるかだけ……あいつだけは絶対に逃がしちゃ駄目なんだよ!!」
勢いづいた夕矢は止まらない。このままにしておけば、自分だけでも飛び出して高山はるかと柿留しょうを倒し出てしまうだろう。しかし、その隣にいる天道あさひが、
「……高山は手強い。まず夕矢だけでは倒せない」
「あぁ?それは俺が弱いって言ってるのかよ」
「違う。そらが柿留しょうと接触しているということは……」
天道あさひがちらりと、天道そらをみた。
「これだね?」
「そう。私達の天道一族が着ている羽織、これを柿留しょうが高山はるかに話していたとすれば、既に警戒されている」
「私としょうくんの接触は偶然だが……高山はるかはどう思っているか、それは分からないな」
「……とにかく、高山はるかは手強い。柿留しょうだけを殺るなら話は簡単。でも、確実に足は付く」
「うむ……」
天道父が頷いた。
「ならばどうするか、だ。あさひが話したとおり、そらと柿留が接触している以上、高山はるかも私達のことを気にしていることだろう。そうなれば、山神にマークされる。マークされれば、今後の計画……あの御方の復活も難しくなる」
「ふふ、そうですね。八霊山の存続のためにはあの御方の復活は必須です。山神ではあの災厄に対応することは不可能でしょうから」
天道母が不敵に笑って言った。




