八話
千歳は、図書室の角に座り、一人きりで本を読んでいた。
もう孤独感に慣れてしまった。特に周りのことを気にしていなかった。
いつもだったらチャイムが鳴り、そのまま教室に戻るのだが、その日は違った。
千歳の座っている机の前に、三人の女子生徒がやって来た。全員名前も顔も知らなかった。同じクラスなのかどうかもわからない。
千歳はそのまま本を読んでいた。気になったが目を合わせたりはしなかった。
すると三人のうちの一番背が低い生徒が口を開けた。
「あなた、二組の金城さんでしょ。金城千歳さん」
千歳は驚いて顔を上げた。お互いに初対面だと思っていたからだ。
「どうしてあたしの名前、知ってるの?」
思わず声が出てしまった。名前を呼んだ子が、ふふふっと笑った。
「だって、あなた、どの教科のテストも100点でしょ。すごく頭がいい子って、みんなから尊敬されてるんだよ」
千歳はさらに目を大きくした。そんな風に見られているなんて、全然知らなかった。ずっと、都会についていけない、可哀想なおのぼりさんだと馬鹿にされているに違いないと思っていた。
千歳が黙っていると、その子は優しく微笑んだ。
「いっつも金城さんって一人きりで本読んでるよね。つまんなくないの?」
軽い口調で話しかけてきた。千歳の緊張がさらに増した。都会に来て、初めて都会人と向き合って会話をするのだ。
何と答えたらいいかわからず、千歳は動揺しながら言葉にならない声を出した。
「あ……。う……ん」
聞こえたかどうかわからないほど小さな声しか出せなかった。今口から漏れた言葉がどういう意味か、自分でもわからない。
千歳が冷や汗を流しているのを見ながら、その子はもう一度微笑んだ。
「ねえ、もしよかったら、私たちと友達にならない?」
どきりとした。全身から汗が噴出す。動揺している姿を見せたくなかったが、無理だった。
「と、友達?」
「そう。そうやって本ばっかり読んでても、楽しくないでしょ?」
そう言って、千歳の方に身を乗り出してきた。
「私、青木梨紗っていうの。もしよかったら、友達になろうよ」
千歳は戸惑った。まさかこんなことが起きるとは思っていなかった。
「でも、あたし、田舎育ちだし、都会のことなんて一つも知らないし、友達になっても意味ないよ」
言いながら無意識に俯いていた。友達はほしい。でもいざとなったらこうして怖くなってしまう。
「何言ってるのよ!」
梨紗はぽんと千歳の方を叩いた。そして覗き込むように千歳の顔を見た。
「田舎育ちだとか、そんなこと気にしてたら何もできないじゃない。都会のこと知らないなら、私たちが教えてあげるし」
梨紗は隣にいた他の二人に「ねえ」と目配せした。
「そうだよ」
右にいた子が口を開いた。梨紗と同じように優しい笑顔だった。
「私の名前は、遊佐香央理。金城さん、友達になろう」
何も言えないまま千歳は香央理を見た。どうしたらいいのかわからなくなった。
最後に左の子も自己紹介した。
「私は塚田円。金城さん、友達になってよ」
三人はじっと千歳の顔を見て、優雅に微笑んだ。
千歳は、梨紗と香央理と円を眺めるように見つめ、考えた。からかっているんではないかと思ったのだ。友達になりたいんだったら、もっと早く声をかけに来るだろう。千歳が二人組みを作れないことも知っているはずだ。
それなのにどうして今になって……。都会はこうして友達を作るのか。
「……あたしなんかと友達になってくれるの……」
目を逸らし、恐る恐るといったように千歳は言った。
三人は同時に頷いた。「当たり前でしょ!」と梨紗が言い、香央理が手を握ってきた。
「ね、友達になろう!一緒に遊ぼうよ、金城さん!」
円の声を聞き、千歳は黙った。信じていいのか。今の言葉を信じてもいいのか。
「……うん」
勝手に口が動いた。声を出して、千歳ははっとした。まだ迷っているのに答えてしまった。
三人はにっこりと笑った。なぜか周りが金色に輝いていた。
「じゃ、これからよろしくね、千歳」
突然名前の方で呼ばれ、緊張した。都会では友達になったらすぐに名前で呼び合うのか。
「……うん……」
縦に首を振りもう一度三人の顔を眺めた。優しい女神のような笑顔を見て、千歳もぎこちなかったが笑顔になった。
家に帰ると、母がテーブルでノートパソコンと向き合っていた。
いらいらしているようで、何度も貧乏ゆすりをしている。
千歳は浮き浮きした気持ちで母に声をかけた。
「お母さん、今日ね、学校で友達ができたんだ!しかも三人も!あたし、すごく嬉しい!」
明るい千歳の声を聞き、母はすぐに不機嫌そうな目を向けてきた。
「うるさいわね!今仕事してるの!話しかけないでよ!」
怒鳴るように言い、母は立ち上がった。ノートパソコンを持ってすたすたと自室の中に入り、大きな音をたててドアを閉めた。
それを見て、千歳は母のことを可哀想な人だと思った。もう怒りも沸かなかった。怒りを通り越して、哀れだという感情が生まれた。
この人は、子どもを愛するという能力を持っていないのだ。自分のことしか考えられない、孤独な人間なのだ。そして子どもに哀れの目で見られるのだ。
娘が、落ち込んでいようが、悲しんでいようが、そして喜んでいようが、この女は無関心なのだ。
金城百合子という女は、娘を邪魔者扱いする人間なのだ。大人になってしまったから、もうこの性格は二度と戻らない。
この女のせいで、大好きな早苗が傷つくなんて絶対に嫌だ。
あたし、もうこの人をお母さんだと思うのをやめよう。
心の中で、千歳は決意した。
母親だけではない。父親もそうだ。もう父は変わってしまった。田舎にいた時はあんなに優しかったのに、今は冷たく凍ってしまった。しかしどうすることもできない。せっかく父親になれたのに残念なことだ。
千歳はこの二人との縁を切った。もうお父さん、お母さんと呼ばないことにした。何も話しかけない。話しかけられても無視だ。だって、この人たちは、赤の他人なのだから。
というか、もう人間ですらない。この二人は感情の持たないただの人形なのだ。