四十一話
貴広は、まるで犯人が自白するような口調で、千歳に謝った。
「ごめんね、本当に……僕のせいで……」
「貴広さん」
千歳はそっと声をかけた。弱弱しく、今にも壊れてしまいそうな貴広を見るのが辛かった。
「教えてください。どうして貴広さんが明子さんを異常にしてしまったのか」
貴広は口を閉じ、真剣な眼差しで千歳の顔を見つめた。ついに話す時がやってきたと考えているようだった。
「僕は千歳ちゃんに嘘をついている。自分が悪者になりたくないから。何て卑怯な奴なんだ。自分が情けなくてどうしようもないよ」
千歳は体を硬くした。何を聞いても動揺しないようにするためだ。そして崩れ落ちそうになる貴広を支えなくてはと思った。
貴広はあきらめたようなため息をつき話し始めた。
「僕は明子のことを小学生の時から知っていた。ただし顔を見たり話をしたりはしなかったけどね。学校のみんなが、勝田明子は悪魔みたいな奴だから絶対に仲良くなっちゃいけないって言っていた。先生だって、明子がいるクラスに当たると嫌そうな顔をしたんだとか。とにかく明子はみんなから嫌われていた」
千歳の頭の中に明子の顔が浮かんだ。その時からすでに悪魔だと言われていたのでは治せないなと千歳は考えた。
貴広は続けた。
「でも僕はそんなことどうでもよかった。何人からも忠告を受けたけど、ただの噂だろうって全然気にしていなかった。自分の好きなことでいっぱいだったからね。小学校では一度も明子と会わなかったけど、中学生にあがって明子と同級生になった。それでもやっぱりどうでもよかった。自分で買ったカメラでいろいろなものを撮ることに夢中で、周りのことなんか気にしてなかったよ。そうしていたある日、明子が僕に話しかけてきたんだ」
千歳はごくんとつばを飲み込んだ。貴広の口調が変わったからだ。
「明子は僕が写真を撮るのが好きだということをすでに知っていて、自分も写真を撮るのが趣味だと言ってきた。最初はただ自分たちの撮った写真を見せ合うくらいだったけど、どんどん明子は僕に近寄ってきて一緒に写真を撮りに日帰り旅行みたいなこともした。友人からは明子と一緒にいたらいけないって何度も言われたけど、僕は仲良しの女友だちだと思い込んでいた」
ここまで言うと貴広は黙った。思い出したくない過去が頭の中に浮かんでいるようだった。
「……付き合ったら、明子は突然本性を表わした。こんな写真を撮って何が楽しいんだと言って、勝手に僕のたくさん写真を貼っていたアルバムも、がんばってお小遣いをためてやっと買えた宝物のカメラも捨てたんだ。こんな写真を撮る暇があったら自分を遊園地につれていけとか命令ばっかりだ。そして他人の悪口、あら探しの毎日が始まった。自分勝手でわがままで謝るのはいつも僕だ。何度もどうしてこんなことをするんだと言ったけどもちろん治らない。ストレスで頭が爆発しそうになった。明子に騙されたんだってことに付き合ってから気が付いたんだ」
貴広の話を聞きながら、横で倒れている女を睨みつけた。こんな女に捕まってしまった貴広が哀れで仕方がない。
「さすがに僕も頭にきて、何か仕返しをしたいと考えたんだ。そこで思いついたのが、大勢の人間たちの前で思い切りふってやるってことだ」
「思い切りふる?」
千歳が聞くと、貴広は具体的に話してくれた。
「学校で、クラスメイトが集まっているところで明子に思い切り怒鳴った。今まで明子がしたことを全部ぶちまけて、お前なんか大嫌いだ、もうお前と一緒にいたくない、みんなお前のこと嫌いなんだぞって大声で言ったんだ」
千歳はショックを受けた。貴広がそんなことをする人だと思っていなかったからだ。
「周りで見ていたのは明子に嫌がらせや悪口を言われた奴らだったから、みんな大声で笑った。ざまあみろって全員が明子のことを馬鹿にした。僕も明子が何も言えずに黙っているのを見て清清しい想いだった。クラスメイト全員からよくやったって褒められて、いい気分になったよ」
千歳は耳を塞ぎたくなった。貴広のイメージが音をたてて崩れていくような気がした。やはり人間はみんな冷たい心を持っているのかと感じた。
「これで明子が反省すると誰もが思っていた。だけど明子は反省するんじゃなくて、頭をおかしくした」
千歳の心臓が大きく跳ねた。頭をおかしくした……それはどういうことだろうか……。
「頭をおかしくしたって……?」
貴広は後悔をするように俯き、続けた。
「……何も話さないし誰の話も聞かない。給食も一口も食べない。魂が抜けた人形みたいになった。しかも学校に来なくなった」
千歳は自分が不登校をするようになった時のことを思い出した。まさか明子も自分と同じ経験をしていたのか……。
千歳が動揺していることに気付かず、貴広はさらに話し続けた。
「心配になって罪悪感でどうしたらいいのか焦った。今明子は病院に入院しているとか聞いてすぐに明子に会いに行った。明子はまるで死人のように目を閉じて動かなかった。僕は毎日後悔した。このまま明子は死人の姿で生きていくのかと思うと、僕の頭までおかしくなりそうになった」
そこまで言うと貴広は、興奮している自分を抑えるために小さく深呼吸をした。
「何をしたらいいのか自分で必死に考えてようやく出てきたのが、明子が回復するまでずっと一緒にいることだった」
千歳は昔の自分と明子を重ねた。明子と自分はほとんど同じ過去を持っているのか。
「僕は毎日暇さえあれば、いや、暇がなくても明子に会いに行った。ひどいことをして悪かったと謝って、泣きながら元に戻ることを祈った。そうして話しかけていたら突然明子は目を開けた。戻ってきたんだ」
そう言うと貴広はぐったりとしている明子をちらりと見た。
「僕は回復するまでそばにいると言った。けれど明子は勘違いしていてよりを戻すことだと思い込んでいたんだ。僕は違うと何度も言ったけどまた明子の頭がおかしくなったらと怖くなって、結局恋人同士になることにした」
貴広はふっと小さく笑った。
「馬鹿だよね。ちゃんと友人の話を聞いておけばこんなことにはならなかったのに。明子に騙されて、情けない男だ」
「そんなこと言わないでくださいっ」
千歳はあわてて声を出した。崩れそうな貴広を見るのが辛かった。
貴広は少し黙ったあと、また口を開いた。
「明子は以前にも増して性格が悪くなっていた。頭をおかしくしたせいか言うことやすることが異常になった。知らない人にお前がストーカーの犯人かだとか怒鳴ったり、誰かに命を狙われてるとか大声で騒いだり。僕がそんなものいないよと言うとすぐに死ぬと言って脅す。人にたくさん迷惑をかけて謝るのは僕の仕事。しかもこんなに異常な女と付き合っている僕のことまで異常な人という人もたくさんいた。あんな女と付き合うなんて、頭がいかれてるとかね……。今まで友人だった人はいなくなったよ。明子がいるせいで何もかも失った」
貴広はまた倒れている明子を見つめ、憎しみの言葉を出した。
「こいつがいなくなれば……と何度も思ったよ。もう警察に捕まってもいいから、この世から明子を消し去りたいってね。そうすればみんな迷惑をかけられたり心を傷つかせることはないだろうし」
「やめてくださいっ」
千歳も先程と同じように声を出した。こんなに優しい人が明子のせいで犠牲になるなんて絶対に嫌だった。
「貴広さん、絶対にそんなこと考えちゃいけません」
千歳が厳しく言うと、貴広は「もうそんなこと考えてないよ」と苦笑した。しかしすぐにまた真顔に戻り、話を続けた。
「明子の異常さは日に日に増して行く。たぶん今結婚をしたいと言ってるのも、変な錯覚みたいなものを妄想してるんじゃないかな。何者かに命を狙われているとか……」
千歳は何か言いたかった。何か言わないと貴広は崩れてしまう。しかし何も言葉が見つからない。
「でも、もう心配しないで。もう明子は千歳ちゃんのこと傷つけないから」
貴広の口調が急に穏やかになった。優しい笑顔で千歳を見つめた。
「どうしてですか」
千歳の心の中に、黒い塊のようなものが突然生まれた。
貴広は目をつぶり呼吸を整えてから、きっぱりと言い切った。
「東京に帰るからだよ」




