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三十四話

「この絵が完成したら、千歳ちゃんにプレゼントするよ」

 絵を描きながら貴広が声をかけてきた。千歳は驚き、目を見開いた。

「そんな……。あたしなんかがもらうなんて……」

 遠慮がちに言う千歳に、貴広は首を横に振った。

「僕は、千歳ちゃんと会えたという記念として描いてるんだ。千歳ちゃんにあげるために描いているんだ。邪魔ならいいけど、できたらもらってほしいと思ってるんだけどな」

「邪魔だなんて思ってません」

 あわてて千歳が言うと、貴広は穏やかに笑った。その笑顔を見て、千歳は心の中で決めたことを思い出した。この人に、不快な思いをさせてはいけないということだ。

「わかりました。完成するの、楽しみにしてます」

「よかった。がんばって描くよ」

 貴広は自信満々という顔でにっこりと笑った。


 早朝に森に行くようになって、もう五日間が過ぎた。貴広のスケッチブックはもう半分以上のラフが描かれている。独学では描けないようなラフだ。千歳は何度もすごいと言った。

 さらに、千歳は全く絵について興味などなかったが、今はいろいろな画材について質問したりするようになった。そして影響されていく千歳を見て、貴広は癒される。二人の距離はどんどん近くなり、まるで本当の恋人同士のようだ。

「誰にも教わらないでこれだけ描けるなんてすごいですよ。尊敬しちゃいます」

 千歳が感心したように言うと、貴広は優しく微笑んだ。

「千歳ちゃんが隣にいるからだろう。千歳ちゃんが、僕に何か力をくれるみたいだね」

 どきりとし、千歳は何も言えなくなった。いつものように、また目を逸らした。

「千歳ちゃんが一緒にいるから、僕は絵に集中できるんだと思うよ。こうして自然を描けるのも、千歳ちゃんのおかげだね」

 千歳は自分の顔が赤くなっていくのがばれるのではないかと冷や冷やした。

「千歳ちゃんがいてくれないと、僕は絵が描けない。ずっとこうしてそばにいてほしい」

 千歳は小さく頷いた。貴広の口調は、好きな人に告白するようだった。もし貴広が会ったのが、明子ではなく、自分だったら……という気持ちが、また溢れてきた。

 しかしその想いはすぐに消えた。貴広が明子の名前を出したのだ。

「明子には、絵を描いていることは絶対に言わないでね」

「どうしてですか?」

 千歳が言うと、貴広は、ため息を出した。

「明子に絵がばれるとまずいんだ。あいつは僕の絵が見つかると、めちゃくちゃにするからね」

「めちゃくちゃって?」

 貴広はしっかりとした声で答えた。

「画材は捨てるし、スケッチブックはびりびりに破くし、キャンバスは黒い絵の具で真っ黒にする」

「そんなことするんですか」

 千歳はもう動揺しなかった。明子がどれだけ性格が悪いか、もうほとんどわかっている。

「ごめん。明子の話なんか聞きたくなかったよね」

 貴広に言われ、千歳は自分の顔が歪んでいることに気が付いた。


「ところで、千歳ちゃんは何色が好き?」

 いきなり話題が変わったので千歳は驚いたが、すぐに答えられた。

「青が一番好きです。特に、今みたいな夏のよく晴れた空の色が好きです」

 そう言いながら、千歳は空を見上げた。すると貴広は驚いた顔をした。

「僕も青が一番好きだ。夏の、雲一つない空の色が」

 それを聞いて、千歳はまた胸がじわじわと暖かくなった。

「本当に、何もかも同じですね。あたしたち」

 千歳が笑いかけると、貴広もにっこりと微笑んだ。

 突然、貴広が真面目な顔をした。

「そうだ。せっかくだから、千歳ちゃんも描きたいな」

「えっ」

 目を丸くした。いったいどういう意味なのか、よくわからなかった。

「どういうことですか?」

 千歳が聞くと、貴広はきっぱりと言った。

「自然だけじゃなく、千歳ちゃんも描くってことだよ。千歳ちゃんが絵のモデルになるってこと」

「絵のモデル?」

 千歳の額から冷や汗が流れた。まさか貴広がそんなことを言うとは思っていなかった。

「無理です。あたしが絵のモデルになるなんて。あたし全然可愛くないし、モデルになんか、絶対になれない」

「いいや」

 貴広は首を横に大きく振った。

「千歳ちゃんはモデルになれるよ。僕は今まで人物画を描いたことはないけど、千歳ちゃんのためにがんばるから」

「やめてください」

 千歳は後ずさりしながら言った。自分のために描いてくれるなんて、何ともありがたいことだったが、魅力も何もない自分の姿を貴広に描かせるのは、申し訳ないと思った。

「だけど、描きたいんだ。こんなに気心の知れた子と会えたんだから、記念として、千歳ちゃんも描きたい」

 貴広の目がきらきらと輝いていた。千歳は手を振りながら、もう一度言った。

「だけど……あたし、全然、いいところなんて一つもないし」

 貴広はまた首を横に振った。

「いいところがあるとかないとか、そんなことどうだっていいんだよ。僕はただ千歳ちゃんを描きたいんだ」

 貴広のことを不快にさせないという言葉が頭の中に浮かんだ。もう断ることができなかった。

「……じゃあ、よろしくお願いします……」

 千歳が頭を下げると、貴広は嬉しそうに笑った。

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