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三十三話

 貴広が部屋に入ると、襲いかかるように明子が飛びかかってきた。

「あんた、あのガキに何話したのよ」

 かなり興奮している。睨んだ目つきが、尋常でなかった。

「何も話してないよ」

 目もあわせずにぶっきらぼうに答えると、明子は叫ぶように言った。

「何も話してない?嘘つかないでっ。あのガキ、あんたが絵を描きたがっていることも、あたしが絵を描くのを嫌がっているってことも知ってたわよっ。あんたが全部話したんでしょっ。そうでしょ?」

「うるさいな、静かにしろ。落ち着けよ」

 貴広が注意すると、明子は髪を振り乱し、猛獣のように大声を出した。

「落ち着けられるわけないでしょっ。あんな地味な田舎娘に、馬鹿にされたのよっ。一体あのガキと何をしてんのよっ。全部答えなさい」

 貴広はうんざりした顔でため息を吐いた。そして同時に焦りも感じていた。もし明子に、千歳と森に行っているということがばれたら、明子はなにをするだろうか。スケッチブックを破り、画材を全て捨て、怒鳴り散らすだろう。自分だけ被害を受けるのならいいが、絶対に明子は千歳のことも傷つけるはずだ。千歳を睨みつけ、罵詈雑言を浴びせるに違いない。それだけは避けたかった。千歳をこれ以上ひどい目に遭わせたくない。

「いつも言ってるだろ。明子は異常だよ。どうして僕のやることなすことにイライラして、文句を言うんだ。もっと他人のことを考えるとか、そういうことできないのか」

 さらに厳しく言うと、明子は貴広を壁に押し付けた。

「あたしはちゃんと、人のことを考えてるわよ。他人のことを考えられないのは、あのガキのほうでしょ」

「違う」

 貴広は首を振りながら即答した。

「千歳ちゃんは、きちんと他人のことを思いやる心を持っている。優しくて、とてもいい子だよ」

「だけどあたしのことを睨んだり、馬鹿にしたりするじゃない」

「それは、お前があの子にいろいろと嫌なことをするからだろ。お前が悪口を言ってくるから、仕返しをしているんだよ」

「あたしが悪いって言うの?恋人のあたしのことを、悪く言うとか信じられない。もしかして、あんた、あたしのことが嫌いなの?」

 明子があざ笑うように聞いてきた。貴広は体を石のように固くし、何も答えなかった。本当は、「そうだ」と言ってしまいたかった。お前を恋人だと思っていない、お前のことを好きだと思ったことは一度もないと言っても無視をされるのなら……正直に「嫌いだ」と言って、完全に縁を切りたかった。しかしなぜか口がそれを拒んでいるのだ。そんなことを言ったらいけないと禁止しているのだ。

 明子が覗き込むように顔を見つめてきた。

「え?何?あんた、あのガキの味方するの?もしかして好きなの?あの生意気なガキのこと。あたしという恋人がいるのに、あんなガキのほうがいいの?」

「そんなこと言ってないだろ」

 静かな声で貴広は言った。何とか怒鳴りたいのを堪えた。

「千歳ちゃんは、僕たちと何の関係もないだろう。それなのに、お前があの子にひどいことをするから、庇っているだけだ」

 しかし明子は軽蔑の目で貴広を見つめていた。

「……ねえ、貴広。言っておくけど、次に何か言い争いになった時、またあんたがあのガキの味方をしたら……どうなるかわかってる?」

「どうなるか?」

 貴広の言葉に、明子はまたあざ笑う顔をした。

「あたしの味方をしなかったら、後でどんなことが起きるか、貴広だったらわかるでしょ」

 貴広は深呼吸をするように息を吐き、うんざりとした口調で言った。

「また、死ぬとか脅すのか」

 明子は貴広を睨みつけると、低い声を出した。

「脅す?いったいあたしが、いつ、あんたのことを脅したのよ?変なこと言わないで」

「僕が、お前とは付き合えないって言った時、お前、大声で叫んだじゃないか。死んでやるって」

 明子は呆れたような顔をし、言った。

「そんなこと言ってないわ。夢でも見たんじゃない?」

 貴広は、ぐっと体を硬くした。本当にどんな言葉を聞かせれば、この女は大人しくなるのだろうと悔しい思いでいっぱいになった。

「とにかく、死ぬなんてこと、言ったらいけないからな。もしこの旅館の人たちに聞こえたらまずいだろ」

「何びくびくしてんのよ。情けない男ね。別に聞かれてもいいわよ。むしろ聞いてほしいわ。あの生意気なガキに。もしあたしが死ぬってことを知ったら、もうあんな生意気なこと言えなくなるわね」

 思わず貴広は明子の頬を叩いていた。どんなことをされても、手を出すことは絶対にしないと決めていたが、体が無意識に反応していた。

「貴広……」

 信じられない、という顔で明子は貴広を見つめた。貴広も、自分がやってしまったことに動揺した。

「……千歳ちゃんに何かしたら、絶対に僕はお前のことを許さないからな」

 そう小さく言い残し、貴広は部屋から出た。そして廊下を歩きながら、後悔していた。どうしてこんな女に何もかも奪われなくてはいけないのだ。なぜ、初めて会ったのが千歳ではなかったのか。千歳と一緒にいたい。しかしこの明子がいるせいで、それは叶わない。脅されても、無視すればよかった。

「貴広さんが素晴らしい絵を描きあげられるように応援します」「あたしにできることなら、何でも言ってください」

 千歳の柔らかな言葉が頭の中に浮かんだ。そしてそのまま、からくり人形の糸が切れたようにしゃがみこんだ。

 




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