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二十九話

 千歳は項垂れた貴広を見ることしかできなかった。何も言葉が見つからない。自分は何をすればいいのか、わからなかった。

「ごめん。愚痴みたいになっちゃったね。嫌な気分になったよね」

 苦笑しながら謝る貴広に、千歳は即答した。

「そんなこと……気にしないでください」

 悲しげに微笑み、貴広は呟いた。

「千歳ちゃんは、本当に優しいね。明子とは正反対だ」

 それを聞いて、千歳の胸の中に何かが生まれた。それがなんなのか、千歳にはわからなかった。

「僕が大自然を愛してるってことは、昨日言ったよね」

 千歳が頷くと、貴広は生き生きとした顔になった。

「僕は、この大自然を描いてみたいんだ」

「えっ」

 千歳が目を丸くすると、貴広はにっこりと笑った。

「僕はもともと写真を撮るのが好きでね。いろいろなところに行って、写真を撮ってたんだ。だけどそれだけでは物足りなくなって、絵を描くことにしたんだ」

「絵を……」

 全く考えていないことで、千歳は驚いた。貴広はさらに続けた。

「もっと自然と近付きたかったんだ。一度でいいから、自分の満足できる絵を描いてみたい」

 千歳は、貴広が本当に大自然を愛していることを知った。貴広は、自分と同じ、自然を愛する人間なのだ。今まで疑心暗鬼になっていた自分が、恨めしく思った。

「もちろん、全部独学だけどね」

 そう言いながら笑う貴広の顔を見て、自分の胸が熱くなっているのを千歳は感じていた。貴広の声を聞くと、今まで感じたことのない想いが揺れているのだ。自分の心が洗われていくように思うのだ。

 ぼうっとしている千歳を見て、貴広は心配そうな顔になった。

「どうしたの?千歳ちゃん」

 覗き込むように見つめられ、千歳は目を逸らした。貴広の顔を直視できなかった。

「何でもないです。話を続けてください」

 貴広は安心したように笑い、また話し始めた。

「大学卒業まで、あと二年間ある。その二年間、たくさん絵を描きたいと僕は思ってる。だけど明子が嫌がるんだ」

「嫌がる?どうして……」

 千歳が首を傾げると、貴広は落胆したように俯いた。

「絵を描いたって、ド素人だし、何も魅力なんてないんだから、時間の無駄だって言うんだ」

「時間の無駄?」

 千歳は明子の厚かましい顔を頭に浮かべた。何から何まで、嫌な女だと強く思った。

「明子さんのことなんか気にしなくてもいいですよ。あんな人間に振り回されたら、貴広さん全然幸せになれない」

 思わず声が大きくなった。他人のことを侮辱する女のわがままをいちいち気にしていたら、貴広は幸せな人生を送れない。

 しかし貴広は首を横に振った。

「だめなんだ。あいつは自分の思い通りにならないと、暴れだすんだ。さっきも言っただろう。僕の行動を全て観察し、脅しまでして僕と付き合った」

 貴広の言葉を聞きながら、千歳は都会で暮らしていた時を思い出した。梨紗も、自分の思い通りにならないのが一番嫌いで、千歳を透明人間扱いし、金を奪った。

「でも、何もあんな人間のせいで貴広さん振り回されるなんて」

 千歳が言うと、また貴広は両手で顔を覆った。

「絵なんか描いてる暇があったら、さっさと結婚しようって、いや、結婚しろって言ってくるんだ」

 千歳は一瞬、目の前が真っ白になった。結婚……。結婚とは何か。心優しい貴広と、最低最悪の嫌な女

明子が、結婚する……?

「結婚しろ……?そんなこと、言うんですか……」

 震える声で千歳が言うと、貴広は答えた。

「結婚をするために恋人同士になったようなものなんだ。好きでもない奴と結婚なんて、絶対に嫌だ」

 さらに千歳は体を硬くした。結婚の仕方はよく知らないが、全く生まれも育ちも違う他人同士が共に生きていくわけなのだから、かなりの時間がかかると千歳は思っていた。

「明子が絵を描くのを嫌がるのは、さっさと結婚したいと思ってるからだ。僕の話なんか一切聞いてくれないよ。昨日だって、僕は明子のことなんか一度も好きになったことはないし、恋人だと思っていないと言っても、この田舎から帰ったら即結婚とか馬鹿なことを言ってる」

貴広は頭を抱え、その場にしゃがみこんだ。

「……どうしてそんなに早くに結婚をするんでしょう。確かに女の人は結婚するのを憧れてますが、別に大学を卒業してからでも」

「千歳ちゃんも、そう思うんだね」

 貴広は立ち上がり、千歳の目を真っ直ぐに見つめた。

「僕も、大学を卒業してからでもいいじゃないかと言ってるんだ。たった二年間、どうして待てないんだってね。だけどそれも完全に無視だ」

「そんな……」

 千歳もその場にしゃがみこんだ。貴広の心の傷が、千歳の心にも伝わってきたからだ。



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