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二十六話

 自室に向かい、歩きながら、千歳は自己嫌悪に陥っていた。しかも今回はかなり激しい。頭はずきずきと痛み、めまいで足元がふらふらする。

 何とか部屋に入ると、崩れるように千歳は畳に倒れこんだ。そして十数分前の自分の姿を思い出した。

 自分は、なんて冷たい人間なのだろうか。どうしてあんなことを言ってしまったのか。どうして優しい人を睨みつけてしまったのか。どうしてこんなに変わってしまったのだろうか。まるであの時の……梨紗たちと同じではないか。もしかしたらそれ以上かもしれない。自分は冷酷な人間に変わってしまった。

 貴広のことを悪く思うのも、自分が疑心暗鬼の塊だからだ。なぜか貴広を信じることができない。

 しかし、わかっているのだ。貴広は、悪い人ではないことを。むしろ、とても優しい人なのだということも。

 貴広が来てくれたことで、早苗たちに笑顔が戻った。昨日の夜だって、明子の質問攻めを止めてくれたではないか。

 貴広はいい人だ。都会人でも、いい人はいる。たまたまだったんだ、と言った祖父の顔が頭に浮かんだ。

 悪いのは明子の方だ。人のあら探しをし悪口ばかり言う。貴広も聞くのが嫌だと言っていた。

 千歳は起き上がり、貴広に謝ることにした。素直に謝れば、もしかしたら許してくれるかもしれない。もし許してくれなくても、このままでは気が済まない。とにかく謝りたいと思った。そうしなければ、自分は完全に冷酷な人間になってしまう。

 しかし何と言って謝ればいいのか。ただ普通に「ごめんなさい」と言えばいいのか。あんなに酷いことをしたのに、その一言だけでは足りないのではないか。

 悶々としていても仕方がない、と千歳は無意識に部屋から出ていた。そして裏口のドアに向かい廊下を進んでいく。いつもより廊下が長く感じた。

 明子には何と言われても気にならない。そういう人間なのだと思うだけだ。しかし貴広には「謝りたい」という気持ちが芽生えた。千歳が嫌う「都会人」なのに。「敵」なのに。

 突然、肩を叩かれた。はっとして振り向くと、貴広が申し訳なさそうに千歳の顔を見ている。

 千歳は動揺した。貴広は千歳のことを傷つけていない。傷つけたのは明子だ。明子が謝らなければいけないのだ。貴広は悪い人間じゃない。

「あの……」

 辛うじて声を出した。貴広は驚いたように目を丸くした。

「あたし、貴広さんにすごく失礼なことをしました」

 目を逸らしながら小さく言う。声が震え、涙が出そうになった。

「貴広さんは何もしてないのに。貴広さんは何も悪くないのに……」

「千歳ちゃん」

 貴広が穏やかに笑いかけてきた。優しく、暖かい笑顔だった。

「こんなにひどいことをして……。貴広さんのこと、たくさん傷つけて、あたし」

「僕は何も傷ついていないよ」

 千歳の言葉を遮り、貴広は首を横に振った。

「謝らなくていいよ。明子が全部悪いんだ。千歳ちゃんが頭にくるのもわかるよ。あいつはだめな人間なんだ。昔からそうなんだよ」

 千歳は驚いて目を見開いた。その目を見返して、貴広は話し始めた。

「明子と一緒にいるのが嫌なんだよ。あいつは人のあら探しをして、悪口を言うのが大好きなんだ。出会ってもう二年くらい経つけど、全然変わらない。あいつのせいで毎日ストレスで気が狂いそうになるよ」

 貴広の声がだんだん低くなり、千歳は動揺した。しかし震えないように身を硬くした。

 大きなため息をつき、貴広は俯いた。

「僕は明子に傷つけられてるんだ。僕は明子のことを好きだと思ったことは一度もないんだよ」

「えっ」

 千歳がどきりとして声を出すのと同時に、明子が二人の前に現れた。貴広の方だけを見て、千歳のことは無視している。顔を合わせることが怖くてできないのだ。情けない女だ。

「おはようございます。明子さん」

 千歳がお辞儀をしたが、明子は千歳の顔を見なかった。

「貴広、こんなところで何をしてるの?」

 貴広は千歳に目をやり、「千歳ちゃんと話してたんだよ」と答えた。しかし明子は千歳を無視しているので、何も言い返せなかった。

「勝手にいろんなとこ行かないでよ」

 機嫌が悪そうな顔でそう言うと、貴広と千歳の間を遮るように歩いて行った。

 千歳は、明子の姿がなくなってすぐに小さく言った。

「貴広さん。もしよかったら、また明日の朝、一緒に散歩に行きませんか」

 貴広も同じことを言おうとしていたようで、すぐに頷いた。

「うん。朝の五時半だね」

「はい。裏口のドアの前に来てください」

 もう一度頷き、二人はその場から離れた。

 

 



 

 

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