十八話
完全に不登校を始めたのは、三年に上がってすぐだった。千歳はほとんど家から出ず、一人きりの生活を送っていた。自分の部屋に引きこもり、毎日パジャマ姿でベッドの上に横になっていた。もちろん勉強はしない。高校受験などどうでもいいと思っていた。もう学校に通うということをやめることに決めていた。
母に何か言われるかと思ったが、なぜか何も言ってこなかった。もうあきらめることにしたようだ。口も聞いてこないし、目も合わせない。いちいち注意しても無駄だと思ったのだろう。
母の顔を見ると、梨紗を思い出してしまう。あんな女と一緒にいたのだと思うと気持ちが沈んだ。あの女のことを親友だと言っていた自分が嫌でたまらなかった。しかし過去は戻せない。財布もどうなっているかわからない。千歳もあきらめることにした。そして全て忘れることにした。
都会にいた影響なのかどうかはわからないが、千歳は何となく自分が冷たい性格に変わってしまったように感じた。今まで誰かを睨みつけたり、ため息をついたりすることはほとんどなかった。しかしここに来てから、毎日気分を悪くすることになった。まさか自分がこんな生活を送るとは、夢にも思っていなかった。
やがて千歳はベッドから出ることもなくなった。食事も摂らず、千歳は痩せ細っていった。ずっと横になっていたせいで足腰が弱くなり、一人で歩くと必ずよろけてしまう。顔色も悪く、何も言葉を発しない。どう見ても健康な人間には見えない。本当に操り人形のようになってしまった。
さすがに両親も焦った。娘がこんな姿をしていたら、他人にどう思われるか。千歳が心配なのではなく、金城家が変に見られたらということが心配なのだ。
毎日二人でひそひそと相談しているのを、千歳は布団の中から見ていた。
「田舎に帰りたい……」
小さく呟いたが、もちろん二人には聞こえていなかった。
しばらくして、両親が千歳に言ったことは、「田舎に戻す」ということだった。ようやく夢が叶ったのだ。しかし本当は元気な姿で帰りたかった。
精神病患者のようになってしまった千歳を見て、早苗は気を失ってしまった。いつも冷静な祖父も愕然としていた。まさか都会で愛する孫がこんな目に遭っていたとは、夢にも思っていなかっただろう。もう以前のように明るい千歳は消えうせてしまった。
涙を流しながら、早苗は大声で息子と、息子の嫁を責めた。早苗がこんなに大声を出すのは初めてだった。
「ちいちゃんに、何てことをしたの!?」
体も声も震えていた。涙が畳の上に落ちていく。
「ちいちゃん、頭がおかしくなっちゃったのよ!あなたたち、自分がしたことちゃんとわかってる!?」
「わかってるよ」
不機嫌そうに千歳の父は言った。
「わかってるよじゃない」
寡黙な祖父が口を開いた。息子を睨みつけ、低い声で話した。
「よく考えてみろ。自分の娘がこんな姿になるまで、どうしてほったらかしにしてたんだ。人形のようになってしまって、まるで死人のようじゃないか。人を殺したのとほとんど同じなんだぞ」
「大袈裟ですね」
すぐに母は言った。少し笑っているようだった。
「昔から二人とも、馬鹿みたいに千歳のことを可愛がって。頭おかしいんじゃないんですか?」
「百合子さん」
早苗は嫁の顔を見つめた。
「悪いけど、頭がおかしいのはあなたの方よ。自分の娘がこんな姿になっても、涙一つ落とさないなんて、おかしいわ。こんなにも子どもを可愛がらない人は、見たことがない」
早苗に続き、祖父も言った。
「百合子さん、あんた、自分の娘のことを何だと思っているんだ。お腹を痛めた子どもだぞ。昔から思っていたけど、あんたは子どもを可愛がる態度を一つも見せなかったな。大事な一人娘が可愛くないのか」
すると百合子は睨み、即答した。
「可愛くないですよ。というか、私は子どもなんてほしくなかった。それなのに孫が見たいからと言って、無理矢理産ませた。お二人には可愛い孫でも、私にとってはただの邪魔な生き物なんです」
祖父は信じられないという目で嫁を見返した。早苗も言葉をなくしている。
「千歳がいるせいで、私は何度も嫌な目に遭わせられた。汚らしい田舎で住むことになって、仕事の邪魔をされて……。はっきり言って、千歳はゴミと一緒ですよ」
吐き捨てるように百合子は言った。夫も深く頷いている。
「……本気なの……?」
震えながら言った早苗の言葉を聞き、千歳の父はため息をついた。
「お袋って、昔っから口やかましくて嫌だった。お袋のせいで百合子が怒鳴られているのを見ると可哀想になる」
「違うだろ」
祖父が口を開いた。低く呻るような声だ。
「百合子さんが怒鳴られるのは当たり前だ。こんなにも子どもへの愛情が薄い母親を叱るのは当然だろ。そんなことよりも、愛されないちいちゃんのほうがずっと可哀想だろ」
すると父は面倒くさそうに答えた。
「だから、千歳なんて俺たちにはいらない存在なんだよ。何回言えばいいんだ」
息子の言葉に、ついに祖父は手を出した。胸ぐらを掴み、拳を作った。
「やめてっ」
早苗が泣きながら叫んだ。その声がうるさかったのか、百合子は不機嫌そうな顔をした。
四人の言い争いを、部屋の角に横たわりながら千歳は見ていた。何か言いたくても声が出せない。動きたくても体が動かない。うつらうつらしながら、何時間にも及ぶ怒鳴り合いを聞き続けていた。
五時間程経ち、ようやく四人は静かになった。これから千歳をどうするかの答えが出たのだろう。
「じゃあ、そういうことだから」
あっさりと父は言った。百合子も、やっと解放されたような笑顔をしていた。
「もう二度とここには来るな」
祖父が低い声で息子に言った。続いて早苗も睨みながら繰り返した。
「絶対に、ちいちゃんに会いに来ないで。ちいちゃんは、私たちが護るわ」
「言われなくても、こんな汚らしい場所行かないわよ」
百合子が答えた。祖父と早苗の顔がさらにきつくなった。
「百合子さん、あなた……母親失格ね」
早苗が短く言った。すると百合子は顔を赤くし、何か言い返そうと口を開けた。しかし夫に呼ばれて、結局何も言わずにそのまま歩いて行った。




