十七話
金を奪われてしまったことを、千歳はすぐに担任の教師に話した。梨紗を我が子のように可愛がっている教師だ。
「先生、青木さんが、あたしの財布を奪い取ったんです」
不安でいっぱいになりながら訴えると、教師は首を傾げた。
「青木さんが?」
「そうです。さっき、あたしの上に馬乗りになって、無理矢理鞄から財布を奪ったんです」
しかしなぜか教師は首を傾げるだけで、千歳の話をきちんと聞いてくれない。
「あの青木さんが、そんなことをするなんて……。どう見ても思えないんですけどねえ」
「本当のことなんです。青木さんは、小学校でもひどいいじめを繰り返してきたんです。青木梨紗は最低ないじめ女なんです」
必死に訴え続けるが、教師は受け入れてくれない。
「青木さんみたいな完璧な生徒が、いじめなんてするわけないと思うんですけど」
「違うんです。青木さんは優等生のフリをしてるだけで、本当はものすごく性格が悪い……」
千歳はそこまで言って口を閉じた。教師が、千歳を疑うような目で見たからだ。
「そんなことあるわけないでしょう。青木さんは素晴らしい生徒ですよ。いじめなんて絶対にしない」
少しいらついた口調だった。可愛い我が子のような梨紗を悪く言われたのだから、不愉快になるのは当然だ。
「青木さんは優しい子ですよ。そんなひどいことをするようには見えませんけどね」
何の根拠があってそう言うのだろうか。千歳はどきりとした。教師まで梨紗にだまされているというのか。
いつも梨紗は優しく穏やかな少女だ。誰も梨紗をいじめ女王だと思うわけがない。人間のクズなのに、みんな梨紗を天使のようだと思い込んでいる。本当は最低最悪の性格なのだ。それを知っているのは、同じようにいじめられた入江みなみだけだ。
「友達のことをそうやって悪く言うなんていけませんよ。金城さん」
そう言って教師は歩いていってしまった。まるで千歳のほうが性格が悪いように思われてしまった。
千歳は愕然とした。梨紗は天使だ、女神だ、素晴らしい生徒だ。みんながみんな、そう思い込んでいるから、千歳の話を聞いても信用してくれない。梨紗の犯行を認めない。梨紗に勝つことはできないのだ。もう味方になってくれる人はいないのだ。奪われた財布も取り返すことはできない。
その場に立ち尽くしていると、背中から誰かが見ている気がした。振り返らなくても、みなみだとわかっていた。だから言ったのに、と千歳を哀れに見ているのだろう。
何もできずに、仕方なく千歳は家に帰ることにした。
財布を奪われたことを、両親に言うことは絶対にできなかった。ばれたら何を言われるか。もしかしたら家から追い出されるかもしれない。それは絶対に避けなくてはいけない。
ドアを開けると母がまた貧乏ゆすりをしながらノートパソコンを見ていた。千歳は何も言わず、すぐに自分の部屋に入った。
深くため息をつき、その場に座り込んだ。そして鞄を開け、本当に財布が無くなってしまったかをもう一度見た。
ふと早苗の顔が浮かんだ。金の恐ろしさを教えた時の、厳しい表情だ。
田舎に帰りたい。早苗やたくさんの暖かな人たちに会いたい。もうこんな場所は嫌だ。例え綺麗なものやおいしいものや便利なものがあっても、やはり田舎のほうが千歳には合っているのだ。
頭が痛くなった。梨紗に押し倒された場所だ。手でさすると、小さなコブができていた。いじめをすることが快感だという梨紗を、千歳は憎んだ。悪魔は地獄に堕ちろ。何度も願った。しかし梨紗に勝つことはできない。みんな、梨紗に洗脳されているからだ。
翌日から、千歳は学校に行かないことにした。もちろん母はそれを許さなかった。どうでもいいと言っているくせに、学校のことになると口を出してくる。
「早く学校に行きなさい」
しかし千歳は首を横に振った。
「具合悪いの。休む」
「じゃあ、薬を飲めばいいでしょ。さっさと支度しなさい」
千歳は母を睨みつけた。母も同じように目を吊り上げた。
「なに睨んでるのよ。早く学校に行きなさい。遅刻したら、先生に怒られるわよ」
「いいよ。怒られても。学校のことよりも、自分の体のほうが大事だから」
すると母は金切り声を出した。
「子どもじゃないんだから、わがまま言わないで。早く学校に行きなさいよ!」
千歳は無言でベッドから出ると、制服に着替えた。母の怒鳴り声を聞くくらいなら、学校に行っていたほうがましだと思った。
学校に行っても、授業は受けなかった。具合が悪いんです、と言えば、保健室で寝かせてもらえる。ベッドに横たわりながら、白い天井を見つめていた。
ずっと仮病を使っていることはできないので、千歳は学校に行くフリをして寄り道をすることにした。通学路のコンビニで一日過ごすこともあれば、公園のベンチで眠っていたこともあった。
外で千歳が何をしているのか、母にはわからない。学校に行かなければ、梨紗に会わなくてすむ。
そんなことをしていたら、成績が落ちるのは当然だ。母は怒り狂った。
「いつも学校で何をしているの?きちんと勉強しなさい!」
だが千歳は完全に無視をし、好き勝手に日々を過ごした。




