十六話
翌朝、千歳は財布に持っているお小遣いを入れ、鞄の中にしまった。そして制服に着替え、家を出た。梨紗が風邪か何かで休んでいたら……と願っていたが、梨紗はピンピンしていた。
梨紗が金を返さないのはわかっている。梨紗は最低最悪の女だ。しかしただ金が欲しいだけではないと千歳は思っていた。梨紗が本当に欲しいものは、もっと違うものなのかもしれないと考えていた。
千歳が梨紗の教室に行くのではなく、梨紗がもらいにやってくるという形で金を渡すことになっていた。いつ梨紗がやってくるか緊張していて、授業など頭の中に入ってこなかった。こんなことでは次のテストは高得点を獲れない。
梨紗がやってきたのは放課後だった。千歳が靴を履き替えていると、名前を呼ばれた。
「千歳、お金は?」
期待で胸がいっぱいのようだ。千歳はやりきれない思いで頷いた。その千歳がとても面白かったらしく、にやにやと笑った。人間のクズがやることだ。
「待って」
梨紗の言葉を遮り、千歳はじっと梨紗を見つめた。
「梨紗に、言いたいことがあるの」
梨紗は面倒くさそうにため息をついた。それが母の姿とまるっきり同じだったことに千歳は驚いた。そうか、都会の人間はこんな顔をすることができるのか。
「何よ。言いたいことって」
不機嫌な顔をしている梨紗を見つめ、千歳は言った。
「……ちゃんと返してくれるの?」
一番大事なことだ。早苗によると一度渡してしまったら、次も、その次も金を取られてしまうらしい。そんなことをしたら最後には何も残らなくなってしまう。これは絶対に答えてもらわないといけない。
はあ、と梨紗は息を吐いた。そして目を吊り上げながら言った。
「あのさあ、友達にだったら、お金とか普通に渡すでしょ。常識だよ?」
しかし千歳は首を横に振った。
「違う。人間として間違ってる。梨紗、親しき仲にも礼儀ありって言葉、知ってる?」
そう言うと梨紗は言い返してきた。
「うるっさいなあ。都会ではそれが常識なの。千歳、年寄りばっかの田舎で暮らしてきたから、そういうことわからないんだね」
千歳も負けじと言葉を投げかけた。
「都会だとか田舎だとか、そんなこと関係ない。人間として間違ってるって言ったでしょ。梨紗はおかしい。頭がおかしいよ」
そこまで言って、千歳は梨紗を睨んだ。
「あたしのこと、透明人間扱いしてたくせに。何が友達だよ。そんなこと、全然思ってないんでしょ」
「うるさいよ!」
ついに梨紗は怒鳴り声を上げた。
千歳は黙ったまま動かなかった。
「梨紗、入江みなみって子、知ってる?」
「は?」
梨紗は首を傾げた。千歳は強い眼差しで梨紗を見た。
「知ってるよね。幼稚園からの幼なじみだもんね。たくさんいじめてやった子だもんね」
梨紗は低い声で言った。
「そんなの知らないし。っていうか、何で私がいじめてやったとか言ってんの?何か証拠ある?」
「あるよ」
千歳は強い口調で言った。
「あたしを透明人間扱いしてたことが証拠だよ。あたしがお金を貸さなかったから、透明人間扱いしたんだ」
梨紗は話を聞きながら、首を横に振った。
「何言ってんの?訳わかんない。千歳の方が頭おかしいんじゃない」
そして横を向いた梨紗に、言葉を投げつけた。
「梨紗は、ただ、人が傷ついて、苦しんでいるところを見たいだけなんでしょ」
千歳の言葉に、梨紗は首を傾げた。
「はあ?」
馬鹿にしたように言った。千歳はさらに続けた。
「梨紗は、お金が欲しいんじゃない。だって梨紗は大金持ちだもんね。お母さんが有名な女優で、お父さんは何度も賞を獲ってる映画監督。家なんかお城みたいでさ。もう何もいらないよね。お金なんて嫌ってくらい持ってるんでしょ」
梨紗は何も言わずにただ黙っていた。いらついているのが、よくわかった。
「だから、別にお金なんていらない。でも、お金を貸して欲しいって言う。それは……」
千歳は梨紗を睨みつけ、攻撃するように言った。
「ただ人をいじめたいだけ。相手が困って、苦しんでいる姿を見たいだけ。そして嘲笑いたいだけ。最低だね。人をいじめて楽しんでるなんて。人間失格だよね」
梨紗の体がわなわな震えているのがわかった。怒りの炎が爆発する直前だ。しかし千歳の口は止まらない。
「小学生の時は嫌がらせ、中学生ではお金を騙し取り、高校生になったら……恋人を横取りするのかな。そうやって何度も嫌なことしてたら、最後には誰も信用してくれなくて独りきりになるからね。後悔してももう遅いよ。自分が悪いんだからね」
梨紗の顔が赤くなっていく。体がぶるぶると震え、目が血走っている。
「黙れよ!さっさと金渡せっつってんの!」
まるで獣の咆哮のようだった。中学生の少女が出せる声ではなかった。
「田舎育ちのくせに、金持ってるとか生意気なんだよ!」
千歳は驚いて体が固まった。今目の前にいるのは悪魔だと思った。
梨紗に思い切り胸を押され、千歳は後ろに倒れた。床に強く頭を打ちつけ、千歳は呻り声を出した。さらに梨紗は千歳の体に馬乗りになり、無理矢理鞄を引き剥がした。
「返して!」
千歳は叫んだ。しかしすでに梨紗は鞄から財布を取り出していた。
「大人しく渡さねえからだよ」
にやりと笑い、梨紗はそのまま教室から逃げ出した。勝ち誇ったような笑い声が響いた。
千歳は起き上がり、梨紗の高笑いを聞いた。頭がぼんやりし、今何が起きたのかよくわからなかった。ただ呆然とその場に座り込んでいただけだ。




