十一話
みなみの言葉が、いつまで経っても頭から離れなかった。梨紗はいじめ女王、最低最悪のいじめ女……。友達がいない子に近付いて、突然裏切る。千歳にはどうしても考えられないことだった。梨紗たちがいなくてもみなみの言葉は頭の角に引っかかったままだ。
「どうしたの?千歳。考えごと?」
梨紗が不思議そうに聞いてきた。なぜか梨紗の顔が薄暗く見えた。
「ううん。何でもない」
千歳は梨紗の顔から目を逸らし、首を横に振った。みなみの言葉を振り切るためだ。
「なによお。嘘はつかないって約束したじゃない」
そう言いながら梨紗は千歳の隣に立った。そして何かに気が付いたように目を大きくさせた。
「そうだ。この前言っていたストーカー、どうなったの?」
「えっ」
千歳の緊張がさらに増していく。同時にみなみの怯えきった顔が浮かんだ。
千歳は動揺を出来る限り隠しながら、ぎこちなく笑った。
「ああ、もういなくなったよ。本当、迷惑だった」
そう言うと梨紗は顔を覗き込むように見つめ、もう一度聞いてきた。
「ストーカーの相手、わかったの?」
「……ううん……」
千歳は嘘をついた。みなみの名前を出してしまったら、何かまずいことが起きそうだと思った。
「別に、もう終わったことなんだから気にしてないよ」
そう言って千歳が笑うと、梨紗はさらに顔を近づけてきた。
「じゃあ、この前一緒に話をしていた女の子は誰?」
緊張した。みなみと話しているところを梨紗は知っているのだ。
「さあ……。何かよくわからない子で……」
「名前は?」
千歳の言葉を遮り、梨紗は興味津々といった様子で目を向けてくる。
「千歳、あの子の名前は?」
千歳は冷や汗を流した。いったいどうしたのか。だんだん怖くなってきた。
何も言えずそのまま黙っていると、運好く授業のチャイムが鳴った。
「もう休み時間終わりかあ。15分しかないなんて全然休めないじゃない」
独りで愚痴をこぼしながら、梨紗は自分の教室に戻った。
「危なかった……」
思わず声が出た。もしチャイムが鳴らなかったら、どうなってしまっただろうと思った。
また梨紗に話しかけられるのが怖くて、その日はできるだけ梨紗たちと一緒にいないように気をつけた。
学校で授業をしている時も、梨紗のことを考えていた。どうしても梨紗がいじめをするとは思えない。しかしみなみは自分がされたことを細かく話していた。小学校四年生から突然無視をされ、その理由は「馬鹿な奴は私たちにはいらない」。嫌がらせをされ、自分がやってしまったことをみなみになすりつけ、0点のテストを黒板に貼ってばらした……。作り話にはあまり聞こえない。みなみが言っていたことは本当なのか。
謎は深まるばかりだ。学校にいても家にいても、千歳は迷っていた。
そのせいで千歳の成績が落ちていった。今まではほとんどのテストで100点を獲っていたが、最近はあまり獲れなくなっていた。
もちろん母は激怒した。ある夜千歳が眠っていると、突然大きな音をたててドアが開いた。驚いて千歳は飛び起き、音のした方を見た。視線の先には目を吊り上げ、睨みつけている母が立っていた。
千歳が声を出す前に母は怒鳴った。
「ちょっとこれ、どういうことなの!?」
金切り声が部屋中に響き、千歳は不快でたまらなかった。
「これ、どういうことなの?どうして100点じゃないの?」
母は手に持っていたものを千歳の顔の前に突きつけた。それは今日返ってきた数学のテストだった。 千歳は驚いた。どうしてこのテストを母が持っているのか。まだテストの用紙を母に見せていないのだ。
「……あたしの鞄の中、勝手に見たの……?」
千歳も母を睨んだ。怒りで全身が熱くなっていった。
「何で勝手に鞄の中見るのよ!あたしの鞄なんだよ!勝手に見ないでよ!」
怒鳴ると、母は見下すような目つきをした。
「何言ってるの?私は母親なのよ。子どもの鞄を見たって何も悪くないでしょ」
千歳はベッドから出て、母の持っているテストを奪った。
「親だからって何でも見てもいいってわけじゃないでしょ!非常識にも程がある。自分がされたら嫌なことは、絶対に他人にはやるなって言葉、聞いたことある!?」
これは早苗によく言われたことだった。自分がされて嫌だと思うことは、絶対に他人にしてはいけない。例えそれが家族であってもだ。
「訳わかんないわ」
馬鹿にするようにため息をつき、また目を吊り上げた。
「そんなことより、このテストの点数はなんなの?75点って。どうして100点じゃないの?」
このテストはいつもよりかなり難問で、100点を獲る生徒は一人もいなかった。どんなに頑張っても70点が限界のテストだ。それを千歳は75点という点数で獲ったのだ。
「このテストはいつもよりすごく難しいんだよ。100点を獲った人は一人もいなかった」
そう言うと母は独り言のように言った。
「最近帰りが遅いと思っていたら遊んでたのね。だから成績が落ちたんだわ」
「違う!」
「もうやめろ!百合子!」
突然父の怒声が聞こえた。母の後ろで、父が鬼のような顔をしていた。
「今何時だと思ってるんだ!真夜中だぞ!他の家に聞こえたら苦情がくるだろ!」
夫の言葉に母は俯いた。千歳は何とも思っていなかった。赤の他人だと思っているからだ。何も言えない母を見て、「ざまあみろ」と笑っていた。
それに父が母を止めたのは、千歳を庇うためではなく隣近所に迷惑をかけたくないという理由で止めたのだ。やはり父も娘のことなど何とも思っていないのだ。
翌朝、母は、近所の人々からの苦情を聞き、頭を下げて謝っていた。それを見て、また「ざまあみろ」と笑った。




