第3章:最初の咆哮
五日に及ぶ嘔吐と下痢は、二人の生命力を根こそぎ奪い去った。
男の頬はこけ、眼窩は深く落ち窪んでいる。もはや立ち上がる力もなく、路地裏のコンクリートに横たわったまま、男の呼吸は浅く、湿った音を立てていた。
「……腹、減ったな……」
男が漏らしたその掠れ声は、もはや死者の告白に近かった。
一週間、何も食べていない。男は自分の身体が内側から枯れ、骨が軋む音を聞いていた。傍らでボロ布に包まれた少年は、目蓋のない瞳を虚空に向け、男の消え入りそうな心音を、ただじっと聞き届けていた。
少年は知っていた。このままでは、この世界で唯一自分を抱きしめてくれた音が、永遠に止まってしまうことを。
少年は、這いずった。
手足のない身体を芋虫のようにくねらせ、男の腕から抜け出し、人通りのある大通りへと続く路地の出口まで。冷たいアスファルトが、少年の剥き出しの皮膚を削り、赤い線が地面に引かれる。
路地の外は、光と喧騒に満ちていた。
着飾った人々、笑い声、高級な車のエンジン音。その誰一人として、足元に転がる「血まみれの肉塊」に目を向けようとはしない。
少年は、喉の奥に熱い塊がせり上がってくるのを感じた。
それは空腹による痛みではなく、男を死なせたくないという、初めての強烈な「欲」だった。
少年は、口を開いた。
「――――――――――――ッ!!」
その瞬間、街からすべての音が消えた。
いや、消えたのではない。少年の放った「一音」が、周囲のあらゆる雑音を塗り潰し、支配したのだ。
それは人間の耳が捉えられる範疇を遥かに超えていた。
地響きのような重低音がコンクリートを震わせ、聴衆の心臓を物理的に掴み、強制的にその拍動を歪ませる。同時に、突き抜けるような高音が、冬の乾燥した空気をガラスのように粉砕し、人々の鼓動を停止させるほどの衝撃を与えた。
「な、なんだ……!? 今の音は!」
「子供……? あの子が鳴らしたのか?」
立ち止まった人々が、恐怖に顔を引き攣らせて少年を囲む。
少年の喉は、一音ごとに内側から焼き切られていた。12オクターブ。神の領域に等しいその音域を制御するには、彼の身体はあまりに脆すぎた。喉の奥からせり上がった鮮血が、唇を伝って地面に滴り落ちる。
だが、歌は止まらない。
少年が声を絞り出すたび、人々は言葉を失い、吸い寄せられるように財布を開いた。それは感動ですらなく、圧倒的な力への「供物」だった。
ジャラジャラと、路地の入り口に小銭が降り注ぐ。
千円札が風に舞い、少年の血まみれの身体に張り付いた。
歌い終えた少年は、そのままガクガクと震え、血を吐きながら倒れ伏した。
視界のない暗闇の中で、少年は聞いた。
小銭がコンクリートを叩く、高く、乾いた「救いの音」を。
そして、遠くで男が、驚愕と共に自分の名を呼ぼうとする、震える声を。
少年は血の混じった唾を飲み込み、わずかに口角を上げた。
これが自分の武器だ。命を削り、血を流し、世界から「生」を奪い取るための、唯一の力なのだ。
第3章では、少年の異能が初めて披露されました。
第4章は「悪意の雨」です。
金を手に入れたことで、二人はさらなる悲劇に巻き込まれます。人々の嫉妬、そして男を襲う暴力と「壊死」の始まり。




