第6話 禁書使いカイン
廃屋で迎えた三日目の朝。
リュミエルは、相変わらず眠ったままだった。
「……夢、長すぎだろ」
タイシは、ため息混じりに呟く。
魔力を探っても反応はない。呼吸は安定している。ただ――起きる気配がない。
町に戻れない。
治療も頼めない。
残された選択肢は、ほとんどなかった。
「禁書使い……」
噂話を思い出す。
町の外れ、いや、町の外の外に住む存在。
正規の魔法体系を無視し、夢・呪い・精神干渉を扱う異端。
「まともじゃない、って話だったな」
だが今の自分に、まともな道は残っていない。
*
荒れ地を越え、岩場を抜けた先。
小さな祠のような建物の前で、タイシは足を止めた。
――生臭い。
潮の匂い。
川は近くにないはずなのに。
「……ここか?」
戸を叩こうとした瞬間、内側から声がした。
「勝手に開けていいお。ノックは意味ないお」
「え?」
言われるまま戸を開ける。
次の瞬間――
タイシの思考が、完全に停止した。
「……マグロ?」
そこにいたのは、顔が完全にマグロの男だった。
人型の体。ローブ姿。
だが首から上は、どう見ても新鮮そうなマグロ。
「失礼だお。ボクは魚人族、カインだお」
マグロが喋った。
しかも、語尾が「だお」。
「……禁書使い?」
「そだお。禁じられた本しか読まない、健康に悪い職業だお」
タイシは、無言でリュミエルを背負い直した。
逃げるかどうか、真剣に悩む。
「帰らないでほしいお」
カインは、じっとこちらを見た。
「その子、夢に囚われてるお。
しかも相手は……最強の悪魔クラスだお」
「……分かるのか?」
「匂いで分かるお。
夢と後悔は、似た匂いがするお」
マグロのくせに、やけに核心を突く。
「助けられるのか?」
カインは少し黙り、それから答えた。
「正確には、起こす方法を教えられるだお。
でも、代償はあるお」
「代償……」
「夢に入る側が、削られるお」
タイシの胸が、きしんだ。
「言葉、感情、記憶。
どれか、あるいは複数だお」
「……それでも」
即答だった。
「やる」
カインは、目を細めた。
――マグロなのに、ちゃんと表情がある。
「即答は嫌いじゃないお」
彼は棚から一冊の本を引き抜いた。
表紙には、読めない文字。
「これは禁書《逆夢写本》だお」
「ぎゃくむ……?」
「夢の中に入るための本だお。
ただし、読者は自分の弱さから逃げられないお」
カインは、タイシをまっすぐ見た。
「シニガミは、君に興味を持ってるお。
次は、もっと深く来るお」
「……ああ」
分かっている。
負けたままでは、終わらない。
「教えてくれ。全部」
カインは、満足そうに頷いた。
「じゃあ、弟子入りみたいなもんだお」
「弟子?」
「一時的に、だお。
君は禁書を読む資格があるお」
「理由は?」
「逃げ癖があるのに、戻ってくるからだお」
その言葉に、タイシは苦笑した。
「褒めてるのか、それ」
「最高級の評価だお」
カインは本を差し出す。
「覚悟して読むといいお。
夢の中では、語尾に“だお”は付かないから安心してほしいお」
「そこ、心配してねえよ」
リュミエルの寝顔を見下ろし、タイシは本を受け取った。
「……必ず、連れ戻す」
銀の森の気配が、遠くで脈打つ。
禁書使いと追放者。
眠り姫を巡る戦いは、新しい段階へ踏み込んだ。




