第5話 眠り姫を連れて
銀の森は、もう語りかけてこなかった。
ざわめきも、囁きもない。ただ、重い沈黙だけが続いている。
「……行こう」
タイシは、眠ったままのリュミエルを背負った。
彼女は驚くほど軽い。まるで、最初から“夢の側”の存在だったみたいに。
一歩進むたび、足元の銀が鈍く軋む。
森が、彼らを拒んでいるのが分かった。
――もう、用はない。
言葉にならない圧が、背中を押す。
それは命令ではなく、追放だった。
「……分かってる」
タイシは低く呟く。
「でも、置いていかない」
返事はない。
森は、沈黙を貫いた。
出口に近づくにつれ、景色が歪む。
道だったはずの場所が行き止まりに変わり、記憶のない風景が割り込んでくる。
――夢は、ここに置いていけ。
頭の奥で、シニガミの声が響いた。
「黙れ……」
歯を食いしばる。
リュミエルの手が、かすかに温かい。それだけが、現実だった。
最後の一歩を踏み出した瞬間――
視界が白く弾けた。
*
冷たい石の感触で、タイシは現実に引き戻された。
「……外?」
見上げると、見慣れた曇り空。
銀の森の入口が、数歩先にある。
そして――人だかり。
「出てきたぞ!」
「おい、あいつだろ、噂の……」
ざわつく声。
町の冒険者たちと、衛兵たちがこちらを見ていた。
「……その子は?」
衛兵の一人が、警戒した声で問う。
「眠ってるだけだ」
「森の“呪い”か?」
「違う!」
思わず声を荒げ、タイシは言葉を詰まらせた。
「……違う」
繰り返す。今度は、静かに。
「俺が、負けた」
空気が、凍った。
「負けたって……シニガミに?」
「ああ」
誰かが舌打ちし、別の誰かが目を逸らす。
「だから言ったんだ」
「森に関わるなって」
衛兵長が一歩前に出る。
「その娘を町に入れるわけにはいかない。
銀の森の影響を受けた可能性がある」
「……そんな」
「決まりだ」
淡々とした宣告。
「お前もだ、タイシ・クレスト。
森の深部に干渉した以上、しばらく町への立ち入りは禁止する」
「追放、か」
思ったより、言葉は軽く出た。
怒りよりも、虚しさが勝っていた。
「せめて、この子を診てくれる人を……」
「無理だ」
衛兵長は首を振る。
「夢から覚めない者は、治せない」
タイシは、唇を噛んだ。
「……分かった」
背中のリュミエルを、抱え直す。
「俺が、なんとかする」
誰も、止めなかった。
*
町外れの廃屋に、タイシは身を落ち着けた。
埃っぽい部屋。割れた窓。
それでも、雨風は凌げる。
リュミエルを寝かせ、隣に座る。
「……なあ」
独り言のように、話しかける。
「俺、負けたよ」
返事はない。
「でもさ……」
彼女の手を、そっと握る。
「言葉を、全部奪われたわけじゃない」
胸の奥に、かすかな痛みが走る。
それは、魔力とは違う――代償の前触れ。
「お前が戻るまで、
俺は逃げない」
誓いは、誰にも届かない。
それでも、タイシは言い切った。
廃屋の外で、銀の森が低く唸る。
――契約は、まだ続いている。
眠り姫を連れた追放者の夜が、
静かに、始まった。




