第4話 決戦
銀の森の最奥は、静かすぎた。
風もなく、霧も動かない。ただ、空間そのものが呼吸しているようだった。
「……ここが、中心?」
タイシの声が、ひどく小さく響く。
「ええ」
リュミエルは答えたが、その表情は硬い。
足元の地面は鏡のように銀色に磨かれ、空さえ映し返している。
――踏み込んだ瞬間だった。
世界が、反転した。
上下の感覚が失われ、視界が裏返る。
頭の奥に、圧倒的な存在感が叩きつけられた。
――ようやく、来たか。
声は、森全体から響いた。
いや、違う。自分の内側からだ。
銀の霧が集まり、ゆっくりと形を成す。
角を持たない、だが確かに“悪魔”と分かる輪郭。
「……本体、かよ」
短杖を構える。
心臓がうるさいほど鳴っている。
――安心しろ。
――今度は、奪わない。
「……は?」
シニガミが、嗤った。
――与えてやる。
――“逃げなくていい理由”を。
次の瞬間、視界が弾けた。
町。
酒場。
聞き慣れた笑い声。
「タイシ! お前、やっぱ才能あるじゃん!」
誰かが言う。
肩を叩かれる。認められる。期待される。
胸が、温かくなる。
「……やめろ」
――悪くないだろう?
成功する未来。
失敗しない自分。
逃げる必要のない人生。
――言葉を刻まなくていい。
――戦わなくていい。
――ここにいれば、傷つかない。
「違う……」
分かっている。
これは幻だ。甘すぎる。
それでも――
足が、動かなかった。
「タイシ!」
リュミエルの声が聞こえた。
「聞かないで!
それは“あなたが欲しかった言葉”よ!」
「……分かってる……!」
短杖を握る。
詠唱しようとする。
だが、リズムが崩れる。
――ほら。
――言葉は、結局お前を裏切る。
「くっ……!」
魔力が暴走した。
音が歪み、言葉が途中で砕ける。
「《ラップ・マジック――》」
詠唱は、最後まで届かなかった。
シニガミが、静かに手を伸ばす。
――未完成だ。
――覚悟も、言葉も。
圧倒的な重圧。
体が地面に叩きつけられる。
「ぐ……あ……!」
意識が、沈む。
その時――
リュミエルが、一歩前に出た。
「やめて」
彼女の声は、震えていた。
「彼を、これ以上、壊さないで」
悪魔が、彼女を見る。
――森の夢。
――お前は、私の“願い”だ。
「……そう」
リュミエルは、微笑んだ。
「なら、代わりに私を」
銀の光が、彼女を包む。
「リュミエル!!」
タイシが叫ぶ。
だが、体が動かない。
「タイシ」
彼女は、最後にこちらを見た。
「あなたの言葉は……
ちゃんと、届いたわ」
次の瞬間、彼女の体が霧に溶けた。
――契約成立。
シニガミの声が、低く響く。
――彼女は、夢を見る。
――終わらない、優しい夢を。
世界が、元に戻った。
銀の森。
倒れ伏すタイシ。
そして――地面に横たわる、眠る少女。
「……リュミエル?」
駆け寄り、肩を揺らす。
「起きろ……なあ……」
反応はない。
呼吸はある。ただ、目を覚まさない。
シニガミの気配は、すでに消えていた。
「……負けた、のか」
声が、震えた。
言葉を刻んだ。
逃げずに向き合った。
それでも――
守れなかった。
タイシは、拳を握りしめる。
「……まだだ」
眠るリュミエルを抱き寄せ、呟く。
「言葉が足りないなら、
何度でも刻む」
銀の森が、静かに応えた。
敗北は、物語の終わりじゃない。
それは――本当の戦いの、始まりだった。




