第3話 シニガミは囁く
森の奥へ進むほど、音が減っていった。
風の音も、枝の擦れる気配もない。ただ、頭の内側だけが騒がしい。
「……なあ、リュミエル」
タイシは歩きながら言った。
「ここ、こんなに静かだったか?」
「ええ。ヤツの領域に近づいている証拠よ」
彼女の声は落ち着いている。
だが、その足取りはわずかに硬かった。
次の瞬間――
視界が、歪んだ。
銀の森が溶ける。
代わりに現れたのは、見覚えのある風景だった。
「……え?」
そこは、町の訓練場。
剣を振る少年たち。魔法を詠唱する同年代の冒険者。
そして、その端で――
何度失敗しても、立ち尽くす自分。
――やっぱり、向いてないな。
誰かの声がした。
いや、自分自身の声だ。
「これは……幻覚?」
「違うわ」
リュミエルの声が、遠くから聞こえる。
「あいつは人間の記憶を使う。
あなたが一番、聞きたくない言葉をね」
風景の中の「過去のタイシ」が、こちらを見た。
情けない顔で、笑っている。
――結局、逃げたんだろ?
――努力って言葉、似合わなかったよな。
「黙れ……」
拳を握る。
だが、魔力が反応しない。短杖も、ただの棒のように重い。
言葉が、出てこない。
「ねえ、タイシ」
声が変わった。
低く、甘く、耳元に直接触れる。
――楽になろう。
――言わなきゃ、傷つかない。
――黙っていれば、期待もされない。
銀の霧が集まり、形を成す。
それは人の影に近かった。角のない、顔のない存在。
シニガミ。
「これが……本体か」
喉が、ひりつく。
シニガミは攻撃してこない。ただ、囁くだけだ。
――君は、言葉で戦うと言ったね。
――でも、言葉が一番、君を傷つけてきた。
「……そうだよ」
思わず、答えていた。
「言った瞬間に、否定される。
期待されて、応えられなくて、
それで……」
視界が、また変わる。
失敗。嘲笑。諦めた背中。
声が重なる。
――だから、ここに来た。
――逃げた言葉を、捨てに来た。
足が、前に出なくなる。
心が、沈んでいく。
「タイシ!」
リュミエルの叫び声が、現実を引き戻した。
「答えないで!
それは、あなたの声じゃない!」
「でも……!」
タイシは歯を食いしばる。
「全部、俺の中から出てきた言葉だ!」
シニガミが、満足そうに震えた。
――そう。
――だから、美味しい。
銀の影が、タイシに絡みつく。
胸の奥から、何かを引き抜かれる感覚。
「……っ、やめろ……!」
その瞬間――
リュミエルが、彼の手を掴んだ。
「聞いて」
彼女の声は、小さい。だが、確かだった。
「言葉は、傷つけるためだけのものじゃない」
彼女の瞳が、揺れる。
「私は、この森で生まれた。
でも……あなたの言葉は、さっき、私を“繋ぎ止めた”」
「……え?」
「獣を倒した時。
あなたの声が、私を森から引き離した」
シニガミが、初めて不快そうに歪んだ。
――嘘だ。
――言葉は、裏切る。
「違う!」
タイシは、叫んだ。
震えながら、息を刻む。
怖い。逃げたい。
それでも――
「裏切られてもいい!
否定されてもいい!
それでも、言葉を使うって決めた!」
リズムが戻る。
鼓動と、声が重なっていく。
「――俺は、逃げた過去も、
情けない自分も、
全部まとめて、ここに立ってる!」
短杖が、強く光った。
「《ラップ・マジック:リメンバー・ライン》!」
音が、波となって広がる。
銀の霧が弾かれ、幻覚が砕け散った。
シニガミの影が、後退する。
――……面白い。
その声には、確かな興味が混じっていた。
――君の言葉、
――最後まで、聞いてやろう。
霧が晴れ、森が戻る。
タイシは、その場に膝をついた。
「……はあ、はあ……」
リュミエルが、そっと手を離す。
「今のは……序章よ」
「ああ……分かってる」
息を整えながら、タイシは苦笑した。
「本体と、ちゃんと殴り合うのは……
もっと、奥だな」
銀の森が、低く唸った。
それは警告であり、招待でもあった。




