幕間 夢を見る
パルフェットが八歳を迎えた頃の話である。
「剣を振るには筋肉が大事ぃ……!! よって筋トレするべしぃ……!!」
「道理だな。しかしやりすぎも体に良くないから、ほどほどにしておけよ」
「なんのこれしきぃ!!」
丘の教会から少し離れた森の中の山小屋の前。森の中にぽっかりとできたちょっとした広場の真ん中で、筋トレに励んでいるのはアネッサとパルフェットの二人であった。
「疲れたぁああああ!!」
腕立て伏せ100回目にして地面に倒れるアネッサ。その顔には100回もの腕立て伏せをやり切った達成感と、まだ100回しかできないのかという後悔の二つが重なったような、絶妙な感情が浮かべられている。
その横では、切り株に腰を掛けたパルフェットが、手ごろな大きさの木の枝をナイフで削り、素振りに使える木の棒を作っている最中だ。
「パフィ! お水どこ!?」
「ここにあるぞ。投げようか?」
「いや、流石に自分で取り行くよ」
へとへとの汗まみれといった様子のアネッサは、ふらりと立ち上がり、パルフェットが座る切り株の上に置いてあった水筒を取り、腰に手を当て一気に飲み干した!
「ふふふ……日々強くなっている感じがする……!」
きりりと自信満々にアネッサはそう語る。
トレーニングハイとでも言おうか、二年かけてようやく連続腕立て伏せ100回の大台を超えたアネッサである。故にその顔には自信と向上心が満ち溢れていた。
頬を撫でる風や森のフィルター越しに見える太陽も心地よく、彼女の努力を称えてくれているような気分だ。
「さあ次は剣術練習だ!」
「木剣の調整は――まあこんなところだろうな」
休憩もほどほどに、意気揚々と剣術練習に移るアネッサ。その横では、木剣のつもりで木の棒を削っていたパルフェットだけれども、その手に握られているのはどう見ても棒以上の何物でもない、少なくとも剣ではない物体だ。
ただ、剣のように振れるのなら、子供の遊びには十分だろうとパルフェットは考える。そも、剣に見立てて作ってしまえば、シスターコナにばれた時が怖い。だから敢えて、彼女は剣から離れた棒を作っていた。
「さあ、やるか」
そうしてパルフェットも切り株から立ち上がって、ブンと棒を振った。
「なにをやるんだ二人とも?」
と、そこで森の中から声が。
「げっ!?」
さて、剣術練習のことを秘密にしているアネッサである。理由はもちろん、シスターコナに怒られたくないから。
もちろん、シスターコナだって彼女の一挙手一投足に怒りを覚えるなんてことはないけれど、剣を持って魔物と戦う練習をするだなんて危ないこと、あのシスターコナが許してくれるとは思えない。
なので教会から離れた山小屋の前でやっているし、知り合いにばれれば動揺する。
「あら、本当に居ましたね。アネッサ、パルフェット。二人とも、こんなところで何をしているのですか?」
「シスターローズ!?」
しかも自分たちを見つけたのがシスターローズなら、なお動揺する。
自分と同じ子供なら、言いくるめるなりでなんとか秘密を保てるかと持ったけれど、相手が大人なら話は別。
「す、すいませんでしたぁ!!」
「えぇ!? い、いったいどういうことですか!?」
森の中から現れたのは、シスターローズともう一人。
「とりあえず顔をあげろよアネッサ。何でも勢いで行動するところは、お前の悪いところだぞ」
シスターローズの後ろから現れたのは、短く剃り上げた髪型が特徴的な男の子アベルだ。彼とシスターローズの背中には薪や麻袋が背負われていて、町の方に買い出しに行った帰りであることが伺えた。
大方、山小屋の方から騒いでいる声が聞こえたから、様子を見に来たと言ったところだろう。
「どうか……どうかここはひとつ、シスターコナには言いつけないでくださいお願いします!」
「ま、まずは何をしていたのか説明してくださいぃ!」
アベルに指摘された通り、この状況を勢いで押し切ろうとするアネッサである。しかもシスターローズもあたふたとしているものだから、このまま押し切れそうな感じである。
とはいえ、シスターローズだけならまだしも、アベルが居ると少々旗色が悪い。何しろアベルは、アネッサの一つ上、つまりパルフェットの三つも上の11歳ながら、落ち着いた物腰と冷静な判断力を持った男の子なのだ。
故に、シスターローズがいくら慌てて判断を間違えそうになったところで、
「落ち着いてくださいシスターローズ。それで、なにしてたんだよ二人とも」
とまあ、シスターローズの代わりに事情を聞いてくるものだから、アネッサも観念して、渋々自分たちがやっていたことを話した。
「け、剣の練習ですか!? 危ないことしちゃいけませんよ二人とも!」
「そう言われるから言いたくなかったのー!!」
まあ、当然の如く予想通りの反応が返ってきた。
とりあえず、すぐにシスターコナに報告されないように、シスターローズの腕を引っ張るアネッサ。そんなアネッサに憐みの目を向けるアベルであるけれど、ふとこんなことを訊ねる。
「しかしどうして剣の練習なんかを?」
「そりゃ……冒険者になりたいから」
アベルの言葉に、照れくさそうに答えるアネッサ。それからアベルに視線を送られて、様子を伺っていたパルフェットも答える。
「楽しそうだからな。体を動かすのはいいことだぜ」
「相変わらず、パルフェットは何を考えてるかわからないな……」
にやりと答えたパルフェット。
その底知れなさは、子供たちの中では異質に光る。
とはいえいつもの流れなら、アネッサ主導の行動であることは明白なのだ。とりあえず、アベルはシスターローズに意見を仰ぐ。
「どう思います、シスターローズ?」
「え、えっと……」
あたふたとするシスターローズ。
彼女はかなり若いシスターだ。経験が少なく、そもそも彼女の特性として、こうした事態にあたふたと取り乱してしまう癖があるらしく、大人としてはちょっと頼りない。
ただ、一度大きく深呼吸をした後、どうにか落ち着きを取り戻した彼女は、まっすぐとアネッサの目を見て訊ねた。
「そもそもどうして冒険者に?」
子供に危ないことをしてほしくない。
けれど同時に、子供がなりたいと言った未来を頭ごなしにも否定したくなかったシスターローズは、だからそうしてアネッサへとその真意を訊ねたのだ。
「誰でもなれるから。私、別に頭がいいわけでもないし、なるのにお金が必要ってわけじゃないし」
「冒険者は確かに、誰でもなれる仕事ですが……魔物を相手にする以上、必ず死のリスクが付きまとう危険な仕事です。貴方ならば、そのような危険な道でなくとも、様々な道を選べることでしょう。たとえ孤児院のお金を気にしているとしても、同じことです」
「……」
何かを誤魔化すように喋るアネッサ。しかしシスターローズの純粋な正論に、彼女は閉口してしまう。
冒険者は危険。確かにそうだ。
魔物を狩る専門家とは言うが、魔物は獣よりも危険な怪物。
無論、報酬はそれなりだけれど、一歩間違えれば死んでしまう可能性すらある。
それに、孤児院の貧しさを解消したいというのなら、冒険者でなくてもいい。手先が器用ならモノづくりに従事すればいいし、愛想がいいなら接待業も悪くないだろう。
街に行けばいくらでも仕事がある。
その中でも、どうして冒険者を?
「…………シスターコナみたいになりたい」
そうして問い詰められた結果、最後の最後に観念したように、アネッサはそう呟いたのだった。
「シスターコナみたいに?」
「なりたい?」
パルフェットとアベルが顔を見合わせる。
シスターコナといえば、孤児院のまとめ役兼、みんなの母親みたいな存在だ。厳しくも優しいシスター。そんな彼女に憧れるのはわかるけれど、それがどうして冒険者に繋がるのか。
子供二人が抱いた疑問には、アネッサの代わりにシスターローズが答えた。
「シスターコナは、昔冒険者として活動していたのですよ」
「へぇ、そうなのか」
「あまりその時のことは話してくれませんけどね」
そこで一度、コホンとシスターローズが咳ばらいをしたところで、独白するようにアネッサが話し出す。
「昔ね。昔。嵐の日に、眠れなくて。その時、書斎の方にろうそくの灯が見えたんだ。行ってみたら、シスターコナが写本をしてて。だから眠れないって言ったら、その時の話をしてくれたの」
アネッサは語る。
シスターコナが話してくれた、冒険者の話を。
空に浮かぶ海の話を。
大地を覆いつくす火の話を。
深淵に続く地の話を。
草原を揺らす風の話を。
シスターコナが歩いてきた道の話を。
「すごいと思った。私もそうなりたいと思った。シスターコナみたいな人になりたいって」
例えその道が凄惨だろうと、危険だろうと、アネッサには宝石よりも輝いて見えたのだ。
「気持ちはわかる、アネッサ」
「アベル……」
と、そこで不意にアベルがアネッサの言葉に同意する。
「俺はその、シスターコナが冒険者だったってのは知らなかってけど……それでも、今の話だけで少しわくわくした」
教会のある丘。
そこでは決して見ることのできないだろう、摩訶不思議な土地の話。それはとても、心躍るものだ。
「それに男なら、強くありたいよな!」
「私、女の子! 女の子だよ!?」
「前言撤回、強くありたいことに性別など関係あるかァ!!」
とまあ、途中で独自の理論を展開するアベルだけれど、結局はアベルも、アネッサと同じことを思った。
「シスターコナ、かっこいいよな。俺もあんなかっこいい大人に慣れたらって、思うよ」
身近にいるかっこいい大人。
憧れるには、十分な理由だろう。
「じゃ、じゃあアベルも冒険者になろうよ!」
「あ、俺は別に冒険者になりたいわけじゃないから遠慮するわ」
「ズコー!!」
さて、アベルの勧誘には失敗したけれど、彼の同意は、意外にもシスターローズの心を動かしたらしく。
「わかりました。ここで剣術練習をしているのは、シスターコナに秘密にしてあげますよ」
「え、ほんと!? シスターローズ大好き!」
「ただし! 必ず私が見てますからね! 子供だけで剣術練習だなんて、危険なことはさせられません。それと、12歳になるまでには、冒険者以外の未来のことも考えるように!」
「はーい」
この国の12歳には特別な意味がある。
その年齢を境に、子供は大人になるための一歩を踏み出すのだ。
12歳の豊穣祭を機に、子供に様々なことが任せられるようになる。
それは仕事であり、役割であり、大人としての在り方を求められるようになる。
そこで様々なことを学び、多くの人と触れ合うことで、子供は大人になるとされているのだ。
だから12歳は特別な年齢であり、そして旅立ちの時でもある。
多くの子供が12歳を機に旅立っていった。
無論、12歳だから旅立たないといけないというわけではないけれど。
「私はかっこいい冒険者になるぞ!」
この世界の子供は、早熟だ。
◆
燃える。
教会が燃えている。
燃える。
森が燃えている。
燃える。
世界が燃えている。
「な、なにが……」
運命の日。
アベルが森の中で、アネッサたちの剣術練習を見つけたあの日から二年後。教会に魔王の軍勢が攻めてきたその日のこと。
13歳。
12歳の旅立ちを先延ばしにし、町での職探しをしている最中であったアベルは、まだ教会に残っていた。
やりたいことがあった。そのためにはたくさんの勉強が必要だった。だから少しだけ、他の子供たちよりも旅立ちが遅れてしまった。
後悔はない。
自分の人生だ。
やりたいようにやる。
「ドーランド! 無事!?」
「あ、アベル……何が起こってるんだ……森が燃えてる……!」
家族を守るのは年長者の役目だ。
シスターコナもシスターローズも、この事態なら子供たちを保護するために走るだろう。
だからアベルも、異常事態を知ってすぐ、隣の部屋のドーランドの安否を確かめに走った。
「わからない! だがよくないことが起きている……とりあえず、シスターローズと合流しよう! 大人なら、きっとなんとかしてくれるはずだ!」
「わ、わかった!」
アベルの言葉を聞いて、ドーランドが立ち上がる。
それから部屋を出て、孤児院の廊下を走った。
「おい、大丈夫か!」
「も、森が……燃え……」
「いいから立ち上がれ! 何かあってもシスターコナが何とかしてくれるはずだから!」
「わ、わかった……」
「そっちも、とりあえず一階のシスターローズの部屋に!」
アベルの部屋は孤児院の二階にあった。だからとにかく二階を走り、子供たちを片っ端から起こしながら、頼れる大人の庇護下へと走らせる。
しかし――
「たすけて!」
その声は、ある部屋から聞こえてきた。
急いで声の聞こえてきた部屋の扉をアベルが蹴破ると、そこには子供と――見たこともない異形の怪物がいた。
「ま、魔物――」
「魔物ぉ? そんなのと間違えるなよ俺を……人間だぜぇ、人間。お前とおんなじ、人間だ」
魚と蝙蝠を組み合わせたような異形の怪物。辛うじて人のような姿をしていること以外、人間らしい要素が見当たらないそれが、子供を魚のひれのような手で拘束していた。
おそらくは窓から侵入したのだろう。異形の背後で破壊された窓が、外の景色を映している。遠くに見える燃え盛る森のせいで、その異形がまるで地獄からやってきた悪鬼悪魔にも見えてしまった。
異形は語る。
「お前たちの国は、魔王様の手によって落ちたんだ。だから、教会はすべて破壊することになった」
同時に、異形がひれに力を籠め始めた。
「た、助け……苦し……」
ひれは子供の体を覆うほどの大きさがあり、力を籠めるほどにみしみしと嫌な音が部屋に響く。
それをアベルは見ていた。
頬に汗が伝う。
恐ろしい。
人間にも見えない怪物が立っている。
それはまるでおもちゃで遊ぶような声色で、自分の家族を苦しめている。
恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。
意味が分からない。理解できない。何もかもが理解の範疇を超えていて、ここにあるすべてに現実味がない。
異形の怪物も、燃える森も、破壊された孤児院も――なにもかも、色褪せてしまったように、アベルの瞳に映る。
ただ。
ただひとつだけ。
彼の瞳に、色付いて見えるものがあった。
「助けて……アベル……」
苦しんでいる家族を助けられないなんて、かっこよくない――
「あぁあああ!!!」
気が付いた時には、アベルは叫び声をあげながら異形に突撃していた。渾身の体当たりだ。まさかそんなことをしてくるとは思わなかったのか、異形はアベルの行動に驚き、思わずひれに入った力を緩め、子供を床に落としてしまう。
「逃げろ……早く、逃げろ!!」
子供は泣きながら、アベルに言われるがまま部屋の外へと走った。
対して子供を取り逃がしてしまった異形は、怒りを滲ませた声で叫ぶ。
「やってくれたなぁ、子供ぉ……!!」
そして魔物がその巨大なひれを振り上げると、目にもとまらぬ速さでアベルの体を強く打った。
ただそれだけで、13歳のアベルの体は部屋の壁を貫通して、隣の部屋の壁に叩きつけられる。
その衝撃は強烈極まりなく、全身の血液があふれ出てしまったのではないかというほどの血を、アベルは口から吐き出した。
「ガッ……!!」
アベルの目に、壊された孤児院の壁が見えた。
隣の部屋には子供はいない。
空き部屋だったか、或いはもう逃げだしたか。朦朧とする意識ではわからないことだった。
ただ一つ、彼はこの状況で、思い出したかのように呟いた。
「これなら、アネッサたちと一緒に、剣術練習でもしておけばよかったかな」
もし、自分に戦う力があったのならば。
そんなことを思わずにはいられないが、今は今で、過去は過去。
悔いた事実があったとて、それを変えることなどできやしない。
だからただ、彼は自分が助けられたものを数え、思う。
「俺はかっこいい大人になれたんだろうか――」
アベルの前に異形が立つ。
「こ、子供がァ……大人にたてついていいと思ってるのかァ!!」
怒りのままに、異形がこぶしを振り上げる。
それをただ、アベルは黙って見つめていた。
静かに。静かに。
その時が迫るのを待ち――
「――あ/れ……」
気が付いた時に、その異形の体は真っ二つに両断されていた。
その背後に居た立つのは、木の棒を持つ子供。
「派手に暴れてくれると、居場所が分かりやすくて助かるよ」
パルフェットだ。
彼女が異形を殺したのだ。
ただ――
「間に合わなかったか」
異形の拳が振り下ろされるよりも先に、壁にもたれかかったまま、アベルの命は失われていた。
「……やはり俺には、何かを斬ることしかできないみたいだ」
異形を斬り殺したパルフェットは、次なる戦場を目指し行く。
まだ戦いは、終わってないのだから。




