第37話 雨中逃走劇
王城から王都へと下る道はなだらかな坂のようになっていて、コルトの応急処置をしながらの逃走は、決して早いものではなかった。
「何がどうなったらこうなるのよ!」
コルトは死に体と言っても差し支えない重症だ。特に右肩に大きく空いた風穴からは、ワインを零したかのような血がこれでもかとばかりに流れている。
「手持ちので対処できるのはあったかしら……?」
文句を口にしつつも、アネッサは的確にコルトの体中にできた傷に対処していった。右肩の風穴へも、血止め薬をこれでもかと塗りたくり、無理やり出血を止める。
その間、彼らは急ぎ王城の門をくぐり、王都城下の街へと足を進めた。
「後ろから来てる感じはしねぇが……油断はできねぇな」
アネッサたちに前を走らせ、パルフェットは後方を警戒する。王城の騒ぎのおかげか、門の周辺にはあまり人がおらず、簡単に抜け出すことができた。このまま王都からも脱出できればいいのだけれど――果たしてそううまくいくのかはわからない。
一応、背後から追っ手が迫ってきている気配はないが、教会で戦ったライカンのことを考えれば、例え地平線の遥か彼方に居ようとも油断することはできないだろう。
そうして王城から背を向けて、王都の外を目指す三人だけれど――パルフェットの予想通り、それは始まった。
「来やがった!」
暗雲が空を覆い尽くす。それは王都を押しつぶすかのように突如として現れたかと思えば、急激に気温を冷やしながら雨を降らし始めた。
レイの雨であることは明らかだ。
この雨の中で動けるのはパルフェットだけ。コルトは傷を受けて万全な状態ではなく、アネッサはそもそも実力が足りない。しかし、二人を背負って目抜き通りを駆け抜けるなんてことはできない。
こんな時ばかりは、パルフェットは自分の体が恨めしくなる。これが前世の肉体であれば、子供二人を抱えて走るなんて朝飯前だったのだけれど――今は体格もパワーも足りていない。
「いやっ……これなら!」
何かないかとあたりを見回していたパルフェットは、ふと路上に木の箱を見つけた。それは何か大きな荷物を輸送する際に使われていたであろうもので、肝心の中身はどこに行ったかは知らないが、とにかく人間が二人は中に入れそうな木箱だった。
パルフェットは急ぎ、二人を呼ぶ。
「おい、お前らこれに乗れ!」
「乗れって――」
「いいから早く!」
何をしようかさっぱりわからないアネッサは、パルフェットの剣幕に押されて急いで木箱の中に入る。コルトもまた、倒れこむように乗った。
それを見たパルフェットは、腕をまくった。そして――
「アネッサ! 俺が倒れたら、なんとかしてくれよ!」
「なんとかって――」
パルフェットは、力の限り木箱を押した。それはさながら雑巾がけのような態勢だけれど、跳躍で屋根上まで飛び上がるようなパルフェットの足腰が使えば、まるで戦車のように木箱が動き出す。
特に目抜き通りの石畳は、木箱を押し進めるには最適な地形だった。
そうして目抜き通りを爆走する木箱とパルフェット。しかし、二人分の体重を含め、そんなことをしてパルフェットの体は大丈夫なのかとアネッサは心配になる。
「速っ、揺れ……ってパフィ大丈夫なの!?」
「何のこれしき……それよりコルトの応急処置を進めろ!」
「確かに!」
ガタガタと揺れる木箱だけれど、走りながらより応急処置がしやすいのは間違いなかった。なので、アネッサは急いでコルトの応急処置をしっかりと行う。
そうしているうちに、驚く王都の住人たちを撥ね退けて(そもそも王城の戦闘の音を聞いてか、目抜き通りにはあまり人が居なかった)、三人は王都大門前にたどり着く。
つい数時間前に潜ったばかりの門を、その日のうちにもう一度くぐることになるとは思っていなかった三人だ。
「パフィ! そろそろ私たちが逃げてる理由を教えてよ」
「魔王の闇討ちに失敗した! 何とかここまで来たが、俺の体力も限界が近い! 次追いつかれたら、流石に俺も戦えねぇ!」
「激ヤバってことね!」
ようやく逃走の理由を知ったアネッサは、自分の置かれている状況に嘆きつつも、そこまで落ち込んでいる様子は見せなかった。まあ、教会の時からもう一カ月は経つうえ、魔王討伐は当初の目標だ。それが失敗して追いかけられているというこの状況も、彼女の中ではいつか起きるかもしれない出来事の一つだったのだろう。
そのためか、アネッサの応急処置の手に抜かりはなく、教わった通りの応急処置でばっちりとコルトの傷を止血していた。
「応急処置は終わったけど……どこか落ち着ける場所で安静にしないと……やばっ」
と、そこで雨の効果が降り注ぐ。
応急処置が終わった後で良かったとほっと息を吐きつつ、アネッサの体が木箱の中にだらりと倒れる。
「待ってろアネッサ、外まで出れば、流石に――」
周りを見れば、王都大門の周囲にはたくさんの人が倒れていた。中には兵士とみられる男が、何とか壁によりかかって立ち上がろうとしているけれど、立ち上がれずに倒れてしまっているのが見えた。
果たしてレイがどこからこの力を行使しているのかはわからないけれど、もし王都一つを包み込む雨雲すべてにこの力を付与できるのだとしたら、とんでもない能力だ。
それこそ、たった一人で戦争の趨勢すら変えかねない。魔王軍十三冠位の恐ろしさを、パルフェットは確かに実感した。
そのうえで果たして、どこまで逃げれば追っ手を撒けるものか。とにかく目指すのは、王都外郭の森だ。森林の中ならば、逃げ切れる。前世の経験がそう言っていた。
しかし――
「ッ……」
足の力が一瞬だけ抜ける。
それは、逃走劇の末に、パルフェットの体力が限界に近付いてきた証拠だった。
「まだ、まだ森に――」
森までまだ距離がある。こんなところで躓いてはいられない。けれど、力を入れれば入れるほど、パルフェットの足は言うことをきかなくなっていく。
踏み込んだ足から力が抜けて、すべるように膝が崩れ、倒れこんでしまいそうになる。
意識が、朦朧と――
「おい!」
その時、パルフェットの耳に声が響いた。
「お前……そうお前だ! 間違いない! おい、そこの嬢ちゃん!」
その声は、雨の中突如として現れた。それは二頭の馬に乗った男二人。草原の中を駆けつけ、パルフェットの前に立ち、彼は言った。
男はじろりと木箱の中に倒れたコルトの顔を見て、何かを確認するように叫んだあと、すぐにパルフェットの顔を見て言った。
「早くその男を後ろに乗せろ! それから嬢ちゃんたちも、あっちの馬に乗ってくれ!」
助けが現れた。




