第22話 相対するは雲下雨泥の傘
「お前……なんで立って……」
レイに相対するパルフェットを見て、コルトはどうして立っていられるのか不思議に思い、彼女の背中へとそう訊ねてみれば、
「気合に決まってんだろ!」
と、まあ何とも言えない返事をいただいてしまった。
いやいや、気合だけで立てるわけがない。と言いたいところだけれど、ギルドに急ぐ焦燥一つでここまで走ってきたのはコルトも変わらないのだ。案外、気合一つでなんとかなってしまうのかもしれない。
「気合でどうにかなる力じゃないんだけどな」
「だとしても、敵に教えてやる義理はねぇがな」
二人のやり取りをレイは否定するけれど、ふんぞり返ったパルフェットはそう言った。やはり何かタネがあるようだ。
「そうだな。矛を交える前にもうひとつ訊いておこう」
ブンと傘を振るったレイは、まっすぐとパルフェットの小さな体を見据えて訊ねる。
「ライカンはお前が殺したのか?」
「ああ、見事に真っ二つにしてやったぜ」
「そうか。ならばこれ以上の問答は必要ないな」
そうしてレイは、静かに傘を開いて言った。
それが礼儀であるように。
「俺は魔王軍十三冠位が――」
魔王軍十三冠位。
その名はかつて、燃える丘でライカンが口にした言葉だ。
その意味を測ることは簡単だ。魔王軍の中にある何らかの序列。
教会をめちゃくちゃにしたライカンはその末席。対して、目の前にいるこの男は――
「――《《第四冠》》」
魔王軍の四番目。
それがどれだけの意味を持つのかは、はかり知ることはできないけれど、生半可な覚悟で相対していい称号ではないはずだ。
だからこそパルフェットは気を引き締めた。
目の前の男から繰り出されるいかなる攻撃も、この身にとっては必死であると。
「この『雨泥』のレイ・バーグベルトが、同胞の過ちを正そう」
傘が空に舞った。
レイの一挙手一投足を追っていたパルフェットが、空に舞った傘を目で追ってみれば――その傘はいつの間にか何十という数に増えていた。
「そんなのありかよ……!!」
レイは傘を槍のように使って戦う。
そして空にて展開された傘の群は、そのすべてが地面に切っ先を向けるように落ちてきている。
「〈銀箭:五月雨〉」
必死の雨が降り注いだ。
「チッ!」
片手に棒を、そしてもう片方の手で倒れ伏すコルトの手を掴み、パルフェットはまずコルトの体を傘の雨の外へと投げた。
「無理か!」
しかし、彼女の肉体は幼く人を投げ飛ばせるほどの力がない。だから方法を変えた。
(子供の体は軽い……舞うか!)
一瞬の逡巡の内にそう考えた彼女は、手に持った棒を振り回しながらギルドの建物へと走り、その壁を蹴って空を舞った。
そして降り注ぐ傘を蹴り、更に空中を舞い続ける。人間離れした躍動だ。これもまた、普通の少女にはできない芸当だけれど――不思議なことに彼女の足は淡く光り、次々と降り注ぐ傘を蹴散らしていってしまった。
「人を助けるか」
傘の多くが地面に到達するよりも先にその勢いを散らされ、地面に転がる。その様子を見上げていたレイがそう呟いた頃には、地面に倒れ伏していた人々にあたりそうになっていた傘はすべてなくなっていた。
泥の中へ軽やかに着地したパルフェットは、ふぅと一息ついてから言った。
「俺は人を助けるって決めてるからな」
豪胆であり、そうして傲慢な言葉である。
それを快晴の空のように言い放ったパルフェットは、だからこそと棒を構えるのだ。
「今度はこっちからだ!」
肉薄は一瞬。振り抜かれた棒がレイの体に迫る。それを寸でのところで、いつの間にかその手に持っていた傘を使ってレイは防いだ。
「いやな感じがするな、その木の棒は」
「そりゃそうだ……こいつは特別製だからな!」
傘と切り結んで折れることなく拮抗する木の棒。レイがそれを特別なアイテムであると予想するのは、当然の帰結だった。
さて、鍔迫り合いにも似た拮抗は長く続かない。埒が明かない以上は、一度距離を取るのが定石だ。その定石に従って、レイとパルフェットはお互いに数歩引いて、改めて武器を構えた。
パルフェットは半身になって、地面に平行になった木の棒の切っ先をレイへと向ける。
対するレイも、傘を地面と平行に構え、その先端をパルフェットの心臓へと向けた。
奇しくも同じ突きの構え。
「くひっ」
「ふっ」
その奇妙な一致に、二人は少し笑ってしまった。
まるで目の前の相手が、自分の実力に拮抗しているかのように思えたから。
静寂は一瞬。
構えを取った二人が攻撃を開始したのは、ほとんど同時であった。
「〈銀箭〉――!」
魔力を纏ったレイの突きが炸裂する。それはあの狼の魔物の巨体すらも貫き、消し飛ばしてしまうほどの威力を持つ必殺の技だ。
まともに打ち合えば敗北は必至。
例え木の棒が特別なアイテムであろうとも、パルフェットは子供でしかないのだから――
だから、パルフェットはまともに打ち合わなかった。
それどころか彼女は、その自慢の武器を捨てたのである。
「ッ!?」
二人の突きが交差するその直前、パルフェットが木の棒を徐に手放し、〈銀箭〉の突きを潜り抜けるようにその下を抜けた。
そしてレイの懐に潜り込んだパルフェットは、大きく開いた両手をレイの眼前で炸裂させる。
――パァンッ!!
強烈な破裂音。
手のひらを叩くことで発された爆音、即ち猫騙しである。
一見すればただのこけおどし。けれど鋭敏化したレイの感覚に流し込まれる不意打ちは、一瞬の隙を作り出した。
「ずるいとは言うなよ?」
その隙は一瞬だ。一秒を何分の一にも切り分けたほどの時間しかない。けれどその刹那の中で感じたレイは、パルフェットの勝ち誇ったような声を確かに聴いた。
そして斬られた。
「そんなのありかよ……」
「悪いな。俺の剣は武士道なんて綺麗なもんじゃねぇんだ」
彼女の両手は猫騙しのために空だったはず。なによりもその猫騙しを炸裂させるために、彼女は棒を捨てたはず。
だから攻撃はない。そう考えていたレイは油断した。
まさか彼女が、《《足の指で棒を掴んで切り付けてくる》》だなんて、想像だにしなかった。例えその木の棒が、剣のように攻撃能力がある獲物であると予想できていても、そんな不意打ち染みた戦法までしてくるとは。
彼女の姿といい、その戦い方といい、あまりにも――そう、あまりにも彼女は常識から外れていた。
「……」
いったいいつ靴を脱いだのか。
そもそもその小さな体で、幼い年齢で、どうしてここまで戦えるのか。
――魔王を斬ると言うのは、本当なのか。
「そうやってお前は、魔王も斬るのか?」
斬りつけられた腹を抑えながら、レイがそう訊ねた。
その瞳は、どこか期待に満ちていて、今まで抱いていたような敵意はどこにもないように見えた。
だからパルフェットは、棒を手に持ちながらも答えた。
「俺の家族を守るためにな」
「そうか」
どこか満足そうに瞑目したレイは、腹を抑えながら傘を開いた。
「この勝負はお前の勝ちだ。だが、これで魔王を斬れると思うなよ? 魔王軍にはあと十人は俺と同格の敵がいる。それに俺も――まだ、死んでない」
ふわりと、レイの体が飛んだ。
風に舞う綿毛のように、降りしきる雨の空へと。
「俺はお前が羨ましいよ」
ただ一言、パルフェットへとそんな言葉を残して、彼は雨の空へと消えて行ってしまった。
空を飛んでしまわれてはどうしようもない。
パルフェットは剣士。飛び道具は持ちえない。
だからただ、彼がどこかへと逃げ行くのをパルフェットは見つめていることしかできなかった。
ついにその姿が見えなくなった時、雨が止んだ。
いつの間にか雲も消え、空は快晴の日と何ら変わりない青を見せる。
けれど、間違いなく雨は降ったのだ。
雨水が土を濡らし泥を作るように、もう立ち上がることができなくなってしまった街の人々が、この日の惨劇を物語っていた。




