第15話 夜の森
コルトの兄貴分のレイが村に帰ってきて、アネッサがバラクに薬学のイロハを教えてもらうことになった一日も終わりを告げ、太陽は西の空へと沈んでしまった。
酒場に行けば、未だレイの帰還を祝う宴が開催されていることだろう。
けれどそれも、日付が変わるころには次第に静かになっていく。酔いつぶれた人間が徐々に増えているのだ。ある意味では、それほどに彼の帰還は喜ばしい出来事なのだろう。
そしてパルフェットは、アネッサと共に一足先に宿に帰っていた。
何分、レイについては何も知らない二人である。宴の料理を目当てに参加したはいいけれど、雰囲気についていけなくなってしまったので、眠くなったタイミングで早々に帰ってしまっていた。
ちなみに、二人が泊っている宿はギルドのすぐ隣にある安宿だ。銅貨十枚で二日泊まれる。なお、銅貨は一枚でリンゴが二つ買えるぐらいの価値である。
部屋は質素で狭いけれど、二段ベッドのおかげで二人同時に泊まれるのが二人にとって高評価であった。
なので二人は、酒場で騒いでいる男たちが酔いつぶれて始めた頃には、既にベッドの上と下に分かれて眠りに入っている頃なのだけれど――
「……そろそろか」
二段ベッドの下側で、パルフェットはぱちりと目を開いて体を起こした。
耳をすまして、酒場の様子を確認したパルフェットは、人の声が聞こえなくなってきたのを確かめると、ぴょんと跳ねるようにベッドから降りた。
それからベッドの上段でアネッサが熟睡していることを確かめた後、寝間着から普段着に着替えた。もちろん、腰には木の棒を差すパルフェット。
しかし、そろそろこの木の棒もせめて剣を模したものに変えたいと思うパルフェットは、人差し指で握り部分に巻かれた包帯を撫でた。
「むぅ……剣は高いからなぁ」
剣は高い。
町の鍛冶場に売っていた鉄の剣は、一番安いものでも銀貨三枚は必要だった。実に銅貨三百枚である。銅貨数枚の依頼を日に数回こなしているパルフェットたちにとっては、気が遠くなるような値段である。
なので今日も彼女の腰には木の棒が佩かれている。
それから、パルフェットは窓の外を見た。
半月が照らす真夜中だ。
「いい夜だ」
そう言って、パルフェットは窓を開けて外に出た。
パルフェットが止まる宿の部屋は二階にあり、外に出ればもちろん二階から飛び降りることになるのだけれど、それぐらいの高さなら前世の頃から散々飛び降りてきたので問題ない。
しかし、どうして彼女は夜の間に外に出たのだろうか?
「さぁて、見に行くか」
そう言って彼女は、東へ――昼間にレイと出会った、メレチエレの森へと向かうのだった。
◇
夜に浮かぶ半月の明るさは、満月の半分どころか十分の一しかないとはいえ侮れないと感じるのは、ひとえに森の夜の暗さのせいだろう。
空間に墨を塗ったような真っ暗闇は足場さえ塗りつぶされてしまって定かではなく、注意深く進んでもすぐ隣の大木を人と見間違えるぐらいには、視覚というものが頼りない。
だからと言って耳を澄ませても無駄。
静寂の中に響いてくる声はよく聞こえるけれど、結局のところそれが脅威かどうか、そもそもなんであるかを知るには、実際に目で確かめないといけない。
だから暗闇は恐ろしい。
森の中は、おぞましい。
「懐かしいねぇ」
しかし、だからこそパルフェットには森の暗闇は過ごしやすい環境だった。
何分、追っ手を撒くにこの暗闇はちょうどいいのだ。前世では随分とお世話になった。その懐かしさから、いつもよりも呼吸が落ち着くのを感じる。
とはいえ、森の中が危険なのには変わりない。
足場がよくわからないから変なところで転ぶだけでも危ないし、がけから落ちても危ない。何よりも獣が出る。反撃の手段があるとはいえ、暗闇の中は人間にとって不利でしかないため、避けた方がいいだろう。
パルフェットもそれを分かっているから、急ぎ足でメレチエレの森の奥――小川の上流を目指した。
その目的は、昼間に遭遇した魔物の死体だ。
あの死体について、一つ気になることがあったのだ。
昼間はコルトがうるさかったし、姿の見えないアネッサが心配だったこともあって、調べる時間がなかった。
だから死体が腐らないうちに、その気になることを確かめるために、パルフェットは夜の間に宿を抜け出し、メレチエレの森に来たわけだ。
死体の詳しい場所はわからないけれど、幸いなことに小川を辿ればどこかに転がっているので、そこまで時間をかけずに見つけることができた。
「……しかし、大きいな」
薄暗闇の中、前から先までおおよそ五メートルはあろうかという魔物の死体を見て、パルフェットは嘆息する。
胴体と下半身が、レイの凄まじい槍の一撃によって穿たれ、引きちぎれるように分断されているせいで、完全な全長を測ることはできないけれど――ここまで大きな獣は、前世では噂にしか聞いたことない。それにこの異形。右と左で目の数が違い、胸元にも口があるこの狼は、生物を冒涜するような気持ち悪さで溢れていた。
「明かりを持ってこればよかったな」
いまさらそんなことを思いながら、パルフェットは狼の顔を見る。厳密に言えば、その鼻筋から額に駆けてまっすぐに引かれた一本の線を。
「……やはり、首まで続いているか」
その線は鼻筋から額を通り、後頭部を過ぎて首筋まで続いている。反対に顎にもその線は走っていて、それらは首元から胸、胴体へとその姿を確認することができた。
それはまるで、一度真っ二つにされてから、再び接合されたかのような痕跡だった。
ふと、パルフェットの脳裏にある一匹の獣の姿が過る。
『紫電』のライカン。
あの狼も確か、パルフェットの技によって真っ二つに両断されたはずだ。
奇妙な符号である。
だからパルフェットは、思わず考えてしまう。
「まさか……化生として蘇ったのか?」
そんな考えにたどり着いたのは、ひとえに彼女もまた蘇った人間であるからに他ならない。
かつて戦国時代を駆け抜けた一人の浪人が、孤児院の少女に転生したのが、パルフェットなのだ。
違う世界、違う体。にもかかわらず転生したのだ。同じ世界の、同じ体で蘇ることもまた、有りえないと断じることはできない。
むしろ考えれば考えるほど、そうなのではないかという予感が強くなっていく。
この狼は、あの時相対したライカンであると。
「こんなところで、女の子が一人なにをしてるんだ?」
「ッ!」
その時、パルフェットの後ろから声が聞こえてきた。
咄嗟に腰に佩いた木の棒を構えるパルフェット。
暗順応は既に最低限の視界をパルフェットに与えており、背後に立つその人影を彼女はしっかりと視認した。
「やあ、こんばんは」
「……レイか」
そこに立っていたのは、酒場で開かれている宴の主役のレイだった。なぜ彼がこんなところに居るのか。疑問が尽きないけれど――パルフェットが何か疑問を投げかけるよりも早く、レイは言葉で会話を先制した。
「危ないぞ、夜に出歩くのは。それとも何か、危険な遊びが好きなタイプなのか?」
「……ま、そんなところだな」
「そんなところ……そんなところねぇ」
レイの言葉に誤魔化すようにパルフェットが返答する。その返事を聞いた彼は、森の闇の中を静かに歩き、パルフェットの傍らにある魔物の死体に近づいた。
「目的はこれか?」
「ああ、そうだぜ」
牽制するような言葉だ。
互いに相手の隠していることを引き出そうと、その言葉の裏に目的を隠している。
そもそも、だ。
(魔物の出現と、レイの登場――あまりにも都合が良すぎるな。何か関連性があっても不思議じゃない)
メレチエレの森に魔物が現れるという異変は、ここ最近の出来事だ。それは、あのはぐれ狼の一件からも分かっている。
それと、レイの登場。
パルフェットはそこに何か因果関係があると睨み、そしてそれを示すかのように宴を抜け出してここに現れたレイに、かつてないほどの警戒を示していた。
だから今も木の棒を強く握りしめている。
「好奇心、か? 魔物を見るのは初めてだろ、君」
「ああそうだ。初めて見る魔物なんでな、昼間に調べる時間もなかったし、明日にはギルドの連中が回収しちまう。じっくり見られるの今の内だ」
パルフェットの言葉に嘘はない。
だからこそ、真意も何もないけれど、レイは不思議そうに顔をしていた。
「……そうか。まあ、それならいい」
そう言いながら、彼はちらりとパルフェットの握る木の棒を見た。特に彼がそれに警戒心を抱いた様子はない。それもそうだ。誰が木の棒を、剣のようにすぱすぱとなんでも斬ることのできる武器と思えようか。
「森は危険だ。夜の森は特に、な。ほら、俺が一緒についてってやるから、町に帰ろう」
「……」
そう言って差し出されたレイの手を、パルフェットはもちろん警戒するけれど――敵意はなく、殺意もないその手一つを斬りつけるほど、パルフェットは常識から外れていない。
そもそも最初から彼は、パルフェットのことを子ども扱いしているのだ。子供だから、心配してここまで様子を見に来たということも考えられる。
だとしても、何か引っかかる。
パルフェットは終ぞ、彼への警戒を解くことはなかった。
「手は繋がねぇ。だが、町には帰るか。アネッサが起きてたら、変に心配しちまう」
「そうそう。子供はぐっすり眠ってる時間だ。君も早く帰って、明日起きれるように眠った方がいい」
そう言って、二人は町へと帰った。
計り知れぬ謎を残しながら。




