第13話 森の遠吠え
薬草とヤモリの採取のために森に来たパルフェットたち三人組は、小川沿いで分かれて行動した。
理由は単純、手分けして探した方が早いから。薬草にしろヤモリにしろ、森の中の目で見てすぐにわかるところに居てくれるわけではないので、だから三手に分かれて探した方がいいというのがアネッサの意見である。
コルトも特に否定しなかったので(或いは単純に、一人でいられることを好んだのか)案は可決。目印を付けた小川沿いからそこまで離れないことを取り決めた後、彼女らは依頼の品の捜索を始めた。
「むぅ……やはり字は読めた方がいいか……」
さて、パルフェットもまた手伝いとして薬草探しに参加するけれど――肝心の薬草を見分けることができない彼女である。一応、薬草の特徴を簡単に図解した紙をアネッサが作ってくれたので、それを参考に探すけれど――絵だけの図解は少々大雑把で、薬草の特徴を把握するには不十分であった。
それも仕方がない話だ。前世はともかくとしても、今世のパルフェットはあまり字が得意ではない。だからアネッサも気を遣って、図解には文字が書かれていない。ただ、見てわかる特徴が少ない薬草である。文字でわかる特徴が、採取をするうえで重要な要素だった。
もちろん、アネッサから事前に特徴を聞いてはいたけれど……それをすべて覚えているほど、パルフェットは記憶力が良いわけでもないのだ。
「とりあえずそれっぽい草でも片っ端から採ってくか」
そんな風に大雑把な採取をし始めたパルフェット。一つ二つと腰につけた空の袋の中に、絵に描かれた草と似たようなものを入れていく。
そして袋がいっぱいになったあたりで、一度伸びをして小休止を挟んだ。太陽を見てみれば、始めてからまだそこまで時間が経っていない様子。けれど袋はいっぱいで、これ以上の薬草をとっても容れ物がない。
なのでパルフェットは、小川沿いの手ごろな石の上に座って、瞑想するように目を閉じた。
午前と午後の間にある陽光が木漏れ日となってパルフェットの体にまだらを作る。足元に流れる小川は一体どこからやってきた流れなのだろうか。そんなことを考えて、パルフェットは自然の穏やかさに浸った。
けれど、次第に転がっていく思考は、やはり十日前の戦いのことを考えてしまう。
そしてこれからの戦いのことも。
正確に言えば、この体のことを。
よくよく考えてみれば、前世と同じように戦って体に無理が出るのは当たり前のことだ。なにせ今のパルフェットは子供で女。大人で男であったあのころとは、丸っきり体のつくりが違う。
パルフェットは目を開いた。
そして宙に向けて呟く。
「前の俺と何が違う?」
一つ一つ確かめるように、自分のつま先から指先までをパルフェットは確かめる。
違うと言えば、思いつくのは劣る点ばかり。
力がない、間合いが狭い、リーチがない、体力がない、打たれ弱い。知識がない……のは前世と変わらないか。
ともあれ、見つめなおしてもないものねだりをするばかりの自分の頭に悪態を付きつつ、パルフェットは思考をひねる。
「女……そうだ、今の俺は女だ。女と男じゃなにが違う」
力は男の方が強いだろう。身長も、それは男の方が高いことの方が多い。戦いに利する要素は少ないように思えてくる。
けれど……彼女が生きていた戦国の時代には、度々大男すらも恐れる女傑が居た。例え女であっても、彼女らは確かに傑物であったのだ。
ならば自分にも、できる要素はある――そう思って、一つ思いついたことがあった。
「体は柔らかくなったな」
そう言って、試しにぐるりと背中をのけぞらせてみるパルフェット。前世なら90度も傾かずに止まったところだけれど、今の体ならかかとに頭が付きそうなぐらいにはのけぞることができた。
関節が柔らかい。
肩も背骨も股関節も、ぐにゃんぐにゃんと動かすことができる。
「しかし、これが刀に活かせるかぁ?」
とまあ、それが分かったところで何になるとパルフェットは眉をひそめてしまった。まあ、これも仕方のないことか。なにせ前世で磨いてきた刀術とは、出発地点から違う術を編み出そうとしているのだ。
それは今まで自分が積み上げてきたものをすべて崩し、また一から積み上げていくのとおんなじだ。すぐに答えが出るようなものではない。
なので今回の思考では、体が柔らかいという身体的特徴を気づいただけに終わってしまった。
さて、そろそろ日が午後の坂道を転がり落ちる頃合い。
採取を始めておおよそ一時間ぐらいだろうか。合流するにはいい時間――と、そんな時であった。
音が聞こえてきた。
けたたましい音だ。
例えるならその音は津波。小川のせせらぎが可愛く見えるほどの大津波が、空気を打ち震わしてパルフェットの思考を驚愕の色に染め上げる。
いったい何の音だ! 驚愕から転じたパルフェットが、その音がなんであるかを考えた時、彼女は一週間前の依頼のことを思い出した。
夜な夜な狼の遠吠えが聞こえてくる。
その音は、奇しくも狼の遠吠えによく似ていた。
けれどパルフェットが聞いたことがある狼の遠吠えと比較してみれば、その音はあまりにも暴力的な意味に溢れていた。
聞いただけで頬を打たれたような衝撃が走り、森のすべてに響き渡っていく――それはまるで、今からこの地を侵略すると叫ぶ鬨の声のようだ。
パルフェットはすぐさま、腰に佩いた木の棒を構える。
見てくれはタダの木の棒だけれど、彼女が振れば真剣同様に人すら真っ二つにしてしまう業物である。
果たしてどうしてそんなことができるのかについては、パルフェット自身も分かっていない。
そもそもわかる必要がない。
振れば斬れる。
それだけで彼女には十分なのだから。
「アネッサ! コルト! 今の音はなんだ!」
武器を確かめてすぐ、パルフェットは仲間二人の名前を叫んだ。異常事態であることは明白で、とにかく二人の無事を確認するためだ。
しかし二人の声は返ってこない。
遠くに離れてしまったのか、或いは――
「音はあっちだな……!」
嫌な予感が背筋を伝う。
急ぎパルフェットは棒を握って、遠吠えの聞こえてきた方へと走り出した。
小川を登るように駆け抜ける中で、ただひたすらに彼女は二人の無事を祈る。祈りながら、遠吠えの主のことを考える。
強烈な声音はとてつもない肺活量が必要だ。
となれば、相手は音に比例するほどとてつもない巨体を持って然るべきで、それはきっと狼の体の何倍も大きいのだろうと簡単に予想できた。
なにしろちょうど十日前、人型とはいえ狼に似た巨体を見たばかりなのだから。
だからパルフェットは頭の中にそのまま巨大な狼を描き、それをどう斬るかについて走りながら夢想する。夢想して、走り、たどり着く――
「思ったよりも大きいな……」
小川の上流にそれは居た。
確かにそれは狼の姿をしているけれど、まず体の大きさからして異様だ。体高二メートル。体長はその倍――五メートルはありそうだ。
赤い目に灰色の体毛。耳鼻牙と、狼と同じパーツは揃っているけれど、しかしパーツの数が普通のそれよりもでたらめに多い。
瞳は七つ、口が二つ。
口は通常の狼と同じ場所にあるものに加え、胸部から腹部にかけて裂けた口が牙をのぞかせているのだ。
まさしく異形。
しかし、パルフェットにはこの狼がなんであるかについて、心当たりがあった。
今までパルフェットは遭遇したことはなかったけれど――度々その言葉を聞く機会はあったから、知っている。
「お前が、魔物か!」
この狼こそが、魔物と呼ばれる危険度の高い獣であると、パルフェットは確信した。
一度彼女は、狼の周囲を見て、二人の姿がないことに安堵する。それから木の棒を握る力を強くして、その切っ先を狼の方へと向けた。
「来るならやるぞ」
言葉は通じていないとわかっていても、彼女は殺気を放ち警告する。
対して狼は――跳躍した。
巨大な体の巨大な後ろ足でひとっ跳び。もちろん目標は小さな小さなパルフェット。目にも止まらぬ速さで飛んだその姿は、あの日の『紫電』を思わせるが、速度で見れば数段下だ。
けれど、魔物の強大な身体能力は常人の目で追えるようなそれではなく、一秒と経たずにパルフェットのすぐそばに迫っていた。
パルフェットも負けじと木の棒を構える。あの日の『紫電』を両断したように――しかし、その動きがピタリと止まってしまった。
「ぐうっ……」
腹の奥底から込み上げてきた痛みが、彼女の構えに支障をきたしたのだ。あの日の後遺症が癒え切っていないことを忘れていたパルフェットは、自分の間抜けさに呆れた。
それと同時に、少し嬉しくもあったりする。
自分のことも忘れるくらい、あの二人のことを大切に思えていたのだと――だからこそ、目の前に迫る狼が、自分を殺すつもりなのだとわかっていても、彼女は悲壮感を顔に出さずに笑みを浮かべていた。
死ぬのは初めてじゃない。
けれど何も果たせぬまま死ぬことはできないと、痛みに呻く体を動かして、何とか抗おうとした――その時、転機は訪れた。
「“銀箭”」
空中に飛び出した狼が、突如として現れた男に横から貫かれたのだ。
貫かれた狼はそのまま勢いを横にずらし、パルフェットに飛びついた本来の進行方向から斜めの方向に飛んでいく。
何が起きたのかわからなかったパルフェットは、すぐに狼が吹き飛んでいった方へ振り返った。
森の中、狼の巨体になぎ倒された木が土を巻き込んだことで、土煙が空に舞う。
そんな中、ふらりと人間大の陰がパルフェットの前に現れた。
その姿は土煙が晴れると同時に次第に明朗になっていく。
男だ。
手に傘のようなものを持った男が、狼を横から攻撃したのだ。
そして男は、パルフェットの方を向いて言葉を口にした。
「大丈夫だったかい?」
どうやら彼は、パルフェットのことを助けてくれたらしい。
だからパルフェットも、助けられたことを感謝しようと口を開いたところで、けれど先ほどの遠吠えにも匹敵するんじゃないかと言うほどの大声が、パルフェットの背後から聞こえてきた。
「兄貴!!」
振り向いてみれば、そこに居たのはコルトだった。
彼は喜色満面の笑みを浮かべ、お預けを食らっていた子犬のように男の下に走り、もう一度同じ言葉を、今度は感動を交えて唱える。
「兄貴、ずっと……ずっと待ってたんだぜ!」
「お前……コルトか! おお、大きくなったなコルト!」
その様子を見れば、二人がどんな関係なのかは赤子でもわかることだった。
「えっと、そこの男。ありがとう。あんたが助けてくれなきゃ、俺は死んでた……それで、コルト。この人がお前の言っていた……」
「ああ、そうだぜパルフェット!」
嬉しそうに彼は言う。
「この人が俺の一番尊敬する兄貴……レイ兄貴だ!」




