第一章 啜れぬ世界
強い陽射しが目を刺した。
硬い石畳。古びた石壁。
馬車が軋み、革鎧の戦士たちが行き交う。
見慣れた雑多な街でも、スマホの電波でもない。
(……腹が減った)
最初に意識したのが、それだった。
ふと気づく。
腹の贅肉が消えている。
足取りが驚くほど軽い。
手は節々が痛まない。
鏡があれば確かめたかった。
(若返ってる……?)
喜びは二の次だった。
胃袋が指揮を執っている。
「ラーメン……どこだ……」
よろめきながら呟いたとき――
「おい!そこの細っこい兄ちゃん!!」
影が差し、声が落ちてきた。
見上げると、赤い髪の女が立っていた。
身長は百六十ほど。
しなやかな筋肉に覆われた手足。
腹部は大胆に露出していて、
美しい縦線の腹筋が夕日に浮かぶ。
だが鎧に押し上げられた胸元だけは柔らかく、
まるで上質なチャーシューのように
ふっくらとした存在感を放っていた。
長い赤髪は炎のようにボサボサ。
背中には巨大な大剣。
「倒れてたから助けた!
ほれ、肉だ!!」
干し肉を口に押し込もうとしてくる。
「死ぬだろ!水分奪うタイプだそれ!!」
「うまいぞ!!」
「うまい前に窒息するわ!」
問答無用の善意。
そして全身から溢れる脳筋オーラ。
「ラーメン食わせろ……」
「ラマン?ラメン?
顔を啜る料理か!?行儀悪いぞ!!」
(ちがあああう!!)
「麺を啜って食うんだ」
「メン?細長い干し肉か?」
(……この世界には麺文化が無い)
「食堂だ!この街で一番うまい店に連れてってやる!」
腕を掴まれ引きずられる。
強引だが、ありがたかった。
◆
市場へ連れてこられる。
干し野菜。
塩漬け肉。
干し肉。
干し肉。
干し肉。
……干したものしかない。
「新鮮な肉は?」
「腐るだろ!
魔物の肉は塩漬けか干すのが普通だ!」
「魚は?」
「内陸だぞ?
海は遠いし、塩は商人頼みだ!」
(旨味を捨ててる世界……
食文化が死んでいる……)
胃袋も心も冷えた。
◆
「ここが一番うまい店だ!」
「食堂 ガルザ」。
タオルを頭に巻けば、まんま強面のラーメン屋店主。
返事もせず腕組みする店主ガルザは、
ハゲ頭にちょび髭の厳つい男。
「今日はこいつに奢る!」
出てきたのは黒パン、塩漬け肉、薄いスープ。
一口食べて、絶望。
(味が塩しかない……)
最後の望み、啜る音だけでも――
――ズズッ。
「音を立てるな!!行儀が悪い!!」
店中が固まった。
「行儀?
こんな不味い料理に行儀とか言うなよ」
「なんだと?」
「パンは石。
肉は塩の塊。
スープは……味が死んでる」
「文句があるなら食うな!!出ていけ!!」
追い出された。
腹は空っぽ。
心はもっと空っぽ。
「……満足に食えてねぇけどな。
奢ったって言われても膨れてねぇぞ」
「細けぇこと言うな!!
奢ったんだから働け!冒険者になれ!!」
「理不尽すぎる……」
だが、その無茶苦茶な明るさは、
ほんの少し助かった。
(啜れる日を取り戻す。必ずだ)
◆
冒険者ギルド。
怒号と酒の匂い。
荒々しい生命力が渦巻く場所。
「レナ!登録だ!こいつ仲間にする!」
「……また変な人を連れてきたんですか?」
受付嬢レナは冷静。
眼鏡越しに、怪しい存在を分析している。
「鑑定を」
水晶玉が光る。
レナの眉がすっと上がる。
【属性:火】
【スキル:アイテムボックス/絶対味覚】
「アイテムボックス……?
貴重です。絶対に他人に言わないでください。狙われます」
「便利だから?」
「便利すぎるからです」
続いてもう一つ。
「“絶対味覚”……戦闘で役に立たないゴミスキルですね」
「だよな!」
ミナミナが笑顔で追撃する。
(おいテメェ)
「実技テストを」
訓練場。木製標的が並ぶ。
「武器は?」
「拳だ」
構えた瞬間――
体がボクシングを思い出した。
「開始!」
踏み込み、振り抜く。
炎が爆ぜた。
標的は真ん中から吹き飛んだ。
「すっげぇ!!!!」
「嘘、ありえない……」
(火は手に入れた。
あとは湯気だ)
レナがカードを渡す。
「登録完了です。
絶対に死なないでくださいね」
「ラーメンを啜るまで死なない」
「意味不明です」
◆
「よっしゃ!!
肉のために狩りだ!!」
「目的は魔石回収だろ!」
レナの不安と興味の混ざった視線を背に、
メンジロウは外へ出た。
◆
草原。
牙をむいたボアホッグが飛び出す。
「任せろ!!」
ミナミナの大剣が唸り、最初の一匹が沈む。
二匹目が背後から突っ込む。
「燃えろ」
炎拳。
巨体が吹っ飛ぶ。
「火加減は俺が一番知ってる」
「カッコいい!!意味わかんねぇけど!!」
解体するミナミナ。
魔石と肉だけ回収し、残りを捨てようとする。
「待て」
メンジロウは骨を拾った。
「これが……欲しい」
「骨?ゴミだろ?硬いし」
「スープが取れる」
「分かんねぇけど任せた!」
こうして希望をアイテムボックスへ詰め込む。
◆
ガルザの食堂。
「厨房を貸せ」
「断る。他人に触らせねぇ」
メンジロウは骨を置き、
静かに言った。
「これを旨味に変える。見ろ」
「……レナが言うなら」
「責任は取ります」
「ただし、匂いで客が逃げたら二度と来るな!!」
「問題ない」
本当は少しだけ不安だった。
◆
「骨三キロ、水十リットル。
香味野菜一キロ。
まず強火で沸騰だ」
「数字多すぎ!」
「黙れ」
アクをすくい続ける。
雑味を殺して、旨味を残す。
「ここから十二時間だ」
「じゅ……十二!?」
「夜通し煮る」
ミナミナ爆睡。
レナ舟を漕ぐ。
ガルザ白目。
だが、
鍋だけは起きている。
脂と髄が溶け合い、
水が命へと変わっていく。
◆
夜明け。
「完成だ」
蓋を開けると、
白濁の香りが店中に満ちた。
「くっ……匂いが……腹減る……!」
「まず啜れ」
「行儀が……」
「啜れ」
――ズズッ。
ミナミナの瞳が揺れた。
「なんだこれ……止まらねぇ……!」
ガルザも震えながら啜る。
「骨から……こんなものが……」
レナが静かに言う。
「この世界に、こんな味が――」
「違う」
メンジロウは言った。
「今できたんだよ」
湯気が新しい文化として立ち上がった。
◆
ミナミナが器を掲げる。
「よし!
メンジロウは冒険者としてオレと一緒に肉取って、
またこのスープ作ろうぜ!!」
「嫌だ」
「はぁ!?」
「俺は――
ラーメン屋になる」
「ラーメン屋なんて無いぞ!?
だったら冒険して肉集めてさ、その合間に――」
「違う。
冒険はラーメンのためじゃない。
ラーメンのために冒険するんじゃない」
「……はぁぁぁ!?
じゃあ何のために冒険するんだよ!!」
「その意味、
さっき啜っただろ」
ミナミナはしばらく黙り――
大剣の柄を握りしめた。
「じゃあ今ここで勝負だ!!
ラーメン屋 VS 冒険者!!
どっちがこの世界を変えるかの戦いだ!!」
「上等だ。
啜るためなら、拳でも殴る」
「肉のためなら、全部斬る!!」
「……せめて店の外でやってくださいね?」
レナの冷静な声が落ちる。
ガルザは溜息をつきながら言った。
「どうでもいいが……
またあのスープを飲ませろ」
メンジロウはにやりと笑った。
「次は――
麺だ。」




